悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「頼まれると断れない」と悩む人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「頼まれると断れない性格をなんとかしたい」(35歳男性/営業関連)


上司や同僚から、もしくはプライベートで友人などからなにかを頼まれたりしたとき、断ることができないという方は少なくないようですね。

もちろん頼みごとの内容によっては、それを受け入れることで満足感が得られる場合もあるでしょう。しかしその一方で厄介なのは、「本当は気乗りしないのに」OKしてしまうというような状況。

今回のご相談もまさにそのパターンだと思われますが、別な表現を用いるなら、つい「いい人」になってしまうと考えることもできそうですね。

NOを言うトレーニングを

事実、診療内科医である『NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法』(鈴木裕介 著、アスコム)の著者も、次のように述べています。

  • 『NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法』(鈴木裕介 著、アスコム)

誰に対しても優しく品行方正な「良い子」であろうとする人は少なくありません。
そしてそのような人は、子どものときに、自分本来の感情を素直に表現したり、その感情を受容されたりした経験に乏しいという共通点があります。 自分よりも、自分を評価する「誰か」(多くの場合は親)の感情を優先する癖がついていて、その誰かの感情を先回りして感じ、その人にとってのベストな反応を得られるような感情だけを選び取り、自分が本当に感じていた感情は心の奥底に封印してしまっているのです。(「はじめに」より)

たしかにそうすれば、他者からの一時的な承認を得ることはできるかもしれません。しかしそれは自分のリアルな心根の部分を承認されているわけではないため、すぐにまた「誰かにほめられるなにか」をしていないと不安になってしまうわけです。

だからこそ、そうした「他人の感情を優先する生き方」から抜け出すことが必要で、そのきっかけのひとつになるのが"誰にも遠慮をしない、自分だけの「好き」を見つけて追求すること"。

それは、ご相談にある「頼まれごと」にも関連しているようです。気の進まない頼みごとや誘いを受けてしまうことは、自他の境界線や自己肯定感と深く関係していると著者はいうのです。

「相手への義理があって断れない」「一度断ると、人間関係や仕事に影響が出そう」と思ってしまうのは、相手への義理や相手との力関係によって、自分と相手との境界線があやふやになり、自分の領域が侵害されているためだ。
そして、「相手から『つまらない人』『ケチな人』と判断されそうで怖い」(中略)というのは、「頼まれごとを引き受けなくても、誘いに応じなくても、自分は自分であり、そのままで大丈夫」と、自分に対してOKを出せていないためだ。(188〜189ページより)

事実、自分を肯定できずにいる人は、望まない頼みごとを受けてしまう傾向が強いのだとか。

自分で自分にOKを出せない人にとって、他人をケアすることは命綱のようなもの。ただし、そうすることで一時的には「人の役に立てた」「存在価値が認められた」と満足できはするものの、やはり無理が生じてしまうはず。

自分よりも他人のニーズを優先し続けることで、さらなる自己嫌悪に陥るという負のスパイラルにハマってしまう危険性も否めないわけです。

では、気の進まない頼まれごとや誘いには、どう対処すればいいのでしょうか?

もしあなたが一度、自分の言動を振り返ってみて、「いつも頼まれごとを反射的に引き受けているな」「あの人の誘いには反射的に応じてしまっているな」と思ったら、次からは「ちょっと考えます」「ちょっと予定を確認します」と答え、タイムラグを作ることを習慣化させよう。(190ページより)

タイムラグをつくるのは、その頼みごとや誘いを受けるかどうかを検討し、断る場合に、できるだけ相手に不快感を与えない理由などを考えるため。

したがって頼みごとや誘いを受けるかどうかを検討する際には、余計なことは考えず、いったん自分の「快・不快」の感情に目を向けるべきだというのです。

頼まれたことをやっている自分、誘いに応じた自分をイメージしたとき、自分は楽しそうにしているのか、そうではないのか。
もし楽しそうでないなら、その頼まれごとや誘いは、基本的には断った方がいい。
しかし、いきなり片っ端から全部断るのはさすがに難しいかもしれないので、断りやすいものからNOを言うトレーニングをしてみよう。(191ページより)

