×年×月×日に大災害が起こる。このような陰謀論めいた予言は昔からある。しかし、地球滅亡を信じている人々は、本当に地球が滅亡すると信じているのだろうか?

もし、×年×月×日に地球が滅亡するのが分かったとしよう。それならば、人々はその日の前日までに所有している財産を使い果たさないと、価値がゼロになってしまう。そうなると、地球滅亡の前日には資産の価値がゼロになるわけだから、さらにその前日に財産を使い果たさなければならなくなる。となると、地球滅亡の前々日には資産の価値がゼロになり……が、どんどん前に倒れてきて、地球が×年×月×日に滅亡するのが分かった瞬間に資産の価値がゼロになる。

そうだとしても、地球滅亡を信じている人々は、財産を使い果たそうとはしないし、してこなかった。 地球滅亡を信じている人々は、本当に地球が滅亡すると信じているのだろうか?

陰謀論を巡ってランティモスが仕掛ける「罠」

  • 『ブゴニア』主演のエマ・ストーン

    『ブゴニア』主演のエマ・ストーン

アカデミー賞に4部門でノミネートされているヨルゴス・ランティモス監督の『ブゴニア』(公開中 配給:ギャガ ユニバーサル映画)のあらすじは、こんな感じだ。

製薬会社のCEO・ミシェル(エマ・ストーン)は、仕事を終えて帰宅したところを襲撃され、誘拐される。誘拐したのはミシェルのことを、地球を滅ぼすアンドロメダ星人と信じて疑わない陰謀論者のテディ(ジェシー・プレモンス)と、引きこもりの従弟ドン(エイダン・デルビス)。二人は「宇宙船と連絡を断つため」とミシェルを丸刈りにし、自宅の地下室に監禁し、4日後の月食の夜、ミシェルの母船で彼女の星の皇帝と会談し、地球から撤退するよう交渉させろと要求する。ミシェルは、テディの心理的状態を分析し、大企業のCEOらしい話術で彼を揺さぶろうとするが……。二転三転する駆け引きの果てには、衝撃の結末が待っていた──。

  • 共演のジェシー・プレモンス(右)とエイダン・デルビス

    共演のジェシー・プレモンス(右)とエイダン・デルビス

本作は韓国のチャン・ジュヌァンが監督した『地球を守れ!』(2003年)のリメイクである。『地球を守れ!』は同年に開催された第4回東京フィルメックスのコンペティション部門で上映されたが、劇場公開はされず、当時権利を保有していたエスピーオーから、ビデオスルーという形でリリースされた。一部のシネフィルとマニア以外は知らない作品で、現在、DVDは廃盤、配信も行われておらず、鑑賞が難しい一本である。

当初の企画では、監督をそのまま、チャン・ジュヌァンに据える方向で話が進んでいたのだが、彼は健康上の理由で辞退。ヨルゴス・ランティモスに白羽の矢が立った次第である。

タイトルの「ブゴニア」とは、牛の死体から、ミツバチが生まれ、そのミツバチが世界を再生するといったギリシャの言い伝えに由来している。この「ミツバチ」というモチーフは、本作でも重要な意味を持つ。Amazonの配送所のような現場で働くテディは、養蜂家でもあり、地球規模で問題になっているミツバチの絶滅危機もアンドロメダ星人の仕業だと思い込んでいるのだ。

  • テディ(ジェシー・プレモンス)とドン(エイダン・デルビス)は養蜂家。この設定も重要な意味を持つ

    テディ(ジェシー・プレモンス)とドン(エイダン・デルビス)は養蜂家。この設定も重要な意味を持つ

陰謀論を基調にした作品は数多くあるが、日本でも昨年、ショーン・プライス・ウィリアムズの監督作品『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』(2023年)と、本作の製作で名を連ねているアリ・アスターの『エディントンへようこそ』(2025年)が公開になっている。『スイート・イースト 不思議の国のリリアン』も『エディントンへようこそ』も現代アメリカを風刺したトーンが色濃いのであるが、『ブゴニア』はその2本に先んじたデヴィッド・ロバート・ミッチェルの監督作品『アンダー・ザ・シルバーレイク』とラース・フォン・トリアー監督の『メランコリア』をミックスした趣きの仕上がりとなっている。『メランコリア』は陰謀論映画とは言えないが、巨大惑星メランコリアが地球に衝突するかもしれないという恐怖心を煽り、巨大惑星を観察するために擬科学的知見を援用する点で本作と通ずるところがある。

