平坦ではないけれども自転車で巡る
沖縄の島々には、山がちな島と平坦な島とがある(沖縄本島や石垣島のように両方の性格を持つ島もあるが)。平坦な島は基本的に全島が隆起サンゴ礁でできたところで、八重山でいうと竹富島や黒島などがそう。これらの島は高いところでも10mとちょっとだから、自転車で周るのもつらくない。
しかし隆起サンゴ礁の島でも波照間のように平坦でないところはあるし、石垣、西表といった山がちでかつ大きな島となると、自転車で隅々まで巡るのは至難の業(そもそも西表は道がないところも多いし……)。ほとんどスポーツの世界である。
ここ与那国島も、起伏が多く、周囲のほとんどは崖。平坦とは程遠い。さすがに高山こそないけれど、島内の至るところが坂だらけだから、レンタサイクルは案外堪える。これはまあ、与那国の旅の常識みたいなものにもなっている。
しかしそれはそれ。レンタカーやレンタバイクも悪くないが、それではお昼に食堂へ寄って"オジー自慢の(by BEGIN)"オリオンビールを飲むこともできなくなってしまう。そもそも僕は、沖縄の一人旅では基本的に自転車か徒歩だ。
久部良で自転車を借り、前回書いたように最初に日本最西端の西崎へ向かったが、その後、夕刻にふたたび西崎へ赴くまでは、ママチャリで起伏の激しい島内をあるいは進み、あるいは止まりつつ、ゆったりと周った。久部良から祖納までは5km強の道のりだけれど、やはり坂ばかり。体力にはそれなりに自信がある僕でも、それなりに疲れた。
爽快に走った後は、名物の昼ごはん
10月とはいえまだまだ強い陽射しの中、まず与那国の悲痛な歴史を伝える「久部良バリ」を訪れた。それから、与那国馬がくつろぐ北牧場や与那国空港の脇を抜け、切り立つ崖・ティンダハナの麓を爽快に飛ばし、先ほどまで滞在していた祖納の集落へ戻ってきた。時刻は正午を過ぎたところ。何だか腹の虫が騒ぎ出したので、お昼ごはんとした。
久部良バリとは海岸の崖上にある裂け目。薩摩藩に課された過酷な人頭税に苦しんだ時代、人減らしのため妊婦を跳ばせた。無事跳べても流産、悪いともちろん死ぬ。なんとも悲しい歴史である |
祖納集落のすぐ西にそびえる断崖、ティンダハナ。ミニ・ダイヤモンドヘッドといった雰囲気も(多少は)ある。15世紀、与那国の伝説的な女性指導者サンアイ・イソバが住んでいた場所という。登っていけば祖納の町を見下ろせる展望台がある |
与那国島の食の名物といえば、カジキ、カツオ、そしてヤシガニ。「国境」と書いて「はて」と読むいかにも与那国風な名前を持つ食堂(ビヤガーデンと書いてあるが)で、ヤシガニそばをいただいた。もちろん、オリオンビールをグイッと一杯やってから。
ヤシガニそばは、ヤシガニのカニミソからとったダシのスープで、麺はいわゆる沖縄そば。圧巻は、なんといってもヤシガニの手足が数本入っていること。もちろんヤシガニの肉も(ちょっぴりながら)食すことができる。
僕はかつて、ヤシガニを八重山のとある島で捕まえた経験がある。「ヤシガニ取りにいかないか」と声をかけてくれた島人の先導で、雨上がりの夜、漆黒の闇に包まれた森に入ったことがある。人間の指をちぎるほどの強力なハサミを持っているから正直怖かったが、格闘の末まあなんとか確保。捕まえた後は、さっそく茹でてもらって、何匹も食べた。那覇の市場なら1匹1万にも及ばんとする代物を、しかも自分で捕まえ、自分で食べるとは、実にゼイタクな体験だった。
「国境」でいただいたヤシガニそば(1,200円)。夜にはヤシガニ料理(要予約)やヤシガニ&カジキのフルコースも食べられる。ただこの季節、ヤシガニはシーズン外れのため(6月前後がベストシーズンとのこと)、4,000円~と少々お高くもあるので、今回はそばのみでガマン |
"端"にまつわる思いと歴史
さて、「国境」のすぐ近く、「民宿おもろ」に僕は前日宿泊した。「おもろ」では、宿泊していたのは僕も含めて5人で、全員が関東からきていたようだ。"日本の端"を意識して訪れた人もいた。
横浜に住む山田敦子さんは、八重山、とくに波照間島が大好きとのことで、僕と同じく与那国は初来島。「日本の端ってどんなところだろうと思い、やってきた」という。
