The Mountain Goats「奇跡の初来日」USインディーの重鎮が語る、創造的であり続けた35年史

ザ・マウンテン・ゴーツがまもなく初来日公演を行う(4月5日・6日:ブルーノート東京)。これを奇跡と呼ばずしてなんと言おう、と感慨深く思っている人も少なからずいるに違いない。

今から35年前の1991年……そう、ニルヴァーナが世界ブレイクをした年に、ジョン・ダーニエルのソロ・プロジェクトとしてカリフォルニア州のクレアモントで誕生したザ・マウンテン・ゴーツは、しかしながら、グランジだとかオルタナティヴ・ロックだとかインディー・ロックだとか、そうしたカテゴリーには到底入ることのない異端児であり奇妙な存在だった。ギターの音や声が割れることは当然のように起こり、キレイに音を整えることを嫌い、どこに着地するのかもどこを目指しているのかが自分でもわからない。いわば得体の知れないユニットだった初期の作品は……実際に同時期に頭角を現すようになったセバドーやペイヴメントなんかより遥かにキテレツだった。

だが一方で、作品を重ねるにつれ……具体的には2003年に4ADからリリースされたアルバム『Tallahassee』あたりから徐々にスタジオ録音にしっかり向き合い、さらにフルバンド編成になり、楽曲としての形式をトリートすることをより明確に意識し始める。その傍ら、歌詞の密度とストーリーテリングは一貫して非常に高い評価を受け続け、レナード・コーエンやジョニ・ミッチェルへのリスペクトを公言するジョン・ダーニエルというソングライターの存在は時代の変化に惑わされることなくむしろ確固たる地盤を築いていると言っていい。

最新作は「船が難破して3人が生き延び、一人は狂って自分を預言者だと思い込む」といったコンセプトで作られた『Through This Fire Across From Peter Balkan』(2025年の23作目)だ。物語創作性、楽曲の配置などの構成力、ストリングスなどを加えた壮大なアレンジセンスは驚くほど頭抜けている。インディー・ロックの領域を超えた構築力だと言える。しかし、その内側には、生きとし生ける全ての生命体が互いにケアし合うことを求めるヒューマニズムが隠されていて、非常にロマンティックで非常に希望に満ちていて、生きる力を尊ぶような作品となっていることに気づくのだ。本国やヨーロッパで熱心な支持者を多く獲得していて、ツアーにはデッド・ヘッズならぬゴーツ・ヘッズがついてくることも多いというのにも頷く。

とはいえ、日本では結成35年のこの期におよんでも彼らのその計り知れない魅力は伝わりきれていない。そこで、初めての来日を前に気持ちが昂っているジョンに、その制作欲求の背景やこれまでの想いについてたっぷりと語ってもらった。実のところ、インタヴューではこの何倍も語ってくれた。続きは4月のライヴ・パフォーマンスでキャッチしたいと思う。

中心人物のジョン・ダーニエル、スーパーチャンクでも活躍するジョン・ウースター、アルバム・プロデュースも手がけたマット・ダグラスの3人編成で登場

ローファイからメロディの洗練に至るまで

ーザ・マウンテン・ゴーツは今年2026年で結成35年です。まずはその思いを聞かせてください。Panasonicのポータブルカセットレコーダーを使い、即興で録音するローファイ・スタイルが特徴だった初期を思い出すたび、ずっと聴き続けてきている私も感慨深くなりますが、あなた自身、どういう実感がありますか。

ジョン:いや、何も計画なんてなかった。若かったから、ただやりたいことをやってただけ。まだインターネットもない時代にできる遊び。自分は教授か詩人になりたくて、その前は看護師になろうと思って、実際、精神科病院で看護師の仕事をしてたんだ。病院から通りを渡ったすぐのとこに職員用住宅があったんで、仕事が終わればすぐに家に帰って、一人でテープレコーダーをいじってた。唯一の趣味っていうか。その前は一緒に音楽をやってた仲間もいたんだが、引っ越していなくなってしまったんで、自分で何かやることが欲しくてやってたんだ。