プロダクションノートによれば、陰謀論者のテディを演ずるにあたって、ジェシー・プレモンスは、ナオミ・クラインの著書『ドッペルゲンガー 鏡の世界への旅』(岩波書店 幾島幸子訳)を参考にしたそうだ。同書の執筆にあたってナオミ・クラインは、自分と名前が似ているナオミ・ウルフの行動、言動に当惑したことに端を発していると記している。ナオミ・ウルフは元々、フェミニズムの理論家だったのであるが、のちに陰謀論者へと転ずることになる。

陰謀論と言うと、日本のSNS論客が唱える「反知性主義」(ここではリチャード・ホフスタッターが論じた「知性主義に反対する社会集団」ではなく、知性そのものを否定する人々を指す)が陥りやすいものと考えがちだが、実際のところはそうとは限らない。本作でテディは天文学に知悉した人物として描かれているように。

ナオミ・クラインは前出書において、ヨーロッパ史の研究者であるウィリアム・キャリソンとクィン・スロボディアンが「ダイアゴナリズム」と呼ぶ集団を紹介しているが、彼らは依って立つイデオロギー(ここで言うイデオロギーとは、議長席から見て右側に座っている陣営、左側に座っている陣営といった単純な二分法でなく、人の行動に影響を及ぼす、事物の根本的な考え方の枠組みを意味する)に関わらず、あらゆる権力は陰謀であるという確信を行動規範においている。「ダイアゴナル」とは、「対角線」の意味で、元はドイツで始まった運動のスローガン「クベアデンケン(水平的、対角線的、あるいは既存の枠組みに捉われない思考)」からとられている。

どんな人物でも陰謀論にハマる可能性はある。そして本作は、ここに巧妙な二重三重の「罠」が仕掛けてあるのだ。テディを知性そのものを否定する陰謀論者、ミシェルを知的な犠牲者と捉えるのは、ドクサ(臆見)へ陥る羽目になる。また、テディとドンの関係は、主人と従者という典型的な二人組のシリアルキラーに見える描写もあるが、これも物語をある特定の方向へと導く「罠」として機能する。だが、表面上では正義と悪、もしくは悪人と善人の関係として描かれている事柄は、物語が進むにつれ深層構造が明らかになると、実は複雑な様相を呈していることが分かってくる。

鍵になるのは、大富豪と低賃金の労働者という関係

もう一つ本作の基軸になっているモチーフに触れておこう。それは、製薬会社CEOの大富豪と、その企業に仕える低賃金の労働者という関係だ。

ミシェルの会社で末端作業員として働くテディは、本来ならば、虚偽意識の観点から支配者に対抗する存在であるのが妥当だが、それが横滑りして陰謀論へと転んでしまったと考えられる。

虚偽意識とは、フリードリヒ・エンゲルスとカール・マルクスによって構想された概念で、被支配者が支配者にとって都合の良い価値観を、自らのものとして内面化した状態を意味している。これは支配者に洗脳されているのではなく、支配者側に利する考え方を、これが常識である、自分自身のためになると思い込むことである。つまり、現実を誤って認識していることになる。ここから抜け出すには、その考え方が本当に自分の経験から生まれたものか、それとも自分を取り巻く社会的関係から与えられたものなのか検証する批判的な視点が必要となる。

