「お金持ちと結婚する」、というのは、男女ともに「うらやましいこと」と思われています。玉の輿とか、逆玉の輿と言われたりします。確かに、不景気真っ盛りの今の日本では、誰もが仕事の先行きや、自分の未来についての経済的な不安を抱えています。「お金持ちとの結婚」が、その不安を解消してくれる魔法のカードのように見えてもおかしくありません。「結婚によって、生活が保障される」ということが、大きな魅力に見える人も多いでしょう。

私も、仕事の先行きや経済的な不安はあります。出版不況ですし、ライターなんていうカスミを食べて生きてるような職業を、いったいいつまでやっていけるんだろう……と考えると、「支えが欲しい!」と心で叫びながら、長い付き合いの羽毛枕に顔をうずめて泣く夜もあります。

でも、今どき、経済的に「絶対と言える安心な保障」なんて、ほとんどないに等しいと思うのです。働いている者の実感として、「絶対に安心・安定」と言える職業はとても少ないし、あったとしても本人がそれを「辞めたい」と思うことだってあるはずです。

男であろうと、女であろうと、一方的に自分の側だけを経済的・精神的・家事などの面で「支えてほしい」「支えてもらえる」という考えは、私は好きではありませんし、「いざというとき、病気など何かあったときに、働き手が家に二人いる」という以上の保障を結婚に求める気持ちはありません。でも、本当に求めている保障は、それだけなのでしょうか。

「人妻」という保障

初対面の人が大勢いるような場所で、「結婚してるの?」と訊かれることがあります。その瞬間、微妙な緊張感が場に流れるのを感じます。「してません」「じゃあ、彼氏は?」「いません」……。このあとの周りの、気遣いに満ちた空気は、なかなかつらいものがあります。

「でも、あなたならすぐ相手が見つかるよ」「結婚、あまりしたいと思ってなさそうだもんね」などのフォローの優しさに申し訳ない気持ちになったり、さらに微妙な気持ちになったりでいたたまれない気持ちにもなりますが、私が一番「きついな」と思うのは、周りの人たちに「現役の女扱いしなければ失礼だ」という緊張感が走ることです。

もっとも、これはその場が非常に優しさに満ちた空間である場合で、そうでない場合は露骨な「終わってるオバサン」扱いをされたり、それを前提とした毒舌ジョーク的なものを飛ばされたりして、さらにきつい状況に陥ります。

そういうときに思うのです。「私が人妻だったら、どんなにいいだろう」と。結婚していれば、誰かの妻なわけですから、そういう人を恋愛対象や性の対象として見るのは失礼だ、という常識が世の中にはあります。

その反面、独身であれば、ただの「女」ですから、こちらがどういうつもりで生きていようと、女としての市場価値を値踏みされることから逃れることができないのです。 結婚している女性でも、「女」として見られることはもちろんあるでしょう。でもそこには、「でも、結婚しているし」「一人の男性に、一生を共にしたいと思われている女性だし」というワンクッションが挟まっている気がするのです。独身にクッションはありません。

女として、年齢や外見で値踏みされていると感じるとき、「ああ、もう、こういうのからイチ抜けたい」と、つくづく思います。値踏みすることから、一生逃れられないのだとしたら、せめてワンクッションの保障が欲しい……。私はそう思うのです。

<著者プロフィール>
雨宮まみ
ライター。いわゆる男性向けエロ本の編集を経て、フリーのライターに。その「ちょっと普通じゃない曲がりくねった女道」を書いた自伝エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)を昨年上梓。恋愛や女であることと素直に向き合えない「女子の自意識」をテーマに『音楽と人』『POPEYE』などで連載中。

イラスト: 野出木彩