悩み多きビジネスパーソン。それぞれの悩みに効くビジネス書を、「書評執筆本数日本一」に認定された、作家・書評家の印南敦史さんに選書していただきます。今回は、「親の老い」に備えたい人へのビジネス書です。

■今回のお悩み
「帰省して親もいつまでも元気ではないんだなと不安になりました。親の老いに備えてなにからやればいいでしょうか」(33歳男性/営業関連)


考えてみると、もうすぐ母の誕生日。あと少しで86歳になります。幸いにも元気なのですが、それでも「歳をとったな」と感じる機会は以前にくらべて増えてきたように思います。

年齢を考えれば当然なのですけれど、そんなこともあって、今回のご相談にもうなずけるものがあるのです。

ご相談者さんは33歳ということですから、親御さんもまだまだお若そうですけどね。しかし、それでも不安を感じる場面がこれからどんどん増えていくであろうことは間違いないでしょう。

親が老いるとは、そういうことだからです。

そしておっしゃるとおり、「親の老いに備えてなにからやればいいのか?」は非常に切実な問題でもあります。

## 年を取ると五感はどう変わるのか?

「年を取ってきたウチの親に、困っていて…」。こんな声がよく聞かれます。「同じ話を何度もする」「『自分なんていても邪魔でしょ?』って卑屈になっている」「すぐ忘れる」、こんなことがあると「認知症になったのかも…」と不安になるかもしれません。(中略)
そこで、親のためにと一生懸命尽くしたのに、「怒る」「言うことを聞いてくれない」なんてことも。つらい体験だと思います。ついつい自分を責めてしまうこともあるでしょう。でも、ご自分が悪いわけではもちろんありません。決して責めないでください。(「はじめに」より)

現役医師である『マンガでわかる! 老いた親との上手な付き合い方 白雪姫と七人の老人』(平松 類 著、SBクリエイティブ)の著者は、こう述べています。

  • 『マンガでわかる! 老いた親との上手な付き合い方 白雪姫と七人の老人』(平松 類 著、SBクリエイティブ)

いつか直面するであろう「老いた親の困った行動」への対処法を、マンガでわかりやすく解説した一冊。10万人以上の高齢者と接してきた実績を軸として、誰でも実践しやすい多くの知識や、すぐに役立つ"困ったときの対処法"を紹介しているのです。

また、気になる疑問に応えてくれるコラムの充実度も魅力のひとつ。ここではそのなかから、「年を取ると五感はどう変わるのか?」というトピックに焦点を当ててみたいと思います。

まず、朝起きて、朝食のためにパンを焼く光景を思い描いてみてください。

焼けたら、トースターが「チン」と鳴ります。パンを取り出そうとしたときには、うっかり熱い金属部に触れ、慌てて手を引っ込めてしまうかもしれません。

ともあれ、パンからは焼きたての香ばしい香りが漂ってきます。賞味期限を確認してからバターを塗れば、バターの香りも加わって食欲が刺激されます。かぶりつくと、口のなかいっぱいにおいしさが広がることでしょう。

一般的には、こんな感じではないでしょうか? ところが高齢になると、一変して次のようになるというのです。

朝起きようと思ったら、早く起きてしまいまだ4時で外は真っ暗。しばらく待ってパンを焼きます。まだ焼けないのかな? と思っていると、とっくに焼けていたようです。「チン」と音が鳴るはずですが、聞こえなかったから気づきません。パンをトースターから取り出して手を見ると、やけどをしていました。でも、見るまで全然気づきませんでした。パンからは、特にニオイは感じません。バターの賞味期限を確認しようとしますが、字が小さくてよく見えないから、まあいいだろうと塗りました。そしてかぶりつくも、ほとんど味がせずただ口に流し込んでいるような感覚でした。(29ページより)

これはひとつの例ですが、いわゆる「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」はすべて、年齢を重ねるごとに衰えていくもの。しかも均一に衰えるわけではありません。

したがって、しっかりと話を聞き、その人に合う方策を考えるべきなのでしょうが、そもそも意思の疎通も簡単ではないかもしれません。

だからこそ大切なのは、「こういうときにはどうしたらいいのか?」ということを判断するための指針。そういう意味で、本書には大きな意味があるのです。

弱った親と穏やかな関係をつくるために

『老いていく親が重荷ですか。』(スマナサーラ,アルボムッレ 著、河出書房新社)は、ブッダの根本の教えを日本人に説き続けているスリランカ上座仏教長老である著者が、ブッダの教えに基づいて介護のあり方を説いた書籍。特徴的なのは、介護を「老いて弱った親と穏やかな関係をつくるチャンス」だと捉えている点です。

