
チリの国民的フォーク歌手、ビクトル・ハラ(Víctor Jara, 1932-1973)。社会正義を歌う彼の音楽は、抵抗のシンボルとして世界中で歌い継がれている。国際法を専門とするニューヨーク在住の弁護士、クリスティーナ・ヒオウレアスが語る、抵抗の音楽から私たちが学ぶべきこと。
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1973年9月11日、チリで軍事クーデターが起きた数日後のことだ。フォーク歌手でありギタリストでもあったビクトル・ハラは拘束され、ピノチェト独裁政権によって大規模な拘留施設へと変えられたスポーツ競技場「エスタディオ・チリ」に連行された。そこで彼は拷問を受け、処刑された。
拷問者たちは彼の両手を粉砕した上で、競技場内を引き回し、ギターを弾いてみろと嘲笑した。この残虐行為は象徴的なものだった。ハラは公人であり、その作品が民主主義への熱望や労働階級の地位向上と深く結びついたミュージシャンだった。彼の音楽は「千挺のマシンガンよりも強力」と言われるほどだった。彼を沈黙させることは大衆を黙らせることを意味していたが、そうはならなかった。
ハラの歌は、録音や記憶、そしてチリ国内および国外のコミュニティによって歌い継がれ、生き残った。彼が殺害されたスタジアムは、現在彼の名を冠している。彼の音楽は数世代を経た今も、ジョーン・バエズやブルース・スプリングスティーン、さらにはバッド・バニーに至るまで、さまざまなアーティストによってカバーされ続けている。
2026年1月、バッド・バニーのチリ公演で披露された「El derecho de vivir en paz」のカバー
あいにく、法の下での責任追及は、権威主義体制が打倒されてから長い年月を経てようやく実現する傾向にあり、ハラの場合もそうだった。数十年にわたる捜索の末、責任者である元中尉が、政権崩壊後にチリを逃れフロリダに潜伏しているのが発見された。CJA(Center For Justice & Accountability:サンフランシスコに本部を置く国際的な非営利の人権団体)と共に、私と同僚たちはフロリダ州中部地区連邦地方裁判所において、外国人不法行為法および拷問被害者保護法に基づき、恣意的な拘禁、拷問、超法規的殺害、および人道に対する罪で彼を提訴した。
このように、責任の追及が遅れることはあっても、音楽は社会が体制を拒絶し、責任を問い、移行期的正義へと向かうための原動力の一部であり続ける。
権威主義体制は常に音楽の力を恐れてきた。公演の禁止から投獄、追放、拷問、あるいはそれ以上の仕打ちに至るまで、独裁政権は政治的な不満を共通の言語へと変えるミュージシャンを繰り返し標的にしてきた。数十年にわたり、また大陸を越えて、権威主義政府は抗議の音楽に対して驚くほど一貫した反応を示してきた。
アパルトヘイト時代の南アフリカでは、歌手のミリアム・マケバが体制を批判したことで数十年にわたる亡命を余儀なくされ、彼女の音楽は海外で広まる一方で本国では禁止された。1960年代の軍事政権下のギリシャでは、ミキス・テオドラキスの音楽が布告によって禁止され、作曲家自身も投獄・追放された。冷戦時代のチェコスロバキアでは、地下活動を行うミュージシャンたちが国家公認の美学に従うことを拒んだために、ライセンスを剥奪され、逮捕や嫌がらせを受けた。
より最近では、トルコのクルド人アーティストであるヌデム・ドゥラク、中国のウイグル人ポップ歌手アブラジャン・アウット・アユップ、ロシアのバンド「プッシー・ライオット」などが、広範な国家安全保障法の下で訴追されている。彼らは反体制的とみなされた歌詞によって拘留されたり、公式の言説に異を唱えるパフォーマンスによって過激派のレッテルを貼られたりしている。いずれのケースにおいても、国家側の反応は共通の不安を露呈している。つまり、権威主義は恐怖だけでなく、人々の「分断」に依存しているということだ。抗議の音楽は、抵抗のサウンドトラックを作り上げることで、その逆を行う。
ヌデム・ドゥラク(Nûdem Durak):トルコ出身のクルド人女性シンガーソングライター。2015年、クルド語の楽曲を歌ったことが「テロ組織の宣伝」にあたるとみなされ、トルコ当局によって拘束。ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイド)やピーター・ガブリエルなどが解放を求める国際的なキャンペーンを展開している
アブラジャン・アウット・アユップ(Ablajan Awut Ayup):中国・新疆ウイグル自治区出身、「ウイグルのジャスティン・ビーバー」とも称されたポップスター。2018年に当局によって拘束。具体的な容疑は公表されていないが、中国政府による「同化政策」への脅威とみなされたと考えられている
