文明のゆりかごといわれ、古い歴史を持つ国、中国とインド。いまは宇宙開発大国になっていますが、2000年とか3000年前にも、宇宙についてイロイロ考えていました。いまから見たら、フームな感じではありますが、生活に直接役立たない宇宙を考えるってのは、なかなか愉快な話ですね。いつも、役立たんことばかり調べている不肖・東明がご紹介しちゃいますよ。

まず、宇宙という言葉は中国製です。2000年あまり前の本「淮南子(えなんじ)」にでてくるんですな。そこでは、「宇宙の宇が空間、宙が時間で、時空の広がりが宇宙だ。」と言っています。空間だけでなく、時間をいれている。これは地味にスゴイことでございます。時間は目に見えませんからねー。見えないものについて考えるのは、かなーり難しいです。それを何か映像とか、数式のように見える形にしないと、現代人でもわかりません。わかる人も他人に説明しにくいですからね。人口が少ない古代にもスゴイ人たちがいた。そして、そうしたスゴイ人(ある意味、変人)が大事にされ、発言、記録をする機会があった、という話でございますな。

さて、そんな古代の中国では、宇宙そのものがどうなっていたのかについても考えていました。大地と空、目に見えるものすべて、その変化の様子を、どう全体からとらえるか? ということです。これは、実はスゴく難しくて、部屋の中にいながら、外からみた家の姿がどうなっているのか、想像するようなものなんですね。

そんな古代の中国人は、いくつかの宇宙についての考え、宇宙観を共有していました。最初、古くにあったのが、大地と海の上に、土鍋の「ふた」のような空が覆って浮かんでいるという「蓋天説(がいてんせつ)」でございます。土鍋の「ふた」には、太陽やら月やら星がはりついていて、横にぐるぐるまわります。適当な絵があるかな……意外とない…・・・下手な絵ですが、こんな感じです。

「蓋天説(がいてんせつ)」のイメージ

なかなかダイナミックな、まさに「動く」宇宙観でございます。ちなみに蓋というのは、ずばり「ふた(蓋)」のことですな。

ただ、この蓋天説を見ていると「太陽沈まないじゃん」という素朴な疑問がわきあがります。宇宙観は、今見えている宇宙をちゃあんと説明しないといけませんからねー。どうなっているんやと。で、古代の中国人の答えなんですが、こうです。

「ふた」がぐるぐるまわるやろ。太陽が「ふた」の片隅にはりついているやろ。太陽の光は、スポットのように、限られた範囲を照らすねん。ほんでな、「ふた」が動いて、太陽が遠くなったら、太陽が見えなくなるねん(なんで関西弁?)。太陽が遠くなると、影が長くのびるやろ、それが夕方や……いちおう、説明はできているんですな。

ただ、技術の発達は、こうした考えに対して、ノーをつきつけました。それは、望遠鏡が発明されて、地球が全世界の中心じゃない、木星のまわりをまわる星があるじゃないか、ってなのと同じです。

技術の発達で作られたのは、地球儀の枠だけになったような「渾天儀(こんてんぎ)」という道具です。岡山県にある美星天文台には、その模型があります。

美星天文台の渾天儀の模型 (出典:美星天文台Webページ)

まあ、まんなかから覗いて、天体の地面からの高度や方位を計る機器ですな。これで調べていくと、太陽は、空にあるカーブした線を、一定のペースで動いていく、ということが、はっきりしちゃいました。それをおいかけたら、太陽は地平線の下にもぐっても、一定のペースで動き続けるとなるんですなー。

そこで「ふた」がぐるぐると横に回転するのは、おかしいんじゃないかとなって、でてきた宇宙観が「渾天説(こんてんせつ)」でございます。これは、空はボールの内側のようなもので、大地をぐるりと取り囲んでいます。そして、大地は水(海?)の上に浮かんでいて、ボールの下半分はみなぎる水がたまっている。太陽がこの水の下で進行しているときが夜という考えでございますな。これまた下手な絵ですが、こんな感じでございます。

「渾天説(こんてんせつ)」のイメージ

こちらのほうが、ズバリ日常のことを示せたのですが、まあ、水の上に大地が浮かんでいるってのがどうもねえ。蓋天説ファンの王様がなかなかクビをたてにふらなかったなんて話もございます。そのほか、無限に宇宙が続いているという、現代的な宇宙観もありましたが、なかなか広まらなかったようでございます。

さて、一方で、インダス文明ができた古代インドではどうだったのか、ニューヨークの図書館にある図像が有名でございます。亀やら象の上に、大地が乗っていて、蛇(宇宙竜)が空をささえています。中央には山がありますね。ヒマラヤ山脈があり、地震が多いインドならではの宇宙観なんでしょうかね。ただ、この説は、ポピュラーなのですが、出典がはっきりしないのだそうですな。インドの古代史に載っているとされているのですが、そこはどうも「?」だそうです。京都大学(研究当時)の廣瀬先生がそんな論考を出しています。古代の複数のインドの宇宙観をごたまぜにして「古代のインドの宇宙観について、こんな風に後のわしらは想像してみた」ということみたいですね。

ま、ここでは「間違っている-!」というのではなく、古代インドは、こう想像されるだけの、何がしかの宇宙観があったと言いたいのでございます。ぴったり同じではなくても(だいたい古代のことで記録がなければわからない)、象徴するような図柄だということですね。

また、インドで起こった仏教では、須弥山(しゅみせん)という宇宙の中心にあるという考えが広く受け入れられていたようです。日本にも仏教とともに伝わって、須弥山儀なんてものが作られたりもしました。京都の龍谷大学の展示室にあるそうですよ

ということで、今回は、古ーい話をしてみました。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。