ー90年代初頭のアメリカ西海岸はとりわけグランジ~オルタナティヴ・ロックの全盛期で、91年はニルヴァーナの『Nevermind』がリリースされ世界ブレイクした年でした。ただ、あなたがいたクレアモントは学生や若い世代の多い、有数の学園都市としても知られています。私があなた方を知ったのも〈Shrimper Records〉からリリースされた『Taboo VI: The Homecoming』でした。

ジョン:あれはそう何人も持ってないレアなレコードだよ! 考えてたのは、とにかくウィアード(変)なことをするってこと。意図的に奇妙で他とは違うものを作ろうとしてた。僕らのシーンではその時代のビッグなものは全く好まれなくて、どこかアンダーグラウンドなものが好まれた。1990年に一番刺激になったのはロビン・ヒッチコックの『Eye』だ。全編アコースティックのアルバムで、カセットでしょっちゅう聴いてた。大好きだったピンク・フロイドの1st『The Piper at the Gates of Dawn』をギター1本でやろうとしてるのが、このロビン・ヒッチコックのアルバムだった気がする。僕もそういうすごく奇妙で強烈なイメージの、ラヴソングじゃない曲ばかりを集めたレコードを作りたかった。それを見つけた人が「なんか変なもの見つけたぞ」と言うようなものをね。聴いた人が「こんなの他にない」と思うような、風変わりで、主流から外れた、奇妙なものが作りたかったんだ。当時は少しセバドーに似てると思われたかもしれないが、彼らの作ってたものはもっととっつきやすかったと思う。正直、僕の最初のテープは誰が聴いても好きになれっこなかった。好きって言ってくれる人は少なかった。ただ、誰かがもし道で僕の当時の作品を拾って、何の前情報もなしで聴いたら「なんだよ、これ?」って言うしかない、それくらい、他とは違うものを作るのがあの頃の僕の目標だったんだ。

『Taboo VI: The Homecoming』(1991年)

ーローファイ、ホームレコーディング・スタイルは、曲ができたらすぐさま録音できるし、実際に初期のあなたがたはカセットでのリリースを中心としていました。デジタルとは違い、カセットは繰り返し聴くと、音が明らかに劣化していきます。その面白さが魅力ではありますが、しかしながら、あなたがたの音楽自体はいつ聴いてもその鮮度が衰えることのない、ポップ・ミュージックとしての永続的な魅力もあります。そのあたりの両立をどのように考えていたのでしょうか。

ジョン:とても面白い質問だ。ここで考えるべきは二つ、”楽曲”とレコードやテープといった”フォーマット”。今のデジタル時代、”一時的なもの”はもう信じられていなくて、「すべては永遠に残るものだ」と思っている。でも当時はそうではなかったし、僕は今でもそう思ってない。僕は一時的な、今しかないものが好きだ。500枚限定盤の良さは、それを買った500人だけが楽しめばいいわけで、なるべく多くの人に届けようとは思ってなかった。ただ面白くて楽しいものを作りたかった。テープの劣化というのも、僕は素晴らしいって思ってた。作り始めた頃のものはデジタルで保存なんてしてないから、そのままのサウンドを聴くことは誰にもできない。二度と再現できない。それって最高だ! それこそ唯一無二の、あの瞬間だけの、特別な何かだ。後になって聴いた時に、当時とは違って聴こえてきて、そこにある”別の層”が理解できるようになる。その”厚み”が好きだ。すごく文学的じゃないかい? 詩を読む際、歴史的な文脈を踏まえながら読むのに似ている。

