
2026年、コレクターズカー・マーケットの幕開けは、かつてないほど鮮烈な「赤」に染まった。RMサザビーズがアリゾナとパリで立て続けに開催したオークションは、単なるシーズンの始まりを告げる儀式を超え、この市場が新たなフェーズへ突入したことを確信させる内容となった。
【画像】エンツォもF50も、そして250 GTカリフォルニアも。クラシックもモダンも、普遍的な価値をもつ(写真39点)
アリゾナの衝撃―モダン・スーパーカーの「格上げ」
アリゾナ・ビルトモア。乾いた風が吹き抜けるこの地で、人々の視線を釘付けにしたのは、フェラーリが誇る「ビッグ5」の一角を成すモダン・スーパーカーたちだった。
中でも2003年フェラーリ・エンツォが叩き出した930万ドル(約14億円)という数字は、会場に戦慄を走らせた。走行わずか746マイル、3人のオーナーを経たこの個体は、単なる「中古車」ではない。21世紀初頭、マラネロがF1のテクノロジーをロードカーへと完璧に翻訳した、その「意志」の保存状態に対する評価である。
続く1995年F50の880万5000ドル、2015年ラ フェラーリの547万7500ドルという落札結果を見れば、ひとつの傾向が鮮明になる。かつて「クラシック」の定義が戦前や50~60年代の美学に限定されていた時代は、もはや過去のものだ。現在の市場を牽引しているのは、スペックと歴史が完璧に調和した「現代のヘリテージ」なのである。
パリが証明した普遍性―クラシックとモダンの共存
舞台をパリに移しても、この熱量は冷めるどころか、さらに密度を増した。パレ・ド・ブロンニャールに集ったコレクターたちの関心は、1960年フェラーリ250 GT SWBカリフォルニア・スパイダーへと注がれた。1406万7500ユーロ(約22億円)という落札価格は、歴史的名品がいかに時代に左右されない普遍的な価値を持つかを物語る。
しかし、それ以上に示唆的だったのは、パリでもエンツォやF50といったモダン・スーパーカーが、クラシック・フェラーリと肩を並べる「主役」として扱われていた事実だ。もはやモダン・スーパーカーは「新しすぎる」という理由で格下に見られることはない。完成度と希少性、そして時代性が揃えば、製造年は関係ないのだ。
なぜ今、ヘイローカーなのか
なぜ今、これほどまでにフェラーリのヘイローカーが求められるのか。そこには、内燃機関という文化が「終焉」を意識し始めた時代特有の切実さが潜んでいる。
V12自然吸気エンジンが奏でる咆哮は、もはや最新の技術では再現不可能な「失われゆく芸術」である。それを所有することは、自動車史における最も幸福な瞬間を凍結保存することに他ならない。電動化が進む現代において、これらのマシンは単なるコレクターズアイテムではなく、ある種の「遺産」としての意味を持ち始めている。
投機ではなく、価値の再定義
スペック至上主義のWebメディアであれば、この数字を見て「高騰」と書き立てるだろう。しかし、現地でその熱狂を肌で感じた者には、それが投機的なバブルとは異なる、より本質的な価値の再定義であるように映ったはずだ。
アリゾナでの94%という驚異的な成約率は、世界中のコレクターが「本物」に対して確固たる意志で資金を投じている証左である。これは単なる資産運用ではなく、自動車文化への敬意と、歴史的瞬間を所有したいという純粋な欲求の表れだ。
結論―更新され続けるヘリテージの境界線
2026年のオークション・シーンが示したのは、伝統的なクラシックへの敬意と、モダン・スーパーカーへの熱狂的な評価が見事に共存する新時代の到来だ。
車を単なる移動手段やステータスシンボルとしてではなく、人類の技術的到達点であり、時代の空気感を封じ込めたタイムカプセルとして愛でる。RMサザビーズのオークション・パレットは、私たちが守るべきヘリテージの境界線が、今まさに更新され続けていることを証明していた。
エンツォもF50も、そして250 GTカリフォルニアも、すべて等しく「ヘイロー」なのである。
写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI