漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。

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今回のテーマは「YouTube」である。

小学生の将来の夢に「ユーチューバー」がランクインして、良識ある大人が発狂している昨今である。

最近の子どもや若者はテレビよりもYouTubeを見ていると良く言うが、私もテレビよりも圧倒的にYouTubeを利用している。

単純に自分の部屋にテレビがないから、という理由だけではない。基本的に私はテレビをあまり見ることが出来ないのだ。

おそらく世の中には私のように、YouTubeは利用できるが、テレビは見られない、という人がいると思う。

さらにその中には「YouTubeも『見ろ』と言われたらムリ」という人もいるはずだ。

逆に見る以外でYouTubeを何に使うのか、食うのか、と思うかもしれないが、私は主にYouTubeを聞くのに使っている。

仕事をする時のBGMとしてYouTubeを流しているのだ。

これがテレビとYouTubeの大きな差で、テレビ番組は基本的に画面を見ることを前提として作られているが、YouTubeは動画と言いつつも、音だけ聞いていれば事足りるものも多くあるのだ。つまりラジオとしても使えるのである。

よって、YouTubeもテレビのようにじっと画面を見続けろ、と言われたら、すぐさま目の前の綿埃を追いかけ、そのまま木から木へと飛び移り、どこかへ消えて行くと思う。

YouTubeは私のように、気づいたら蛾を蝶と思い込んで追いかけてしまう落ち着きのない人間でも、テレビよりは長く集中できる仕組みになっているのだ。

「永遠にザッピングできる」

これがYouTubeの強みである。

落ち着きのない人間に対し「答えはCMのあとで」などと言うのは「来世で会おう」と言っているのと同じなので、当然待つわけがない。

よって、テレビをつけた瞬間から超高速でチャンネルを変えまくるわけだが、テレビ番組というのは数が限られており、特にオラが村は3チャンネルぐらいしか映らないので、10秒ぐらいで一巡してしまう。

そして、三巡ぐらいしたところで、リモコンを放り投げ、部屋に吊るしてあるタイヤにぶら下がりはじめる。

これが落ち着きのない奴のテレビ鑑賞であり、所要時間は3分程度だ。

対し、YouTubeに投稿されている動画は無数にあるため、ザッピングし続けることにより1時間ぐらい時間を潰せるのである。

これはもはや「1時間YouTubeに集中していた」と言っても過言ではないだろう。

ただ逆に言えば、何の情報も得ずに1時間を空費し、眼精だけを著しく疲労させることに成功したとも言える。

動画1本あたりの時間が短く、飽きたらすぐ違う動画に変えられ、無限に変え続けることができる、というのは、実に何らかの罰で神に落ち着きを奪われて生まれて来た我々向けである。

しかし逆に言うと、そういったツールに慣れ親しむことにより、現代人は集中力が失われていっているとも言える。

映画館でスマホを見るのは明らかなマナー違反だが、最近では「スマホを2時間見るな、などという無茶を言う方がおかしい」などという声も大きくなっているぐらいだ。

もはや2時間1つのことに集中するなど無理ゲーになりつつあるのである。

ネット普及以前から2時間もたない俺たち知性を奪われたチンパンジーたちの時代が来た、と言いたいところだが、私のようなタイプが増えるというのは、普通に国のクオリティが下がる、ということだ。

「君はこの件どう思う?」と聞いたら、すでにそいつはジャングルでバナナを食っているため、話し合いというものが困難になってしまう。

こういうと、ネットやスマホは害悪だから規制した方が良いという話になってしまいがちだが、子どもから文明の利器をむやみに奪うのもある意味チンパンジーである。

ネットもYouTubeも便利で楽しいコンテンツなことには変わりない。

それを使うのを禁ずるのではなく、適度に使用すること、そして他でどう集中力を高める訓練をしていくかを考えた方が良いだろう。

個人的調べによると、ネット疲れした人間は、高確率で瞑想をはじめたりホワイトノイズを聞きはじめたりするので、ネットによる集中力減退を感じる人は、1時間スマホを触ったあとは10分瞑想、などしてみたら、大分違うのではないかと思う。

だが、そう言われると早速、YouTubeで瞑想音楽を探して、1時間ぐらい無限にザッピングしてしまうし、ホワイトノイズを出す機器を求めて、アマゾンページを永久に彷徨い出すのが俺たちである。

現在香川のゲーム・スマホ規制条例が話題である。

行政がゲームの時間を規制するのが良いとは言えないが、ここに取り返しがつかなくなった大人が事実いる以上、子どもがネット依存に陥らないための方法は考えていくべきだとは思う。