5例目の中学生棋士、藤井聡太。数々の記録を打ち立て今や国民的スターとなったが、果たして他の中学生棋士の修行時代、デビュー後の活躍はどんなものだったのか。資料をもとに検証し、藤井のそれと比較していく。

藤井聡太が最年少の14歳2カ月でプロ入りする前、最年少記録を持っていた棋士は誰か?

ご存じの方も多いことでしょう。

正解は、この棋士。

  • その棋才と闘志あふれる対局姿勢で多くのファンを魅了した加藤一二三九段(写真:マイナビニュース)

    その棋才と闘志あふれる対局姿勢で多くのファンを魅了した加藤一二三九段(写真:マイナビニュース)

加藤一二三九段です。

TVのバラエティー番組に多数出演し、大きな体に似合わないコミカルな口調、おちゃめな動きでお茶の間の人気者となっていますが……表の顔は超強豪の将棋棋士。2017年に現役を退きましたが、藤井七段がこの世に生を受ける何十年も前から「神武以来(じんむこのかた)の天才」とうたわれた一流棋士であります。

本連載「中学生棋士の系譜」(全6回)では、これまでに5人しか現れていない、中学生でプロ入りした棋士を紹介してまいりますが、まずはその第1号、加藤一二三九段についてひもとき、今をときめく藤井聡太七段と比較してまいります。

天賦の才

1940年、福岡県嘉穂郡稲築村(現在の嘉麻市)で生まれた加藤九段は、幼稚園の頃、近所の子どもが指しているのを見て将棋を覚えたそうです。藤井七段も覚えたのは5歳でしたから、ほぼ同じくらいの歳に将棋と出会ったことになります。

ただし、両者には決定的な違いがありました。

藤井七段がすぐに日本将棋連盟の研修会に入会したのに対し、加藤九段はすぐに周りの子どもたちに負けなくなったことが原因で、将棋から離れてしまったのです。

後の「天職」となる将棋に目覚めたのは、藤井七段が奨励会に入った学年である小学4年生の時。藤井七段が奨励会に入った歳と同学年で、新聞に掲載されている観戦記(※将棋の解説や対局描写を棋士や記者、作家などが書いたもの)と詰将棋に感銘を受け、将棋にのめりこんでいきました。加藤九段によれば、この頃の棋力はアマ初段くらいだったといいます。

そして、再開して間もなく、3級で関西奨励会に入ります。

再開直後に奨励会入りというのは驚きですが、もうひとつ驚くべきは、藤井七段は小4で奨励会に6級で入会するまで、ひとつ手前の「研修会」で研鑚を積んでいたのに対し、加藤九段は再開から奨励会入会までの間(もちろん再開するまでの期間も)、特別な勉強をしていないというのです。(※研修会は、加藤九段の修行時代には存在しませんでしたが)

奨励会の6級が一般的にアマ四~五段クラスと言われますので、アマ初段から奨励会3級への棋力アップは信じがたいような急成長なのですが、「勉強をしなかった」というのが本当であれば、もはや「天賦の才があった」としか説明のしようがありません。

次回は、棋界初の中学生棋士となった加藤九段の世間の反響をご紹介します。