ポピュラーミュージックでは、ある一定の時期を過ぎると、その文脈を意識しなくなる。もっと古くなってようやく「これは80年代のサウンドに違いない。そんな音がする」とか「デジタル時代の初期の音は冷たく聴こえる」と文脈を持ち出すわけだけど。でも人って”文脈のない表現”をよしとする無自覚な思い込みがある気がする。僕はそれが好きじゃない。文脈は表現の一部であるべきだ。どこで(where)、いつ(when)、どうやって(how)を含め。

だから、そういったフォーマットが劣化するのはいいことだよ。ある特定の場所に存在していたものが、形を変え、劣化しながら、それまでとは違う新しい形で存在するようになることを意味するわけだからね。決してその曲を忘れ去ってしまうってことじゃないんだけど、そのパワーはものすごいんだよ。すごく大切な体験をしたとして、その出会いが一度きりであることを尊ぶ気持ち、つまりは一期一会。なんでもいつでも手に入ってしまうと、何かが失われてしまう。ライヴが特別な理由の一つはそこさ。そんな瞬間が持つ特別さに、僕もずっと惹かれてきたんだと思う。

初のスタジオアルバム『Zopilote Machine』(1994年)

1995年の映像

ーでは、メロディアスなポップ・ミュージックとしての永続性、耐久性という点で、あなたがソングライターとして当時意識していた、目標としていたのはどういうアーティストだったのでしょうか。

ジョン:最初の頃はロールモデルはいなかったよ。ただ、『All Hail West Texas』(2002年の6作目)を書いてた頃には、目標にした人たちも出てきていた。タウンズ・ヴァン・ザント、レナード・コーエン、ジョニ・ミッチェル……ニック・ケイヴも好きでかなり長く聴いてた。あとはスティーリー・ダン。彼らのことは最初から好きだったけど、決してああいう曲を書こうとはしてなかった。でも『Goths』(2017年の16作目)の頃になると、僕がスティーリー・ダン風の曲を書こうとしてることが聴いてわかるはずだ。『Beat The Champ』(2015年の15作目)の「Fire Editorial」、あれは”なんちゃってスティーリー・ダン”ソングだよ。メジャー7thのコードのあたりね。

2008~2009年にかけて、僕の健康上の問題やらいくつかの出来事が重なり、大きな音楽的成長の転換期を迎えた。具体的には、メジャー7thがそれまでとは違って聴こえるようになったんだ。メジャー7thは甘ったるくて、気持ち悪くて、それまで嫌いだった。ところが2009年の春のある日、メジャー7thを弾いたら、涙が流れたんだ。まるで”巨大な氷の彫刻の音”を聴いてるみたいだった。2009年以前はほとんど使ってこなかったメジャー7thが、突然あちこちで聴こえるはずだ。キャリアとしてはかなり遅い時期に、大きな成長の波がやってきて、音楽的にも変化し、音楽そのものが前面に出てくるようになったんだ。それまで長いこと、マウンテン・ゴーツは歌詞中心のプロジェクトだと思ってきた。僕がやってたのは、歌詞を書き、物語を語ること。もちろんエネルギーやウィアードな要素はあったけど、基本は歌詞だった。ところが2009年以降、音楽が中心になっていった。もちろん今でも歌詞には誇りを持ってるし、僕は物語を語るのが得意だ。でも今は、音楽を楽しむのに、僕の歌詞を完全に理解する必要はないと思う。メロディという意味で、すごく成長したんだと思うよ。

夢から生まれた難破船の物語

ーさて、昨年の最新アルバム『Through This Fire Across From Peter Balkan』はミュージカル仕立ての意欲作でした。

ジョン:音楽を作り始めた頃は、こんなアルバムを作るなんてこと、想像すらできなかった。長いこと、そんなことを考えもしなかった。でも結局のところ、シンプルな真実は……新しいことに挑むのは素晴らしいことだ、ってこと。歳をとっても、新しいことに挑戦し続けられるのは、素晴らしいことだよ。長い間ずっと書き続けてきて、ペースを落としたことがないんだ。いつも書いているし、書けば書くほど、速く書けるようになる。アルバムとして仕上げるのには時間がかかるけど、12曲を書くのには時間はそれほどかからない。どうしてもと言われれば、12日で書ける。もちろんその必要がなければ、数カ月くらいで書く。僕にとって曲を書くことは仕事なんだ。そしてもう一つ。僕は好奇心がとても強くて、曲を書いているときも「この先どこへ進むんだろう」と常に考えているんだ。一度やったことを繰り返したりしない。だから自分にとっても、常に面白い。

