昨シーズンで18年間のプロバスケットボール選手としての生活に区切りをつけた岡田優介氏。現在は、子ども向けバスケットボールスクールのオーナーやBリーグ理事として、日本のバスケットボールの発展を支えている。
現役時代には公認会計士試験に合格し、トップアスリートとしてプレーしながら会計士としての実務も経験。さらに、一般社団法人日本バスケットボール選手会の初代会長を務めるなど、常にマルチに挑戦し続けてきた。
そんな岡田氏に、引退を決断した理由からキャリア選択の軸、そして“次の挑戦”まで、その歩みに込めた想いを聞いた。
※画像は、TOKYO DIME【3人制プロバスケ】公式Xから引用

「子どもの成長を見逃したくなかった」。家族を選んだ決断引退セレモニーで長男の朔玖くんから花束を受け取る岡田さん(画像/岡田優介公式Xから引用)

40歳まで第一線で戦い続けた岡田氏。そのキャリアにピリオドを打つ決断の背景にあったのは“家族”の存在だった。特に現役最後の1年は、所属していたチームの本拠地である香川から1週間おきに家族が暮らす千葉の自宅へ戻る生活で、子どもたちの成長を目の当たりにし、胸に刺さる焦りを感じることになる。

「帰るたびに、子どもたちが驚くくらい成長していたんです。2歳の娘も“明日”すら理解できなかったのに、いつの間にか時間の感覚がわかるようになって、“1週間離れるのはイヤ”って言うようになっていて……。その姿を見た瞬間、もうこの時間は戻らないんだなと強く感じました。

40歳までやり切ったという思いもありましたし、“もう十分かな”という気持ちはずっとありました。もし家族の近くにいられたら、引退しなかった可能性もゼロじゃない。でも香川に行った時点で“キャリアの延長戦”という感覚はあったので、どのみちあと3年が限界でしたね」

挑戦を続けた現役時代。「普通の選手じゃ面白くない」18年の功績が認められB.LEAGUE AWARD SHOW 2024-25 功労賞に選出された(画像/岡田優介公式Xから引用)

現役時代、岡田氏は会計士試験への挑戦、選手会長の務め、SNS発信など“バスケ以外”にも積極的に踏み出してきた。それは将来を計算した行動ではなく、もっと本能的な衝動に近い。“誰もやっていないことに挑む”という姿勢が、彼のキャリアを大きく広げた。

「若い頃は、“普通の選手じゃ面白くない”って本気で思ってました。会計士試験も、選手会長も、深い理由というより“やってみたら面白そう”という感覚に近かったです。辛かったかどうかと聞かれても、あまり辛いと思ったことはありません。『ここを越えればもっと道が開ける』というイメージだけで突っ走っていて、とにかく挑戦することが楽しくて仕方なかったんです。SNSや新聞で気になった話題があれば、普通は“様子を見る”と思うんですけど、僕はまず“試す”。良いか悪いかは、やってみないと絶対わからないですから。踏み込むことで得られる経験は本当に大きいと思います」

積み重ねが導いた“教育”と“福祉”の道引退後、川崎市のバスケットボールクラブで無料のクリニックを実施した際の一コマ(画像/岡田優介公式Xから引用)

現在、岡田氏は教育・福祉・地域活動など複数の領域で挑戦を続けている。だがそれらは別々のものではなく、現役時代から積み重ねてきた経験が自然につながった結果だという。特に“3×3バスケットボール”と“息子の存在”は、それぞれ違った形で彼のキャリアを大きく広げつつある。

「いまは“これまでの挑戦をつなげる作業”をしています。若い頃は深く考えずに突っ走っていたけど、この歳になって振り返ると、『全部つながっていたんだな』と感じるんです。

教育に取り組むようになったのは、3×3チームの運営から自然と派生した流れです。現役時代から子ども向けのバスケットボールスクールを続けてきましたが、今後は選手の育成にももっと力を入れていきたいと思っています。