  • 『老いていく親が重荷ですか。』(スマナサーラ,アルボムッレ 著、河出書房新社)

ブッダは出家であれ在家であれ、男でも女でも、すべての人々は日々、こう念じるべきだと説いています。
「私は老いる性質のものであり、私は老いという現象を乗り越えていない。同じくいっさいの生命は老いる性質のものであり、いっさいの生命は老いという現象を乗り越えていない」
あなたの目の前にいる親は、老いという揺るぎない生命の真理を体現している存在です。老いという事実を受け入れようとしない「無知」を克服せよと、言外にうながしているのです。(「親の老い、そして介護をどう受け止めるかーーはじめに」より)

介護には、精神的なつらさのみならず、「仕事と両立できるかどうか」「「経済的な負担をどうするか」などの問題も絡んでくるはず。

つまりは越えなければならないハードルが少なくないわけですが、「人生で起こることからは逃げられない」という認識を持つことも大事だと著者はいいます。

起こったことを粛々と受け止め、そのうえでできることをやっていくしかないのだとも。

将来、親の介護が自分の身に降りかかってくるかもしれないと不安を持つのは当然かもしれません。でも、その前に大きな地震に襲われるかもしれないし、自分が病気になり、倒れてしまう可能性もあります。
親が老いていくことは、誰にも止められません。
老いは自然の変化なのです。
そういう自分もまた老いていきます。
子どもの変化は「成長」だといって喜び、親の変化は「老い」といって不安になる。これは、人の身勝手な願望の投影であって、「生きること」の真理からかけ離れた態度です。
年をとると、体がだんだん弱くなり、いずれは誰かの助けを借りないとできないことが増えてくる。それは自然なことではないでしょうか。(19〜20ページより)

そう考えて理性で納得すれば、老いは不安の材料ではなくなるということ。そして結果的には、穏やかな気持ちで日々を過ごせるようになるわけです。

もちろん簡単なことではないでしょうが、こうした考え方を心のどこかに持っておくことは、とても大切なことではないでしょうか?

親のお金を知る

さて最後に、どうしても避けることができそうにない「お金」の問題に焦点を当ててみましょう。参考にしたいのは、『老後の心配はおやめなさい』(萩原博子 著、新潮新書)です。

  • 『老後の心配はおやめなさい』(萩原博子 著、新潮新書)

年齢を重ねていくに従って、親の老後、そしていつかは訪れる自分の老後についての不安はどんどん大きくなっていくもの。「自分に、本当に『親の介護』などできるのだろうか?」「そもそも、自分の老後は大丈夫なのか?」と、予測のつかない将来について考えるほど追い込まれていったりするわけです。

それは当然のことでもありますが、とはいえ諦める必要はないのだと著者は断言しています。

不安は正体がわからないから生まれるものであり、だからこそ大切なのは、まず親の老後を上手に乗り切ること。そのためにやるべきことを整理し、お金を軸にした具体的な戦略を立てさえすれば「親の老後に対する不安」は和らぐというのです。

たしかに戦略さえ立てられれば、やがてくる自分の老後についても具体的なビジョンが描けるはず。そうすれば、「自分の老後に対する不安」も和らぐわけです。

考えなくてはいけないのは、遠い先の老後ではなく、今、何をしておくか。 無駄に老後の心配をするより、今、確実にできることをする。豊かな老後とは、今の延長線上にあるのですから、まず足元から固めていきましょう。(「はじめにーー『いい人生』は『不安』解消から」より)

たとえばそのひとつとして、著者は「親のお金を知る」ことの重要性を強調しています。親がどれくらいのお金を持っているかによって、さまざまなことへの対処法は違ってくるからです。

親の老いが見えてきたら、まずはその現実を受け止めること。残りの人生を親と楽しく生きるには、なにが必要か考えておかなくてはなりません。
その中の大きな柱となるのが、「親のお金の状況」です。
「お金」の話というのは後回しにしがちですが、体が衰えてヘルパーさんに来てもらうにも、老人ホームに入居するにも、介護施設で面倒を見てもらうにも、ある程度のお金が必要になります。(19ページより)

また、親が普段からどんなお金の使い方をしているのかを把握できていれば、思いもよらない事態を未然に防ぐことができます。

たしかに、「お金はいくらあるの?」と親に聞くことはなかなか難しいことかもしれません。しかし、それが親の、そして子どもの将来的な幸せにつながっていくのです。