特にこのアルバムのデモは、作っていてとても楽しかった。今、君と話してるこのノート型パソコンは数年前のもので、デモ作りにはいつもGarageBandを使っているんだけど、GarageBand内のマイクのレイテンシーの問題で、録音がズレるようになってしまった。自分では正確なタイミングで歌ってるのに、聴き返すとずれていてリズムが合わない。それでどうしたかというと、「この曲はこのリズムだよ」と自分の胸を叩いてリズムや強さがわかるように、ビデオで録画したんだ。その映像ファイルを音声ファイルに変換し、他のメンバーに送ったというわけさ。どこかバロック時代のやり方みたいで、楽しかったよ(笑)。

ー『Through This Fire Across From Peter Balkan』のテーマは何がきっかけに思いついたのでしょうか。

ジョン:僕はスマホのBearというアプリを使ってメモを取ってるんだ。思いついたアイデアにハッシュタグをつけて保存すると、後で簡単に検索できる。これに見た夢を記録してたんだ。そして#dreamと打ち込んでおく。で、ある日、こんなメモを残していた。「Through this fire across Peter Balkan #dream 何か作品のタイトルだった。どのフォーマットか不明」。これだけ打ち込むと、また寝てしまった。で、朝起きて、子供を学校に送り出し、携帯を見て、その夢に気づいた。それは意味のないタイトルで、自分の脳から送り込まれた言葉のようだった。

それを書き留め、思いつくまま、いくつか曲のタイトルを書き出し、そこからは即興だった。「火を挟んで人が向かい合ってるとしたら、どこにいる?」「海辺だ。じゃビーチだ」「そのビーチで何をしてる?」「マウンテン・ゴーツのアルバムだ。楽しんでるはずがない」(笑)そんなふうに、コメディアンがありもしない話を作るように、話を作っていった。そして、まずは短い段落を書いた。「船が難破し、3人が生き延び、一人は狂って自分を預言者だと思い込む」と。その日に書いたのが最初の曲「Fishing Boat」だ。最初7曲分のタイトルに物語はなかった。つまり、アルバムの半分は、そのタイトルを説明するために書いたようなものだった。アルバム自体、睡眠中の僕の脳が送り込んできた言葉の並びを説明するために、存在してるというわけさ。

ーある種、現代社会を揶揄したようなテーマのようにも思えます。「船が難破して3人が生き延び、一人は狂って自分を預言者だと思い込む」という設定も、地球自体が大きな難破船のようにも思えますし、我々はこの中でどうやって生き延びていくのか、一人でも多くの人を助け豊かな自然と共に生き直していくには?ということを説いているようにも読めます。

ジョン:物語を語ってる時の僕って、自分でも変わってると思うけど、その意味は考えない。考えるのは登場人物と物語のことだけ。意味を考え始めたら、深いことを言おうとしてるようで怖いんだ。言葉が多いことは構わないけど、教訓じみるのはいやだ。メッセージを伝えようとしてる、とかね。物語のメッセージは自然と生成されるものだと信じてるし、僕自身、後からメッセージが何なのかを知るんだ。そんなわけで、僕はただ物語を語っていただけなんだけど、そう言いつつも、物語の半分まで来ると色々と疑問が湧いてきた。「彼らは生き延びるのかな?」「それは無理だ…奇跡は起こらない、彼らは死ぬ」「だったらお互いに優しくしないと」……。それを指摘してくれたのが、今回アルバムにも入ってる友人のリン・マニュエル(・ミランダ)だ。これらの曲は人が弱って、心が折れ、死に向かう時に、人がどう互いをケアするのかということを描いてるんだとね。この問いは、2020年という時代にも通じる問題だ。僕の国では人をケアすることは優先されていない。優先すべきは利益やその他のことであって、互いのケアじゃない。その結果、年々人は病み、社会は悪く、悲しいものになっている。とても悲しいことだ。

