「ダンスじゃなくて歌のほうがいいと思う」――その一言が、アイナ・ジ・エンドの人生を変えた。さらに、自らに名付けた“終わり”を意味する名前には、過去の自分を断ち切り、新しい自分として生きる決意が込められていた。『徹子の部屋』で語られたのは、母の反対に揺れながらも父の後押しで上京し、路上ライブで夢を追い続けた原点の日々。何度も挫折しかけながら、それでも歌手の道を選び続けた理由とは。

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    アイナ・ジ・エンド

アイナ・ジ・エンド、母が明かした本名こ込められた願い「目の前に」

アイナは、25日放送のテレビ朝日系トーク番組『徹子の部屋』(毎週月~金曜13:00~)に出演。

昨年、『紅白歌合戦』にソロとして初出場を果たしたアイナ。かつてグループで立ったことのあるNHKホールについて、「魔物が住んでいます」と独特の表現で振り返った。グループ時代は緊張のあまり、「100回くらい歌っていた曲の歌詞を間違えてしまった」と明かす。

一方、ソロで臨んだ昨年のステージは特別なものだった。「ダンサーの中に妹もいるので、妹とステージに立って、客席には両親がいて、4人全員がNHKホールに」と語り、家族に見守られた舞台だったという。

現在31歳、日本のみならずアジアでも人気を集めるアイナが歌手を目指したきっかけは、高校3年生のとき。ダンス仲間からかけられた一言だった。「ダンスじゃなくて歌のほうがいいと思う」と背中を押され、進路を決意したという。

しかし、母はその選択に反対していた。

「お母さんは私に大阪を離れてほしくないと。大学に行って、安泰な人生を歩んでほしいということで、大学を受けてほしいと言われた」「近畿大学を受験して合格していて、入学金を払って上京をさせまいとしていた」と当時の状況を振り返る。

そんな中、父の一言が人生を大きく動かした。

「アイナがやりたい言うんやったら、やらせなあかんわ」

その言葉を受け、上京。夢を追う日々が始まった。

上京直後は、中野駅前の商店街で、通りかかる人に声をかけてリクエストを募りながら歌い続けた。厳しい生活の中でも、両親に頼ることはなかった。

「(大阪に帰ろうかと)毎日思っていました。歌手なんて目指すのをやめちゃいたいなとか思ったこともたくさんあります」と、葛藤の日々を振り返った。

番組では、両親からの手紙も紹介。母からは名前に込めた思いが明かされた。

「平成6年4月14日 私の中に新しい命が芽生えたと告げられた日。嬉しくてウキウキして歩く帰り道、目の前に菜の花畑が! この子の名前に『菜』という字をつけよう。生まれてくる子への最初のプレゼントは『名前』だから『愛情深く誰からも愛される子に』という願いを込めて『愛菜』と名付けました」

また、「アイナ・ジ・エンド」という名前に込めた思いについても言及。

「18歳の時に大阪から上京してきて。歌手になろうと思って日々バイトをしたり、路上ライブをしていたが、うまくいかなかった。なので、今までの自分を捨てて、新しい自分としてグループ活動を頑張りたいと思ったので、アイナを“終わらせて”始めようという意味です」と語った。

アイナの原点には、家族の思いと、自ら選び取った覚悟があった。

アイナが出演した25日放送の『徹子の部屋』は、Tverで4月1日まで見逃し配信中。

  • 映画『キリエのうた』イベントで歌唱するアイナ・ジ・エンド

    映画『キリエのうた』イベントで歌唱するアイナ・ジ・エンド

【編集部MEMO】
『徹子の部屋』は、1976年にスタートしたテレビ朝日系トーク番組。2026年で50周年を迎え、放送回数は1万2,000回を超えている。