漫画家・コラムニストとして活躍するカレー沢薫氏が、家庭生活をはじめとする身のまわりのさまざまなテーマについて語ります。
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今回のテーマは「人間ドック」である。
会社勤めとフリーランス、どっちが良いか、というのは労働者の永遠の議題かもしれないが、両方やった身からすると「両方悪い」。
形態は違えど両方仕事であることには変わりがないのだ、そんなのドライな耳クソとウエットな耳クソ、どっちが良い、と言っているようなものだ。
どっちも耳クソなのだから、もはや「好み」で選ぶしかない。
つまり仕事というのは「みんなちがって、みんなわるい」という逆金子みすゞ状態であり、悪さの質が違うだけだ。
では「健康」については、どちらが悪いだろうか。
答えは「両方悪い」。
何故なら、仕事自体が有害物質だからだ。
「労働」という行為自体が完全に毒なのだ。職種なんてものは「甘いヒ素と辛いヒ素、どっち飲む? 」程度の差しかなく、これもまた「好み」で選ぶしかない。
一般的には、フリーランス、特に漫画家は「徹夜」「運動不足」など、不健康なイメージが強いと思う。
だが今では会社員でも「ブラック企業」に入ってしまえば、睡眠時間はもちろん不足し、レッドブルのプルタブを開けるのが唯一の運動ということになってしまう。
「身体への有害さ」だけは、昔に比べ、会社員もフリーランスも平等になりつつあるのだ。これは昨今の「格差社会」においては「朗報」と言っても過言ではないだろう
だが、フリーランスの場合、不健康になるか否かは本人の「健康に対する意識」によって大きく変わってくる。
会社員と違い、定期健康診断がないので、意識が低いものは病気にすら気づかず、気づいた時はもう手遅れということもある。
だが健康に気を使いたくても、会社の拘束時間がキツくてできないという会社員と違い、フリーランスの時間というのは、全て自分の采配通りだ、健康になろうと思えば無限になれるはずなのだ。
そして、最近フリーランス界隈で、健康への意識の高まりを感じる。
ツイッターなどを見ても「ジムに入会した」というフリーランスが非常に多く見られるようになった。
しかしこぞって通っているかどうかは不明なのだ。中には「入会した」以降続報がない者すらいる。
だが、これは会費を「寄付」することにより、健康業界のさらなる発展を祈っているという慈善事業だ。
むしろ「会費の元をとらなければ」などというさもしい理由で、足しげく通い、健康になったり、まして筋肉をつけたりするなどというのは、逆に「意識が低い」
そして私は、運動もしていなければ、寄付もしていない、最底辺の人間である。
ついでに言うなら健康診断にも1年以上行っていない。
典型的、急死したことが場末のネットニュースに載り「誰? 」と言われるタイプの漫画家だ。
会社員の良い点は、最低限の健康診断は福利厚生として受けさせてもらえる点である。そしてさらに良いのが、半強制的に行かされるという点だ。
世の中には会社の金で健康診断に行っていいよ、と言われているのに何故か受けに行かない、不思議極まる人間がいるのだ。
そういう人間は健康診断の期限が近づくと、会社の健診担当から「健康診断に行かないなら殺す」という「健康か死か」の二択を迫られる。
大体の人間が「健康」を選ぶので、健康意識が低い人間でも会社員なら年一の健診だけは受けることができるのだ。
つまり、毎回健康か死か迫られていたタイプの人間が、フリーランスになると「死一択」になる、ということである。
フリーランスになると、仕事を自分で管理しなければいけなくなるが、管理しなければならないのは、仕事だけではない、健康、生活など「全て」なのである。
よって、管理能力のある人はフリーランスになると健康になり、ちょっと目を離した隙にマッチョになっているのだが、管理能力がない人間がフリーランスになると「宇宙に行ってきたのか」というぐらい身体を衰えさせてしまう。
この「管理能力がない」というのは決して、怠惰という意味ではない。
フリーランスには「定時」や「休日」という概念がないため「今日これ以上は仕事しない」「明日は休む」という「働かない」ことを決断するのも自己管理のうちの一つなのだ。
そこがぶっ壊れているフリーランスというのは「仕事の止め時」というものがわからないので、休息はもちろん「仕事以外のことをする時間」が作れず、家がゴミ屋敷化したり、社会性が著しく失われていったりする。
「フリーランス」と聞くと、マックブックプロを片手にスタバで余裕のある仕事をしているイメージかもしれないが、管理能力がない人間がなると、石器片手にジャングルで18時間働いている、みたいな状態になってしまうのだ。
そして当然早死にである。
会社勤めは不自由である、しかし「ある程度管理してもらえる」という利点もあるのだ、スタバよりジャングルが近い人間は、そちらのほうが幸せかもしれない。