こういうことを僕がいつも考えるのは、僕が親だからであり、看護の仕事もしてたから。人をケアするという考えを信じているんだ。でも世界はそれを信じてるのか、いないのか…自分たちでもわからないんだと思う。間違いなくアメリカではそうだ。でも僕は、互いに面倒見合っている時にこそ、人間性が最もよく発揮されるのだと信じるよ。相手をケアすることで自分が何者かを知る。それがこの物語から、自然に浮かび上がってきたテーマだ。最初からそれを掲げて書いたわけではなく、物語を語った結果、そうなったんだ。

最新アルバムのリード曲「Cold at Night」2026年のパフォーマンス映像

ーあなたの作品は、どこか古典的な聖書を読んでいるようにも思えるんです。扱うのは重いテーマだとしても、そこからの「救い」や「カタルシス」を与えてくれるというか。それが今あなたがおっしゃった「ケア」なのか……。日本にはキリスト教思想がそこまで多く流布していませんが、宗教性(神を司ること)自体は大昔の神道から日本にもあります。宗教性、というより何かを信じることへの意識は、ポップミュージックを作る上でどの程度重要でしょうか。

ジョン:とても大きな質問だ。元々僕はカトリックで育ったが、教会から離れ、その後ヴァイシュナヴィズム(ハレ・クリシュナ)に傾倒した時期があった。数珠を使ってマントラを唱え、食事を供物として捧げたり。今も神像は隣の部屋にあるよ。でもその後、”漂って”いたんだ。霊的なことを考えるタイプの人間は、中にはずっとコミットする者もいるだろうが、常に漂っている。でも最近はマリア崇拝と祈りにまた戻った。1連だけのロザリオ(通常は5連)を持ち歩いて、大きなビーズでOur Father、小さな10のビーズでHail Maryを唱え、それを往復する。ポケットに入れて持ち歩けるし、壊れにくいんでね。

でも、僕は現代の人間だ。そして現代においては、キリスト教だろうが神道だろうが、どの宗教を実践していても、心のどこかで「これは何一つリアルではない」と思ってる可能性が高い。過去の時代の人たちが心底信じていた信仰心は、僕らにはない。あるフリをすることはできるが、実際は「人間が死を恐れて作ったものなのかもしれない」と思ってるんだ。だって、死ってヘヴィだろ? つまり、信仰は確信じゃなく、選択なんだ。自分より大きな何かがあることを認め、「僕は重要な存在じゃない、重要なのは僕じゃないもっと大きなものだ」と自分に言い聞かせる。そう思うことが重要なんだ。だって「僕だって他のみんなと同じくらい重要な人間だ」と思い始めた瞬間、利己的になってしまうからね。利己主義は病だ! 悪だ! そして全てを傷つける。

信仰やスピリチュアリティの良い役割の一つは、自己という牢獄から出させること。たとえば神道では祖先を崇拝することが良しとされる。「僕は偉くない。偉いのは祖先だ。祖先なしでは今は僕はいないから、祖先を崇拝せねば」。それってすごく深い。キリスト教の宣教師は世界を回って、「祖先崇拝は未開だ」と触れ回ってきたわけだど、結局は自分より前に生きた人たちが、どれだけ偉い人だったのかは別として、彼らのおかげで僕らは今存在するわけだからね。

