三谷幸喜のオリジナル脚本で、1984年の渋谷「八分坂」という商店街を舞台にした群像劇のフジテレビ系ドラマ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』(毎週水曜22:00~ ※TVer、FOD、Netflixで配信)の第11話が、17日に放送された。
ついに最終話を迎えたが、これまでの展開や同話から、タイトルにあった問い「楽屋はどこか」について考えてみた。
【第11話あらすじ】「八分坂」を去らずにいられなかった久部が見たものは
支配人の大門(野添義弘)、フレ(長野里美)を追い出し、WS劇場を手に入れた久部三成(菅田将暉)。倖田リカ(二階堂ふみ)との関係も良好で、かつて案内所のおばば(菊地凛子)が告げた「一国一城の主となる」という予言が当たったわけだが、ふと、久部にもらった植木が枯れていることに気付いたおばばは「あの男の運気が下がっておるぞ」と呟く。
たくさんのスタンド花が並ぶようになったWS劇場では、上演演目は『冬物語』から『ハムレット』へと変わっていた。主人公のハムレットを演じるのは久部だが、ひときわ人気があるのは大瀬六郎(戸塚純貴)が演じるレアティーズ。2人の対立シーンでも、観客は圧倒的にレアティーズの味方で、久部は予想外の反応に困惑する。
一方、楽屋ではヒロイン・オフィーリアを演じるリカが自信を喪失していた。久部は懸命にフォローしようと、2人きりで立ち稽古まで行うが、リカはその場を去ってしまう。このとき久部は、毛脛モネ(秋元才加)の息子・朝雄(佐藤大空)が描いていた絵に手を加えてしまい、その結果、絵を台無しにしてしまう。さらにはその罪を、大瀬になすりつけてしまう。
ここから久部を多くの災難が襲う。まず、劇団「天上天下」の主宰者・黒崎(小澤雄太)の陰謀で、是尾礼三郎(浅野和之)が約束を破り、再びへべれけになるまで酒を飲んでしまう。さらにはその酒が実は年代もので50万円の支払いが久部のもとへ。やむを得ず、売上金からこっそり抜き取るも、モギリの毛利里奈(福井夏)にバラされてしまう。久部は「以前ここにいたダンサーがお金に困っていたので渡した」と嘘をつくも、偶然、そのいざなぎダンカン(小池栄子)がWS劇場を訪問し…。
開き直り、すっかり劇団員から愛想を尽かされる久部。さらにリカからも見切られ、ついにクベ劇場は崩壊。久部は劇団を蓬莱省吾(神木隆之介)に託し、「八分坂」から姿を消す。
そして数年後。ジェシー才賀(シルビア・グラブ)が経営する弁当店で配達の仕事をしていた久部が配達先で見たのは、あのクベ劇団が、公演もないのに定期的に集まり、演劇の稽古をしている光景だった──。
菅田将暉が悲劇を喜劇に
「さすが、三谷幸喜!」と言わずにはいられない最終回だった。まず、テンポがとてつもなく良い。久部が堕ちる因子となる事件が立て続けに起こり、「なんて、間の悪い…」とつぶやいてしまいそうな絶妙なリズムが、見ている側の心拍のリズムも上げる。
冒頭に、おばばが「あの男の運気が下がっておるぞ」とつぶやいた時に出ていたタロットカードは「吊るされた男」。これは「試練」を意味しているが、運命のいたずらに試されるように、久部の不運が連なっていく様子は、まさに試練でありハラハラの連続だった。
それでも、見ていてストレスに感じられなかったのは、菅田の芝居がコミカル寄りだったからではないだろうか。かのチャールズ・チャップリンは言った。「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」。この言葉の通り、遠く(画面越し)で見る久部の悲劇は、作中では喜劇としても映った。不運の連続も、見る側の心が痛みながらも、見ることをやめたくなる想いは湧かず、ただただ先が知りたくなってしまう。
特に、久部と蓬莱とのやり取りは、滑稽で良かった。蓬莱は久部に、「あなたにとってリカさんは特別でも、オフィーリア役としては荷が重い」と話す。久部はリカと自分が特別な関係であることを指摘されたことで、照れたり、妙な行動でツッコまれたりと、久部のかわいらしさ、憎めなさ、愛らしさが、見事に演出されていた。菅田将暉と神木隆之介…この、演技派2人だからこそのテンポとリズムと滑稽さだったと言えよう。
もう一つは、久部と、巫女の江頭樹里(浜辺美波)とのやり取りだ。ここは非常にシリアスな場面で、久部は樹里から、朝雄の絵を汚した真犯人が久部である証拠が突きつけられる。そんな、キツい場面であるにもかかわらず、久部の言動に、ちょこっとずつ樹里がツッコミを入れていくやり取りは、まるでコント。悲劇と喜劇の中間点を見事に示し続けた西浦正記氏の演出も、同じく「さすが」というほかない。
こうして、シェイクスピア『マクベス』の主人公・マクベス並みに、人生を頂点から転げ落ちていった後、久部は「八分坂」を去ることになるのだが、ここでの「八分坂」はまるでそれそのものが「舞台」であったかのようだった。夜のネオンが奥からゆっくりと、次々消えていく美しさは、まさに舞台的演出であり、久部の心情をも表現していた。
第1話は、「八分坂」のネオンが徐々についていくシーンから始まり、最終話では徐々に消えていくシーンで「八分坂」が消える。久部にとっての、タイトルにある「舞台」とは、「八分坂」だったのかもしれない。