そうして「意外と、断っても平気だった」「断るようになったら、いつも無理難題を押しつけていた人が離れていった」というような実感が得られたら、NOをいうことへの抵抗感は少しずつ減っていくわけです。

「逃げる」という選択肢を持つ

タイトルからもわかるとおり、『逃げる技術』(根本裕幸 著、徳間書店)の著者が強調しているのは「逃げること」の意義。それについて解説する前の段階として「逃げられない理由」にも触れているのですが、そのなかの「期待に応え続ける」という項は、まさに今回のご相談にあてはまるように思います。

  • 『逃げる技術』(根本裕幸 著、徳間書店)

他人からの期待に応える人生を送ってきた人にとって、逃げるという行為は、自分にかけてもらえた期待を裏切ることであり、最も許されない行動だというのです。

そもそも「期待に応える人生」は、自分に期待する人がいて初めて成り立つ生き方で、それゆえに「他人軸」(依存的とも言います)の生き方です。 つまり、実際は自分の人生を自ら選択することができない状態にあるのです。(36〜37ページより)

そのため、ひたすら「自分に期待されていること」を探し、その期待に応えることに尽力してしまう。しかし、期待に応えるだけの人生はやがて「いつまで期待に応えれば楽になるのだろう」という思いにつながり、ご相談のようにだんだんつらくなっていくということです。

そのため、逃げることも大切だという考え方。しかし、そもそも「逃げる」とはどういうことなのでしょうか?

私は逃げるということを「その場から一歩引くこと」と解釈しています。 それは決して弱いわけでも、卑怯なわけでもありません。時に戦略的に必要な手段であり、気持ちを整えたり、視野を広げたりなどの効果も見込まれる方法です。
(中略)「競争心」や「犠牲」「期待に応える」などの状況から一歩引くことは、自分を必要以上に追い詰めないためにも重要なことと言えるでしょう。(62ページより)

つまり「逃げる」という選択肢を持つことで、自分のなかに余裕が生まれるということなのでしょう。それは自分や自分の大切な人たちを守るために重要な戦略のひとつなのだといいます。

また、逃げることで態勢を整えることができるのであれば、それが前向きな選択になるケースもあるはず。そういう意味では、臨機応変に逃げることも必要なのかもしれません。

ところで、もしも「頼まれると断れないこと」が好きではないこと、やる気の起きないことだったとしたら、必然的に「イヤな気分」は残ってしまうものではないでしょうか?

「ムダなこと」を追求してみる

そこで参考にしたいのが、『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』(玉川真里 著、誠文堂新光社)。臨床心理士である著者が自身の体験に基づき、「イヤな気分の手放し方」「自分思考で生きるためのポイント」などを明かしたものです。

  • 『イヤな気分をパッと手放す「自分思考」のすすめ』(玉川真里 著、誠文堂新光社)

一例を挙げましょう。

やりたくない仕事を人から頼まれたとしたら、それを「ムダなこと」だと感じるかもしれません。仕方がないことでもありますが、必ずしもムダではないと著者は考えているようです。

人間は、役に立たないことをずっと続けていると、その時間がもったいなくなります。それを意味のあることにしたくなります。なぜなら、人間には、「無意味なことを有意味化して自分のプラスにしたい」という発想が必ずあるからです。
ですから、無意味なことをやり続けていると、今までとは違った発想が生まれたり、才能が開花することも十分ありえます。
というわけで、イヤな気分が解消できない人への私のおすすめは、今できる「ムダなこと」を追求してみることです。(31ページより)

「ムダなこと」だと感じながら臨んでいれば、どんな仕事でもつまらなくなって当然。けれども、あえて「ムダなこと」に力を注いでみれば、それ以前には気づかなかったことに気づけるかもしれない。その結果、視野が広がって新たな可能性が生まれることも考えられるわけです。

著者も、人から「そんなのムダだ」といわれたことも、「やるといいよ」とすすめられたことも、必ず両方やってみることにしているそう。なぜなら、人によってはムダでも、自分にとってはそうではないかもしれないから。

私の経験では、今までやってきたムダなことが、自分にとって一番役に立っているように思います。(21ページより)

そんなフラットな視点を持ち続けることも、「頼まれると断れない性格」と共存していくうえでは決してムダではないはずです。