しかしながら、虚偽意識を含むエンゲルスとマルクスのアイディアは、その理論の反証不可能性を科学哲学者であるカール・ポパーから批判される。虚偽意識において、被支配者は歴史的真理の担い手とされるが、ポパーは、自分たちだけが歴史の真理を知っていると主張する思想であり、その真理を検証できない、検証しようとすると補助的な仮説を付け加えて、理論が間違っていないかのように装うと糾弾した。エンゲルスとマルクスの思想は、どんなことが起こったとしても、彼らの理論で説明できてしまうドグマ(教義)であると喝破する。

人々は自由に物事を考えたいと思っているのに、実際は支配的な考え方に規定されていて、それを歴史の真理を知る者だけが見抜いているというのが虚偽意識の定式だ。これは陰謀論とよく似ている。「自分は目覚めている」と「あなたは騙されている」という構図は、陰謀論と同じに思えなくもない。

それに対し、虚偽意識は、心理的な陰謀でなく、具体的な経済構造や制度分析に基づく実証的な社会科学であるという反論がある。すなわち、これは物語ではなく構造分析である、と。

陰謀論は、誰か悪意のある主体を想定するのだが、虚偽意識は、構造的な効果を想定する。ここが両者を隔てているのにも関わらず、虚偽意識は陰謀論と変わりないといったような批判も存在する。ゆえに、マルクス/エンゲルスのフォロワーである、ルイ・アルチュセールや映画批評でも知られるスラヴォイ・ジジェクらは、誰が虚偽意識を定義するのか、批判者はどこに立っているのかといった自己批判を展開し、「誤った認識」という概念自体の再定義を試みた(しかしながら、長くメディアの世界に身を置くと、マルクス/エンゲルスと同時代を生きた小説家のオノレ・ド・バルザックの指摘が正鵠を射ていたのが分かるようになる)。

『ブゴニア』では、地球は宇宙人に支配されているという確信があり、それを暴こうとする覚醒者としてテディとドンが立ち上がる、が、しかし、その確信は、単なる妄想、陰謀論である可能性があるという二重構造になっている。言ってみれば、観客に対して、それは本当に構造批判なのか、それとも妄想の体系化なのかという形での問いかけになっているのだ。

さらに作品は、どうして人は陰謀論に陥るのかをも提示しており、そこでは、社会的不安、経済的疎外、承認欲求、世界の不可視性への恐怖が表現されている。これらから、陰謀論者は単なる愚か者でなく、グローバル資本主義の不可視的構造に直面している主体であると理解できる(ただし、陰謀論そのものを肯定しているわけではないのに留意)。そうした場合、作中で、虚偽意識下にあるのは、テディとドンであるかもしれないし、社会全体であるかもしれないし、あるいはその両方であるかもしれないのだが、先述のジジェク風な読み方をすれば、陰謀論も虚偽意識も、同じ構造的問題における異なる症状ということになるだろう。陰謀論は明らかに誤りであるが、その背後にある不安は現実的なものなのだ。

二重三重の「罠」は、このような形で仕込まれているので、表層で見えているストーリテリングだけを追うと、おそらく、その「罠」に落ちる。物議を醸し出しているであろう驚愕のエンディングも、深層構造を把握しないと、間違った評価を与えてしまうだろう。

公開タイミングで、アートポスター6点が公開になっているのだが、これらのビジュアルは、作品理解の一助となるものだ。ネタバレにならないギリギリのところを上手く表現しているので、劇場に向かう前にチェックしておいていただきたい。

『ブゴニア』は、アカデミー賞作品賞に届くのか?