一方で、福祉の分野に関わりたいと思うようになったのは、息子の存在が大きいです。知的障がいを伴う自閉症の息子が僕たち家族に与えてくれた気づきは計り知れない。その経験を活かして、運動療育を行う“へやすぽアシスト”とのコラボ事業として、障がいを持った子や運動が苦手な子など、どんなお子さんでも安心して運動を楽しめる『へやすぽDIME運動教室』を開校したり、さまざまな支援を必要とするお子さんとそのご家族や従事者の方々に笑顔を届けたいという想いから、全国の施設や団体を無償で訪問してバスケ教室やふれあいイベントを実施する『スマイルアシストプロジェクト』にも取り組んでいます。こちらは、将来的には他のアスリートも参加できるようにしたいと考えています。

世界を変えるほど大きなことじゃなくても、これまで積み重ねてきたことをつないで、自分や家族、応援してくれる方々に恩返しができたらいいなと思っています」

やらないことこそ最大のリスク3歳から参加できる子ども向けバスケットボールスクールを運営(画像/岡田優介公式Xから引用)

アスリートのセカンドキャリアは難しいと言われる。しかし岡田氏は、引退直後でも迷いはなかった。理由は明確だ。現役時代から複数のキャリアを持ち、興味の赴くまま行動していたからこそ、“選手生活の終わり=人生の終わり”にはならなかった。

「正直、僕にとっては“キャリアの一つが減った”というだけでした。ずっと複数のことを同時進行でやってきたので、引退が大きな区切りにはならなかったんです。失敗を恐れる人が多いけど、“やらないこと”のほうがリスクですよ。小さな一歩でもやってみれば、必ず何かにつながる。今の時代は、何もしないのが一番危険だと思います。そして何より、“自分に正直に生きる”ことが重要。誰かが決めた正解じゃなく、自分が正しいと思うことを選べばいい。まずは自分と、次に近くの人を大切にする。それだけで十分だと思います」

引退した今年、Bリーグの理事に就任した岡田氏。選手・ファン・運営、それぞれの立場を経験してきた人物は稀だ。その唯一無二のポジションだからこそ、彼には果たすべき役割があると感じていると語る。

「理事を任せていただいた以上、必ず何か貢献したいと思っています。Bリーグは右肩上がりで成長していますが、これからは“成長速度をどう加速させていくか”が重要になるはずです。僕は〈選手〉〈ファン〉〈クラブやリーグの運営〉すべての立場と近い距離で関わってきました。でもその間には意外と大きなギャップがある。だからこそ、自分が橋渡しになれるんじゃないかと思っています。引退はゴールじゃなくて、新しいスタート。バスケ界の未来のために、これからも挑戦し続けたいです」

18年間のプロ生活に区切りをつけ、家族のそばで生きることを選んだ岡田優介氏。現役時代から挑戦し続けてきた“バスケ×◯◯”の経験は、引退後の教育・福祉・地域活動へと自然につながっていった。失敗を恐れず「まずやってみる」姿勢が、キャリアの幅を広げ、今の自分を形づくっているという。Bリーグ理事としては、選手・ファン・運営の架け橋となり、リーグの未来に貢献したいと語る。引退は終わりではなく、新たな挑戦のはじまりだった。

PROFILE 岡田優介
1984年生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒業。2007年にトヨタ自動車アルバルク(現・アルバルク東京)に入団し、プロバスケットボール選手としてのキャリアをスタート。2009年、日本代表に初選出され国際大会で活躍。2010年には公認会計士試験に合格し、大手監査法人で実務を経験。さらに、2013年に発足した一般社団法人日本バスケットボール選手会の初代会長を務める。国内の複数のチームで活躍し、2024-2025シーズン終了後に引退。現在はプロ3x3チーム『TOKYO DIME』やバスケットボールスクール『DIME』を運営する株式会社東京ダイム代表取締役のほか、教育事業、キャリア支援事業、社会福祉事業など、多岐に渡り活動に関わっている。

text by Uiko Kurihara(Parasapo Lab)
画像提供:岡田優介