毎日こつこつと積み上げるように働き、生きている私たち。そこに、にわか雨のように突如訪れる「病」。自分自身だけでなく、パートナーや子ども、親などの近親者が何らかの疾患に襲われることで、当たり前のように過ごしていた日々が一変することもあります。そして、病に対する大きな不安を抱えながらも、それでも働き、生きていかねばなりません。

生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は久保田圭一さんにお話を伺います。


東京都に住む久保田圭一さん(55歳)。結婚前は俳優業をしていた久保田さんでしたが、結婚を機に資格を取り、接骨院を開業します。結婚翌年に生まれた息子・光一くん(14歳)は生まれつき視覚障害があり、幼児期に手術を受けました。久保田さんに、光一くんの治療の経緯や現在の過ごし方などについて聞きました。全3回のインタビューの2回目です。 →前回の記事

  • 久保田さん提供

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■夫婦で息子に100%の愛情を注ごうと決めた

ーー息子の光一くんは生後4カ月で『家族性滲出性硝子体網膜症(FEVR)』という、視力低下などの症状があらわれる病気だと診断されたそうです。診断後はどのような治療を受けましたか?

久保田 両眼の網膜血管の形成異常が原因で、血管の伸び方が偏ったり、血流が滞ったりして、網膜が引っ張られたり(牽引されたり)することで、網膜剥離などの重い合併症を起こすリスクがあるとのことで、息子は生後10カ月の頃にバックリング手術を受けました※。これは眼球にリング状の器具をはめておさえるようにして、網膜剥離を防ぐための手術です。この手術のおかげで網膜剥離の進行は防げましたが、息子の視力がどの程度まで回復するかは分からないという状況でした。

※監修医師より:網膜剥離の進行を防ぐために、バックリング手術(眼球の外側から圧迫する手術)や硝子体手術(眼の内部から膜を除去する手術)が行われます。これらは眼球の形や機能をできる限り保つことを目的としており、視力の改善が必ず得られるわけではありません。

この手術を受けたあと、妻と話し合って決めたのは「息子を一人っ子にしよう」ということです。私も妻も子どもが大好きですし、きっと子どもは何人いてもかわいいと思います。でも、もし下の子が生まれたとしたら、息子のために使える時間は分散してしまうでしょう。私たち夫婦の時間とエネルギーの100%を息子に注ごう、と2人で覚悟を決めました。

ーー1回目の手術後の経過はいかがでしたか?

久保田 定期的に検査を受けていたのですが、3歳3カ月のときに症状が思わしくなかったため、両目とも硝子体手術を受けることになりました。これは、眼球の大半を占めている硝子体という透明な組織を取り除く手術です。網膜を引っ張って剥離を起こす原因となる硝子体を取り除くということでした。硝子体は眼球の形を保つ、光を屈折させるなどの役割があるので、硝子体がなくなるかわりに分厚いめがねをかけて目の機能を補っています。

――手術の際に大変だったことはありましたか?

久保田 10カ月での手術のときはまだ赤ちゃんだったので、親としては見守るしかありませんでした。でも3歳の手術のときは違いました。手術に向かう息子に、看護師さんたちが「これからこういう場所に行くよ〜」と楽しい雰囲気で声かけをしてくれていたんですが、手術室に入る直前、息子が「パパー! ママー!」と叫んだんです。あの瞬間のことを思い出すと今でも胸が締め付けられます。できることなら代わってやりたかったし、あれほど切ない瞬間はありませんでした。

■“目が見えない=かわいそう”ではないと気づいた

  • 久保田さん提供

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ーーお子さんの手術のとき、久保田さんは仕事の調整はどうしましたか?

久保田 息子が3歳の当時、私は接骨院の院長として働いていましたが、手術の日は休診にさせてもらいました。患者さまたちに「息子が手術なんです」と事情を伝えると理解してくださって、「行ってらっしゃい」と言ってくださってありがたかったです。

今はオーナー兼院長として仕事をしていますが、どうしても外せない息子の用事があるときには「申し訳ありませんが、家族優先にします」と患者さまに伝えて、仕事を調整しています。

ーー光一くんの手術後の様子はどうでしたか?