そして、記事タイトルにある、アカデミー賞作品賞に届くか?を検討していこう。本作はランティモスのキャリアの中で、最もエンターテインメント度が高く、表面上は分かりやすく、ランティモス入門編としてぴったりな仕上がりになっている。

アカデミー賞は、審査委員長がいて、数人の審査委員で評価を決める方式ではなく、アカデミー会員の投票によって決定される。そうした時、エンターテインメント度、表面上の分かりやすさがプラスに働けば、受賞の可能性は十分あるように思える。それら以外の要素も作品の質の向上に貢献していて、芸術的に優れた仕上がりになっている。

しかし、指摘してる通り、二重三重の「罠」にかかってしまった場合、評価がガクンと下がるかもしれない。ここが予想を難しいものにしている。下馬評では『ワン・バトル・アフター・アナザー』が本命、『罪人たち』が対抗と言われているが、『ブゴニア』はダークホースといったところだろうか。

ほかにも主演女優賞、脚色賞、作曲賞でノミネートされているので、それらも見ていこう。

脚色賞は、トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』(新潮社 佐藤良明訳)を換骨奪胎した『ワン・バトル・アフター・アナザー』がまたしても立ちはだかることになるだろう。

作曲賞については、イェルスキン・フェンドリックスの楽曲群が素晴らしく、画面の不穏な空気を醸し出すのを高め、大仰なオーケストレーションは、作品をよりドラマティックに演出できていて、受賞を期待したいのだが、ほかにノミネートされているのがアレクサンドル・デスプラ(『フランケンシュタイン』)、マックス・リヒター(『ハムネット』)、ジョニー・グリーンウッド(『ワン・バトル・アフター・アナザー』)、ルドウィグ・ゴランソン(『罪人たち』)と、当代きっての音楽家が名を連ね、さながら『ドラゴンボール』の天下一武道会の様相を呈している。誰が獲ってもおかしくない中、「音楽映画」であるという点で『罪人たち』のルドウィグ・ゴランソンに軍配が上がるのではなかろうか。

主演女優賞にノミネートされているエマ・ストーンは、『ラ・ラ・ランド』(2016年)と、ランティモス作品『哀れなるものたち』(2023年)で、すでに受賞を果たしている。複数回受賞者の中で、メリル・ストリープは、過去の授賞式で自身に向かって「あなた、またノミネートされてるの? いくつオスカー像欲しいの?」とジョークを飛ばしたことがあったが、「お前、この前、もらっただろう?」は必ずしも発動しない。実際、ルイーズ・ライナーとキャサリン・ヘプバーンは2年連続での受賞をキメている。また、プラスになりそうなファクターとして、「外見を大幅に変えると受賞する」の傾向があることだ。極端に太る、痩せる、付け鼻をつけるなどで受賞したケースは少なくない。本作では、丸坊主になることで挑んだエマ・ストーンだが、意外とここが一番、受賞の可能性がありそうではある。

ことアカデミー賞に関して言うと、陰謀論を扱った点で近親的な位置付け(エマ・ストーンも出演)にある『エディントンへようこそ』とは、明暗を分ける結果となってしまった。『エディントンへようこそ』はノミネートがゼロ。先述した通り、現代アメリカを風刺したトーンが色濃く、解釈の方向がほぼ一方向しかないのが弱点だったかもしれない。

対して『ブゴニア』はもっと抽象的で、多様な解釈が可能になっていて、構造自体は『アンダー・ザ・シルバーレイク』に近い。したがって本稿の批評も、その解釈の一つの方向でしかない。

しかしながら、『アンダー・ザ・シルバーレイク』に見られるような馬鹿馬鹿しさは、すでに同時代性を失っているかもしれない。「幼児にワクチン打つと自閉症になる」は、明らかに誤りで害しかないが、「火星の開発が進まないのは、宇宙人と秘密協定を結んでいるから」といった類の陰謀論も、もはや、笑える状況になく、『ブゴニア』も作品が現実に起こっていることを引き受けていない、とも言える。この辺りをどう評価するかで、作品賞に届くかどうかも決まってくるのではないだろうか。

■出演者(役名/俳優名)
ミシェル・フラー:エマ・ストーン
テディ:ジェシー・プレモンス
ドン:エイダン・デルビス

■スタッフ
監督:ヨルゴス・ランティモス
製作:アリ・アスター
音楽:イェルスキン・フェンドリックス

配給:ギャガ ユニバーサル映画
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