そんなわけで、おそらく全ての宗教は同じ欲求の現れなのだと、僕は思ってる。聖フランシスが「自己という牢獄」と呼んだものから抜け出したいという欲求さ。そこから出られた時、人は自由になり、他人をも解放する。そこに真の解放はあるのだと思う。別に僕は特別に深く物事を考える思想家だとは思ってないけど(笑)そんなことを考えたりもするんだ。

そして僕にとって大事なのは、祈りや礼拝といった宗教的実践において、音楽が不可欠だったということ。原始人が何かを崇拝していた時、壁に骨を打ち鳴らし、歌を歌っていた。音楽はその一部だった。曲に神は存在した。神を信じようが信じまいが関係ない。コンサートに行くと、そこにいる全員が同じ瞬間に何かを感じている。その時、そこには神がいる。

神が本当にいるのか、死後の世界があるのかもわからない。でも全員が一つになるあの場は僕にとって、スピリチュアルなものだ。霊そのもの。その例が死後も生き続けるのかは誰にもわからないけど、僕は続く方を選ぶよ。そう考える方が、自分のなりたい人間になれる気がする。

Photo by Jillian Clark

ー2000年代のあなたがたは〈4AD〉や〈Merge Records〉など歴史と人気のあるインディー・レーベルから主に作品を出していました。バンドがブレイクし、混迷のネット時代になってから、むしろこうした老舗のインディー・レーベルから作品を出してきたことには、どのような意味があったと考えていますか。

ジョン:いやぁ、この話についてはいくらでも話せるんだけど……僕を最初にイギリスに呼び、ソロでライヴをやらせてくれたのが、ロンドンにいたジェイミー・タグウェルという友人だ。僕がアイオワで精神医療の仕事をしてた時、彼から電話で「かなり大きいイギリスのインディレーベルがお前と契約したがってる。どこだと思う?」と言われ……。ジェイミーが4ADのクリスとエドと飲んで、僕のことに興味を持ってくれてると知ったんだ。嬉しかったよ。コクトー・ツインズやピクシーズ、ディス・モータル・コイルとか大好きだったからね。80年代のああいう音楽、特にコクトー・ツインズは人生を変えられたバンドだったから、大興奮したよ。当時の4ADのカラーからすると、特に昔からのレーベルのファンには マウンテン・ゴーツのrawな音はちょっと異色だったかもしれない。そして4ADの後、〈Merge〉に移った。〈Merge〉の場合、家から6ブロックで歩いて行ける距離だったというのもあって、自然なことだったのかもしれない。

今は作業がすごく多くて、マウンテン・ゴーツも少しずつ忙しくなってたんで、またレーベルを復活させようということになり、自分たちのレーベル〈Cadmean Dawn〉でやっている。作業も全て僕の家でやってるという状況だよ。次のアルバムもそこからのリリースになる。

4AD時代の楽曲「This Year」(『The Sunset Tree』収録)

歌詞がわからなくても繋がれるライヴ

ーさて、4月には初めての来日公演が控えています。

ジョン:もう嬉しくて嬉しくて。ずーっと行きたいと思ってたから。行ったことないんだよね、プライヴェートでも。

ー結成35年目にして実現する今回の来日公演への意気込みを聞かせてください。

ジョン:滞在が短すぎて、ショーをしたらもう帰らなきゃならないって言うんで、滞在を伸ばそうとしたけどダメみたいで……やりたいことがいっぱいだ。黒澤映画を観て育ったし、日本文学も結構読んでいる。寺やレコード店にも行きたい。黒澤映画の中でも特に好きだった『どですかでん』のロケ地巡りをしたいね。

ーで、肝心のショーはどんな感じになりそうですか。

ジョン:トリオでのセットで、しかも一晩で2セットというのは実は初めてなので、どうなるか、すごく楽しみだよ。同じセットは2回続けてはやらない。毎回、オーディエンスにはその時しか聴けないものを届けたいんだ。比較的タイトな楽曲構造の中で、どう即興的空間を開いていくか。それが僕にとってもおもしろいところなんで、期待してほしいよ。4小節が8小節になるっていう意味じゃなくて──ま、それもあるかもだけど──曲の内側に新しい空間を作るということ。つまり曲という制限の中で創造性を探す。それがライヴの楽しさだよ。