波照間も一般人が普通に行ける日本国土としては最南端で、端っこという点では共通しているけれど、与那国の場合はやはり台湾の存在感が大きい。波照間とはまた異なる最果て感、海のあちらに台湾があるという意識が、与那国のイメージを特殊なものとしているのかもしれない。
「端っこということで無意識のうちに、何か特別でわかりやすいものを求めていたのかもしれませんが、べつにそういう具体的なものはありませんでした、ただただ剥き出しの自然に圧倒されました」。
そう語る山田さんだが、与那国に着き、町を歩いて「ほかの八重山の島とはどこか違う」と感じたそうだ。実は僕も、前日空港から祖納の集落に着き、歩いていた際に、そう感じた。どこが違うのか具体的には言えない。でも、たしかに違う。もしかしたらそれも、"台湾に近い日本の最西端"という思いが無意識のうちに生み出したものなのかもしれないけれど。
……けれど、実際にきてみないとわからない、そして実際にきてみてもうまく言葉にできない何かを、山田さんも僕もこの島に感じたことは、確かな話である。
「やっぱり"端"だからね、いろんな人がくるよ。聞いた話だけど、昔は逃げてきた人も多かったみたいね」。
「民宿おもろ」のおかみさんも、そう言っていた。
「この島までやってきて、さらに台湾へ逃げた人もいたんですか? 」 「さすがにそれは知らないけどねぇ(笑)。でも、この島には"はいどなん"という伝説があってね。"どなん"は与那国で、"はい"は南のことだけど、与那国のもっと南に伝説の島があるという、まあ憧れもあったんだろうねぇ」
"端"に対する憧れもあったろう。そして、もっと現実的に、厳しい人頭税から逃れる目的もあったのかもしれない。単なる"端の夢"だけでは語れない歴史がここにあるのも、また確かな話である。
60度花酒を試飲しつつ、台湾を……
与那国といえば、もちろん泡盛も忘れちゃならない。西の端とはいえ琉球文化圏であるからして、泡盛がある。しかも、与那国は日本で唯一、アルコール分60度の泡盛造りを国から認められた島なのだ。
タイ米と黒こうじで造る泡盛は酒税法上、芋焼酎や麦焼酎、黒糖焼酎などと同じく「焼酎乙類」に分類される。しかし焼酎乙類は最高で45度以下と決まっているため、与那国の60度の泡盛はスピリッツと分類されている。
与那国ではこの60度泡盛を「花酒」と呼んでいる。ハナは元来「花」ではなく、最初を意味するハナであったそうで、つまり泡盛造りの初めに生まれる度数の高い酒のこと。与那国では伝統的に度数の高い泡盛が造られ、冠婚葬祭で使われるなど文化的に大きな役割を持っていた。それゆえに、与那国だけが60度の泡盛を造ることを認められたわけである(黒糖焼酎の製造が奄美諸島のみで認められているのも同じような理由)。もともとはさらに度数が高く、80度ほどであったらしい。
与那国を代表する花酒として全国的に知られるのが「どなん」。国泉泡盛が造る酒だ。このほかにも入波平(いりなみひら)酒造の「舞富名(まいふな)」、崎元酒造所の「与那国」といった銘柄がある。今回は舞富名(「まいふな」は与那国の言葉で"孝行者"の意味だそうだ)を造る入波平酒造を訪れ、工場見学、そして試飲をさせてもらった。
花酒自体は那覇などでも飲んだことはあるけれど、本場の与那国で飲むとやっぱり気分が違う。最初はストレートで、次は5:5の水割りでいただいた。「半分で割ると30度ですね~」。見学から試飲まで案内してくれた女性社員がにこやかに言う。たしかに、そのとおりですが……。
見学の途中、その女性が 「ここから台湾が見えるんですよ」とほほ笑みながら、工場奥の窓を指さした。 「へぇ~、いいですねぇ。どんな感じで見えるんですか? 」 「えーと……実はまだ見たことがありません(笑)」
彼女はここで働いて2年半ほどになるそうだが、それでも一度も見ていないとのこと。台湾への道はやはり相当厳しそうだ。
与那国空港の近くにある入波平酒造の工場。無料で見学、試飲できる。試飲では、お姉さまが「舌の上で転がすようにして飲んでくださいね。いきなり飲み込むとノドが焼けます」と丁寧にガイド。それもたしかにそのとおりです |
次回の与那国後編では、いよいよ憧れの台湾眺望に迫りたいと思います。