オフィスに必ずあるPPCコピー機。これがないと困りますよねー。ホント、画期的な発明ですが、その発明者は……え? だれだっけ? ですなー。PPCコピー機を工業生産した会社、ゼロックスは知られていますね。でも発明者のチェスター・F・カールソンという名前は知られていません。というか、白状しますと、ワタクシも知りませんでしたよ。ということで、今回は、PPCコピー機の発明について、ちょっと調べてみましたよ。知られざる発明家の努力は、空回りを続けた期間が長かったようです。

2016年に公開された映画「シン・ゴジラ」。ヒットしましたねー。また、かなーり話題になりました。「現実」vs「虚構」というコピーもありました。で、プチ・ネタバレですが、現実側の武器として登場したのが「コピー機」だったという声が大きいですな。情報共有し、作戦を練るための道具として、事務方が使う「武器」ということでございます。これは、たしかにうなずけるところでございます。

さて、コピー機、正確にはPPCコピー機、PPCってのは、plain paper copierで、まあ、「フツーの紙」に「複写する」機械くらいの意味ですな。当然ながらPPCじゃないコピー機というのも存在します。いわゆる「青焼き」といわれるジアゾ・コピー機が一例です。その前には「青写真(日光写真)」もよく使われていました。いずれも、原稿とコピー用紙を密着させ、光化学反応を利用したコピー機でございます。電気があまりいらない省エネでもあります。大判の図面などのコピーによく使われてきています。この辺のお話、かなりおもしろいんですが、またの機会にいたします。とりあえず、こちらとか、こちらあたりをごらんくださいまし。

さて、PPCコピー機でございます。いま、私たちがふつうにコピー機というヤツです。こちらは化学反応も使うのですが、主として静電気を活用しています。原稿とコピー用紙は密着しません。いったん感光板に像を作るのがポイントです。実際どうするかというと……

  1. 感光板全体にプラスの静電気をため
  2. その感光板に原稿の像を映し、像の光があたる。つまり白いところのプラスの静電気の強さを弱め
  3. 結果、原稿だと黒い場所が、感光板のプラス静電気が残る場所になる
  4. そこに、マイナス静電気を帯びた粉(トナー)を振りかけて吸い付けさせる
  5. その感光板についたトナーを、コピー用紙に転写
  6. トナーを熱でコピー用紙にかためる

という順序をふみます。

この複雑な組み合わせを発明したのが、アメリカの発明家で弁護士でもあった、チェスター・F・カールソンさんなのでございます。彼は1933年に特許関係の事務所につとめます。そこでの仕事は、特許資料の手書きの複写でした。毎日毎日資料の複写をしていて、イヤになったのですな。彼は、もともと「発明とかで成功して悠々自適に暮らしたい」なんて思っていたわけです。そして、コピー機を開発しようと思い立ったのでございます。

彼は上に書いたようなPPCコピーの方法を思いつきましたが、マア、それを実現するための素材の組み合わせに大変な苦労をしたそうです。来る日も来る日も自宅のキッチンで、静電気を保持し、光でそれを失う物質の研究に取り組みました。固体のなかでは硫黄がその性質が強いので、硫黄をこねくりまわしつづけたんですな。で、硫黄は臭いですよね。周囲にはかなり評判が悪かったそうです。あまりにも変な匂いがするので、様子を見に行った大家の娘と結婚したという逸話があるんだそうですな。

さて、そうこうしているうちに、ついに成功の日がやってきます。1938年10月22日のことでした。

  1. 亜鉛の板に硫黄を塗った感光板に、ハンカチをこすりつけて静電気を発生
  2. ガラスの板に日付と「研究所」のあったASTORIA(ニューヨークのクイーンズ地区の地名)と書いたものを感光板にたてかけ、光を照射
  3. ガラス板をとりはずして、感光板にコケの胞子をふりかけ
  4. コケの胞子まみれの感光板にワックスペーパーをつけ
  5. ワックスペーパーを熱してからはずしたところ

で、見事、コピーに成功したのですな。その史上初のPPCコピー成功の写真が、ゼロックスのWebサイトに載っています

史上初のPPCコピー成功の写真 (画像提供:Xerox)

カールソンさんは、この成功を持って、製品化のための開発に動きだします。画期的なことですから、もちろん引く手あまた……には、ならなかったんですな。まず彼の助手は、こんなもので大喜びをしているカールソンさんを見限り、IBMに就職してしまいます。

カールソンさんは、IBM、RCA、ゼネラルモータース……と12社の企業をまわり、開発資金を得ようとします。が、どこからも見向きもされません。そして、仕事をしながら、かつ弁護士資格をとってサラリーをあげようと学びつつ、研究開発をつづけます。その後1942年に特許を得ますが、やはりどの企業も見向きもしません。ちなみに、彼への援助を断ったIBMの2代目社長のトーマス・ワトソン・ジュニアは「逃してしまった一番大きな魚」と後に言っているそうでございます。

そんな折、ようやく1944年に資金援助をえましたが、なかなかモノになりません。1945年には、ついには、奧さんに離婚されてしまいます。ちなみに資金援助したバテルは40%の取り分を契約し、後に大金持ちになっています。ただ、このころのカールソンは極貧生活になっていたそうです。

もうダメというときに、ハロイドがカールソンの発明に興味を示し、1946年にPPCコピー機のライセンスを購入。ゼログラフィ(乾燥・写真)という名前をつけ、カールソンは共同でPPCコピー機の開発をはじめたんですな。で、いくつかの製品を出していきますが、あまりパッとしませんでした。わずかなロイヤリティでカールソンは貧乏ぐらしを続けながら研究開発をしていたそうです。ハロイドはカールソンを雇わなかったんですね。

で、ようやくモノになったのは……1960年! 最初の成功から23年、特許からでも18年、このゼログラフィ・PPCコピー機はようやく大成功します。ハロイドは、1961年に社名をゼロックスと変更。カールソンもようやく大金持ちになります。が、彼はそのお金を匿名の慈善事業などに使い、1968年には亡くなってしまいます。うまれが1906年ですから、研究開発だけをした人生といってもいいでしょうね。

いまや、社会にも、ゴジラ対策にも、なくてはならないPPCコピー機ですが、発明者も知られず、静かに社会を支え続けているわけでございますなー。そんな発明や発明家、世の中には結構ありそうですね。

著者プロフィール

東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。