子どもの頃に読んだおとぎ話では、王子さまに選ばれたお姫さまは「いつまでも、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」と書いてありましたが、現実世界のお姫さまというのはそうはいかないようです。

イギリスの名門スペンサー家から王室入りしたダイアナ元妃は、チャールズの浮気と拒食症に悩み、自らも不倫をして離婚。それだけならまだしも、不慮の事故で命を落としてしまいます。王子さまではありませんが、アメリカの政治家、ジョン・F・ケネディーと結婚したジャクリーン・ケネディーは夫の浮気に常に悩まされたようです。離婚を申し出ると、体面を重んじるケネディー家の長老はジャクリーンにカネを渡すことで解決してきたそう。「一生、全力でお守りします」という言葉にひかれて、皇室入りを決めた日本一のキャリアウーマンも、一時よりだいぶお元気になられたようにお見受けしますが、もっと違う人生があったのではないかと思っている国民もいるはず。

クールビューティーと呼ばれ、わずかデビューから四年後にアカデミー主演女優賞を受賞した女優、グレース・ケリー。モナコ公国の王妃となりましたが、この方の人生も平穏ではありませんでした。

超簡単に振り返る、グレース・ケリーの人生

グレースの育った家庭は裕福ではありましたが、いわゆる成り上がり家庭でした。ケリー家のトップ、グレースの父親であるジョンはオリンピックに出場し、メダリストとなったことで国民的英雄になったことから、子どもたちにスポーツを奨励します。しかし、ケリーは兄弟の中で唯一、運動が苦手。父親のケリーに対する評価は非常に低かったそうです。

女優として頭角を現し、グレースがアカデミー賞を取った時、マスコミはグレースの父親にコメントを求めますが、「何かを成し遂げるとしたら、姉のほうだと思っていた」と、この期に及んでも冷たいコメント。グレースはヤリマ……いえ、恋多き女性として知られ、父親ほど年の離れた男性と浮名を流してきましたが、それも相手の男性に父性を求めていたからかもしれません。

ハリウッドの男性を結婚すると、ほぼ100%の確率で男性は「グレース・ケリーの夫」と呼ばれてしまいます。そういう状態を恐れていたグレースにとって、モナコ公国のプリンス、レーニエ公との出会いは願ってもないチャンスでした。観光大国であるモナコにとっても、有名人であるグレースと結婚すれば、またとないモナコの宣伝になるはず。二人のメリットは完全に一致し、結婚が決まります。子どもを三人もうけ、公務に励んだグレースでしたが、レーニエ公の浮気、子どもたちの素行不良に悩まされてアルコールにおぼれていきます。娘を傍らに乗せて車を運転していたグレースは、事故を起こし、52歳の若さでこの世を去ったのでした。

グレース・ケリーの名言「女性は自分が決めたことは、なんでもできると思っています」

  • イラスト:井内愛

女優として最高峰のアカデミー賞を受賞し、モナコに嫁いだ後はフランス語を覚え、王室のしきたりを覚え、三人の子どもを育てながら公務に励んだグレースは、勤勉で国民から愛された王妃でした。グレースは「女性は自分が決めたことは、なんでもできると思っています」と述べていますが、この女性というのは、自分のことを指していると解釈してもいいでしょう。

若い時なら、このひねくれ者の私でさえ「そうだ! 努力は大事だ!」と思ってしまいそうですが、今ならこう思うのです。いやいや、どちらかとういうと、あきらめる才能のほうが大事だと。

グレースがレーニエ公と出会ったのは仕事がきっかけでしたが、プロポーズを受けるときに、王子さまとの結婚なら、権威好きなお父さんが喜ぶことを考えなかったと言ったら、嘘になるのではないでしょうか。

実はグレースは、レーニエ大公以外の複数の男性からプロポーズされていますが、離婚経験があることや、職業に文句をつけて別れさせられています。父親が若い娘の交際や結婚について意見するのが悪いとは思いませんが、グレースの父親は文句はつけるけれど、絶対にほめないタイプ。そんな人の意見を聞いてどんな意味があるのでしょう。グレースがあきらめればよかったもの、それは「頑張れば父親は愛してくれる」という成功譚だったのではないでしょうか。

グレースの父が亡くなった後、父親の書斎に入ったグレースは、自分の写真が飾られていなかったことに気づき、「最後まで父に愛されなかった」と泣いたそうですが、残念なことに親でも通じない人はいますし、人はそう簡単に変わりません。

あきらめるというのは、ネガティブニュアンスで語られることが多いものですが、本来の意味は「心を明るくさせる、はっきりさせる」という意味だそうです。ということは、グレースの場合、お父さんをあきらめることができたのなら、これほど苦しまなくても済んだかもしれないのです。

アラフォーともなると、「あの時、〇〇だったら」といった類の「あきらめられないこと」の一つや二つあるでしょう。人によっては過去に空白を埋めようとしたりもしますが、努力家の自覚があって、いろいろ夢をかなえてきた自負がある人ほど、あきらめることをしたほうがいいのではないかと思うのです。というのは、幸せとは、「あきらめる」の本来の意味と同じように、心が明るい状態を指すと思うから。王子さまと結婚しようが、賞をとろうが心が暗かったら、意味がないと思うのです。

努力するのは大事、でもあきらめるのはもっと大事。もしあなたが胸にもやもやするものがあるのなら、「手に入らないものは、必要ないもの」と申し上げたいです。

※この記事は2018年に「オトナノ」に掲載されたものを再掲載しています。