体制側が過敏に反応するのは、音楽が、特に抑圧の瞬間において「力の倍増器」となるからだ。音楽はコミュニティを団結させ、批判的思考を促し、反対勢力を活気づけ、行動を促す。
私たちは最近、その片鱗を目にしている。ICE(移民税関捜査局)の強制捜査やプエルトリコの植民地化、中南米に対する言説に反応し、団結と愛を訴えたバッド・バニーのハーフタイム・パフォーマンスから、数十年前の抵抗の歌の再燃に至るまでだ。
それらの中には、ロドニー・キング裁判の文脈における制度的人種差別と警察の暴力を歌ったレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン「Killing in the Name」、クランベリーズによる究極の反戦アンセム「Zombie」、イラク戦争に抗議したシステム・オブ・ア・ダウン「B.Y.O.B.」、州兵によるケント州立大学での学生殺害を歌ったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング「Ohio」、そして兵役を逃れるエリート層を批判したクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「Fortunate Son」などが含まれる。
あいにく、これらの歌の多くは今日、より切実な意味を持つようになっている。世界中の紛争で罪のない市民に対して行われている残虐行為から、国内におけるアメリカ人の超法規的殺害に至るまで、その状況は変わっていないからだ。
スタジアムでの拷問を生き延びた歌
体制がアーティストを沈黙させようと試み続ける一方で、歴史はある不変の皮肉を示唆している。それは、体制が音楽を激しく攻撃すればするほど、そのメッセージはより永続的なものになるという事実だ。
ビクトル・ハラほど、このことを明確に物語る例はほかにない。彼が殺害されてから数十年、そしてピノチェト政権が崩壊してから長い年月を経て、「法」がこの物語に加わった。それは音楽に代わるものではなく、忘却を防ぐための手段としてだった。アメリカの連邦民事訴訟において、陪審は元チリ軍将校に対し、ハラへの拷問と殺害の責任を認め、遺族への損害賠償を命じるとともに、犯された残虐行為の記録を確定させた。これらの訴訟手続きやチリ当局が収集した証拠に基づき、被告であるペドロ・パブロ・バリエントス・ヌニェス元中尉は、現在チリの裁判所で裁かれようとしている。責任追及の実現は遅きに失したかもしれないが、公的な記録と責任の所在が確定した状態で、それは果たされたのだ。この結果は、あの日起きた出来事には重大な意味があり、それは今も変わらないという法的承認である。
音楽だけでは法的責任を負わせることはできないが、法は、暴力が否定や歴史的な健忘症の中に消えてしまうのを防ぐことができる。司法のプロセスは証拠を提示させ、責任を割り当て、証言を「歴史」へと変える。権威主義体制が消し去ろうとするものを、法が守り抜くのだ。
迫害されたアーティストが関わるこうした事例において、法的責任の追及は、文化的な弾圧が権威主義にとって付随的なものではなく、その核心であることを証明してきた。アーティストへの攻撃は、集団的な表現そのものへの攻撃であると、これらの判決は認めている。
抑圧を超えて響き続けるもの
権威主義体制がアーティストを攻撃するのは、まさに彼らの持つ力を理解しているからだ。しかし、彼らが理解できていないのは「共鳴(resonance)」の力である。銃声は一度鳴り響くだけだが、歌は何世代にもわたってこだまする。歌が生き続けるのは、それが繰り返されるために作られているからだ。歌は静かに、あるいは高らかに、公の場でも私的な場でも歌うことができる。ある闘争のために書かれた歌詞が、数十年後の別の闘争に活力を与えることもある。かつての抗議歌が、政治的な緊張が高まる瞬間に繰り返し再浮上するのは、この継続性があるからだ。
音楽は人々に、自分たちがより大きな存在の一部であることを聞き取る方法、すなわち「抵抗の仕方」を教える。そして法は、世界に「記憶の仕方」を教える。弁護士や裁判官とともに、アーティストたちは「声」を権利、承認、そして正義へと変えていく。こうして音楽は、今この瞬間も、抵抗のための共有されたサウンドトラックであり続けている。
From Rolling Stone US.
クリスティーナ・ヒオウレアス(Christina Hioureas)
ニューヨークを拠点とする国際法専門の弁護士。国際裁判所や法廷で弁論を行う。UCLA法科大学院およびUSCグールド法科大学院の客員教授も務め、人権法の講義を担当している。亡きチリ人フォークミュージシャン、ビクトル・ハラの遺族(妻と娘たち)の訴訟代理人を務め、ピノチェト独裁政権下でハラの拷問と処刑に関与した元中尉に対し、歴史的な勝訴判決を勝ち取った。