久保田 手術後は意外にも落ち着いていて、息子は両目に眼帯をして見えない状態でも普通に遊んでいたんです。そんな息子の姿を見て、“目が見えない=かわいそう”という固定観念が崩れたような気がします。息子は音を聞いて楽しそうに遊んだり、テレビの音に反応したり、おもちゃの車を自分の前で動かしたりしていました。視覚以外の情報でも世界を感じ取ることができると気づかされました。

手術後の息子の視力は、右目は0.05くらいで左目は手動弁です。手動弁とは、視力0.01未満で、目の前で動かした手の動きが見えるかどうかで判断されるものです。僕たち夫婦は息子にとっていちばん大事なのは現状維持だと思っているので、何か変化があれば早めにキャッチできるよう、3カ月に1回受診して経過観察してもらっています。

※監修医師より:視力が0.01未満の場合、視力検査表では測れないため、目の前で手を動かしてその動きが見えるかどうか(手動弁)で判定します。

■弱視の人も外出時に白杖を使うと知ってほしい

――光一くんは保育園や幼稚園など、集団保育にはどのように参加していましたか?

久保田 息子が生後10カ月で手術を受けた当時、住んでいた区内には視覚障害に特化した療育施設がありませんでした。そこで区役所で相談すると、筑波大学附属視覚特別支援学校の幼児教育施設で、視覚障害を持つ赤ちゃんや幼児を対象とした育児支援の場があると教えてくれました。

夫婦でその施設に見学に行ってみたところ親子で楽しく過ごせそうだったため、妻が息子と育児学級に通うように。その後は筑波大学附属の幼稚部に入学し、さらに小学部へと進学しました。

ーー学校ではどのように学習するのでしょうか?

久保田 教科書は、弱視など視覚障害のある生徒のための拡大教科書を使用しています。通常の教科書よりも本自体が大きかったり、文字の大きさが1.2倍〜2倍に設定されたりして視認性が高いように工夫されているものです。

息子は、その教科書をさらにルーペや拡大読書器を使って読んでいます。拡大読書器とは、机の上に置いて、文字を大きな画面に映し出すことができる機器のこと。弱視の人は、人によって見やすい色調が異なるのですが、息子の場合は黒い背景に白い文字が見やすいので、拡大読書器の白黒反転機能を使っています。こうした支援機器のおかげで、息子は自分のペースで学習できています。

ーー現在中学生の光一くんはどのように通学していますか?

久保田 地元の駅まで妻が車で送り、そこからは息子が1人で電車に乗って通学しています。全盲の方が、白杖を地面につけて左右に振りながら地面の形状を確認している様子は見たことがある人もいると思いますが、弱視の人も白杖を使うんですよ。ただ使い方が少し違って、息子の場合は、白杖を縦方向に動かして、階段の高さや道路の形状を確認しながら歩くんです。「目が見えるのに白杖を使ってるのか」と言われることもありますが、弱視の人も白杖を使うことを広く知ってもらえるとうれしいです。

■ハンディキャップのある人との日常の積み重ねが大きな意味を持つ

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ーー視覚障害のあるお子さんを育てて、久保田さんご自身が変化したと思うことは?

久保田 私も妻も障害のある人と接する機会が少ない中で育ったので、自分たちの子どもが視覚障害があると分かったとき、どうすればいいのか戸惑うばかりでした。ハンディキャップは、身近に触れていると身構えず自然に対応できるようになるものだと思うんです。息子は視力が弱いですが、私たち家族は普段「この子は目が悪いから」と意識して生活しているわけではありません。知人に、車いすユーザーと結婚した人がいますが、そのパートナーにとっては車いすの生活が日常であり特別なことではないそうです。弱視の家族がいるのもそれと同じです。

ハンディキャップがある人と日常的に接していると、その人と過ごすのにどうすればいいか、が自然と身につくのです。そうした当たり前の積み重ねが大きな意味を持っていると思います。知ることと触れることは違いますから。

――知ることと触れることは違うというのは、どういうことでしょうか?

久保田 たとえば目が見えづらい人や耳が聞こえにくい人について、見えるし聞こえる私にはその世界を想像するのに限界があります。でも、目が見えづらい人、耳が聞こえにくい人と日頃から触れていれば「この方はこういうときにこう反応するんだ」と体験として知ることができます。

知識は得るだけですが、知恵は経験を通じて生まれるもの。私は、息子との生活の中でその知恵を授かっていると感じています。

第三回では、光一くんの将来の夢や現在の様子などをお聞きします(2025/10/30 6:15 公開予定)。