俳優・アーティストとして活動する松下洸平が、7月5日に開幕する大阪・関西万博開催記念 大阪市立美術館リニューアル記念特別展「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」の音声ガイドを務める。幼少期から絵に親しみ、高校までは美術科で油絵を描いていたという松下。学生時代はゴッホに触れる機会もあり「自分なりに勉強させていただいたので、ゴッホは特別な思い入れのある画家の1人」と語る。そんな自身のルーツに重なる存在であるフィンセント・ファン・ゴッホ。その世界に声で関わる今回の体験は、松下にとって特別な意味を持ったようだ。インタビューでは、ゴッホとの出会いや、音声ガイド制作の舞台裏、俳優としての転機や表現に対する思いなどについて話を聞いた。

  • 松下洸平

    松下洸平

――まず、音声ガイドを務めて感じたことを教えて下さい。

フィンセントの生涯を順を追って見ていくことで、とても興味深い発見があり「知らなかったことばかりだった」と思いました。今回はフィンセントが残した手紙もいくつか展示されているんですけれど、それを朗読のような形で読ませていただいています。改めて声に出して読んでみると、フィンセントの思いが伝わってきて。悩み、苦しみながらも、自分の作るものを信じて生涯を全うしてきた姿がよくわかったので、一つひとつの言葉に触れながら、学ばせてもらう時間になりました。

――収録では、どのようなことに気を配られていましたか?

今回は、フィンセントと弟のテオの声を担当させていただきました。フィンセントと話したことはもちろんないですから、この声色の分け方がとても難しかったです。彼がどんな声だったかはもう誰もわからないので、僕が思うフィンセントを想像しながら、かつ作品に集中できるように声色を変えすぎず、僕なりに、この兄弟らしさをやんわりと出せたらと思って演じました。

――学生時代からゴッホの作品には触れていたとのことですが、アーティストしてどのような印象を持たれていますか?

単に優れた作家というだけではなく、どこか偏屈で、協調性に欠けた性格ゆえに人との関係に苦しんだ。そんな内面と真摯に向き合おうとしていた彼の姿に、とても惹かれています。感情の振れ幅が大きく、せっかく築いた友人関係さえ自ら壊してしまうような、脆さもあったのではないかと感じています。それは少し痛ましくも思いますが、それでも描くことに対して一途で、真っすぐであり続けた彼の姿勢には、すごく勇気をもらえます。そして今回改めて、そんな彼が“画家”であり続けることができたのは、何より家族、特に弟・テオの存在が支えになっていたんだなと思いました。

――松下さんから見たゴッホの魅力とは?

スキルの先にある“オリジナリティ”こそが、フィンセントの大きな魅力だなと思います。作品を見ていると、行く場所や住む場所によって使う色やタッチが少しずつ変化していて、意外と影響を受けやすい人だったんだなと感じました。日本の浮世絵に影響を受けて、それを取り入れた作品も描いていますが、最終的には必ずフィンセントらしさがにじみ出ていて、彼にしか描けない景色がある。そこにたどり着ける表現力の深さは、本当にすごいと思います。

  • 松下洸平
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――そんなゴッホに初めて触れたのはいつだったのでしょうか。

画家として油絵を描いている母の影響で、僕も子供の頃から母に油絵を習っていました。いろいろな作品の模写をやる中で、ゴッホの『ひまわり』と出会ったんです。それが何歳だったかは覚えていないのですが、子供だったことは確かです。たしか、それが最初だったと思います。

――そのとき、他の画家との違いは感じましたか?

コピーではありますが、何となく他と違うなって思いました。特に、絵の具の乗り方がちょっと独特だなと思ったのを覚えています。

――今回の展示ではゴッホの手紙も4通紹介されます。手紙を書くことに対しての思いもお聞かせください。

お世話になった方々にはときどき手紙を書くのですが、いかんせんあまり字が上手じゃないので、たった10行ぐらいの短い感謝の手紙も、少なくても3、4回は書き直します。自分の字があまり好きではないですが、自分の手で書くことほど想いが伝わることはないと思いますし、手紙をいただくこともとても多いので、手紙は大切にしています。文字を書かなくても済む時代になってはいますけど、だからこそときどきもらう手紙の温かさは忘れちゃいけないなと、常に思っています。