マウンテン・ゴーツは同世代の中では、かなり元気な方だと思う。観た人からは「ここまでエネルギッシュなステージだとは思わなかった」と言われる(笑)。見てわかる通り、58歳にしては疲れ知らずだよ。ステージでもいっぱい喋るんだけど、ヨーロッパとかだと内容が伝わらずに客が固まってることがあったりするんで、日本ではどうかなってそれだけが心配だけど。ま、それまでに日本語を勉強するか!(笑)。

僕らのコンサートにはある種のカタルシスがあると思う。「泣く」ということじゃなく、視点が少しだけ変わることだ。僕らが開く音楽の空間にリスナーが入ることで、ステージと客席の間に何かが起こる。それが音楽を通して瞬間を共有するってことだ。どんな時もそれを考えて演奏している。曲によって、それが起こりやすい曲があることも知っているよ。何かが開き、空間が開く。どこかスピリチュアルなんだ。大袈裟な話に聞こえたくないけど、その瞬間は間違いなく何かが起きている。そしてそれがすべてなんだ。その瞬間を起こすこと。マウンテン・ゴーツのライヴに期待できるのは、そこにいなけりゃ経験できない瞬間を経験できる、ってことさ。

トリオ編成でのライブ映像(2026年)

ーさて、あまりに膨大な作品数なのでどこから聴いたらいいかわからない人もいると思うのですが、ニュー・アルバム以外でおすすめの1枚はありますか。

ジョン:『Going To Princeton』は2年前のトリオでのライヴ・アルバムだ。これと同じになるという保証はないけど、こんな感じというのはわかってもらえると思う。東京で絶対やりたいっていう曲は何曲かあるけど、まだちゃんとセットリストは決めてないんだ。でも、4セットもあるから、組み合わせは色々考えられる。もし、最初の1枚というのであれば、『All Eternals Deck』(2011年の13作目)も悪くない。あと『Get Lonely』(2006年の10作目)も。今話した”瞬間的なつながり”が感じられる曲が多いかも。と言いつつ、マウンテン・ゴーツは曲数が多いんでね……。でもライヴとレコードは意識的に変えているよ。すでに存在しているレコードと同じことをやっても意味がない。曲はレコードと同じだけど、向かう方向が違ってくる。『Bleed Out』(2022年の21作目)はすごくデッカい音で作ったアルバムだから、それと同じことをトリオで演奏しようとしたって無理だ。そうじゃなくてどこか他の場所へ持っていきたい。

なので、ライヴに備えるならマウンテン・ゴーツではなくて、レナード・コーエンのライヴ盤の『Please Don't Pass Me By』を聴いてくれ。歌っていくうちに、曲の中に入り込んでいってしまって、叫び始めるんだ。あとはリッキー・リー・ジョーンズの1980年ごろの10インチシングル「Girl at Her Volcano」。僕らがやろうとしていることが、これを聴けばわかると思う。

もう一つ、自分でもおもしろいことがあって……。マウンテン・ゴーツにとって今も歌詞はすごく重要だし、音楽の大きな部分ではあるけれど、今の時点では、歌の内容を必ずしもわからなくてもいいと思えるんだ。ライヴをやる上では、歌詞と同じくらい重要なのはメロディ、それとメンバー間のインタープレイだ。だから曲を知ってようがいまいが、きっと繋がれると思うよ。

ザ・マウンテン・ゴーツ来日公演

2026年4月5日(日)・6日(月)ブルーノート東京

ミュージックチャージ:¥8,800(税込)

公演詳細:https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/the-mountain-goats/

アルバム『Through This Fire Across From Peter Balkan』

配信中

再生・購入:https://30tgrs.ffm.to/ttfafpb