『DEATH STRANDING 2』が「今世紀最も野心的なゲームのひとつ」と海外で絶賛される理由

PlayStation 5用ソフト『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』が6月26日に発売される。小島秀夫監督の最新作は、配達シミュレーターとシュルレアリスム的なSFの警鐘が融合した作品であり、今世紀最も野心的なゲームのひとつだ──米Rolling Stone誌のレビューをお届けする。

『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』は、まるで交響曲のような作品だ。美しく荘厳なクラシック協奏曲の中に、突如としてエレキギターが割り込み、不穏ながらも妙にカッコいいリフをかき鳴らす。全体としては奇妙でアンバランスな印象もあるが、その異質な要素たちが見事に組み合わさっている様には、抗いがたい魅力がある。

6月26日に発売される『DEATH STRANDING 2』に不足しているものがあるとすれば、それは「野心」ではない。本作は『メタルギアソリッド』で知られる小島秀夫が手がけた中でも、最も壮大で大胆な作品の一つだ。前作のビジョンとスタイルを容赦なく拡張・深化させており、多層的なテーマに挑んでいる。死や悲しみを私たちがどう捉えるか、日常というルーティンが人生に与える影響、アメリカ帝国主義への痛烈な批判、コロナ以後の孤独と断絶への省察、そしてAIやテクノロジー依存の危険性への警鐘──こうした要素すべてを一つのゲームに詰め込むのは簡単ではない。しかし小島は、それぞれが不協和音のように響くテーマを、まるで一本の糸で繋ぐように紡ぎあげ、他のゲームはおろか、あらゆるメディア作品の中でも唯一無二の存在へと昇華させている。

『DEATH STRANDING 2』は、美しさと混沌を同時に内包した作品だ。物語は困惑するほど難解でありながらも魅了されずにはいられず、ゲームプレイは革新的であると同時に、ときに単調で退屈さすら感じさせる。そのため、2019年の前作『DEATH STRANDING』を楽しめなかった人にとって、本作が心を変えるきっかけにはならないだろう。しかし、前作に惹かれたプレイヤーにとっては、まさに”とんでもない旅”が待っている。

本作は二項対立の連続であり、常にひとつの型に収まることを拒む。そして間違いなく今年最高の一本であり、もしかするとこの世代のゲームの中でも屈指の傑作と言えるかもしれない。

見覚えのある未来

『DEATH STRANDING 2』の物語は、前作から約11か月後の世界を舞台にしている。新規プレイヤー向けに、前作の出来事を振り返る長尺のイントロ映像が用意されてはいるものの、可能であれば前作をある程度プレイしておくことを強くおすすめする。

物語の舞台は、遠い未来。人類の大半を消し去った大災厄「デス・ストランディング」が発生し、生存者たちは各地に散らばり、孤立した暮らしを強いられている。世界には「BT(Beached Things)」と呼ばれる超常的な存在が跋扈しており、彼らが死体を取り込むと「ヴォイドアウト」と呼ばれる核爆発規模の大爆発が起こる。この状況下において、物資や医薬品などを運ぶ配達人「ポーター」たちは極めて重要な存在となっている。主人公サム・ブリッジズ(ノーマン・リーダス演)がその一人であり、危険な世界を横断しながら、人と人とのつながりを取り戻す役割を担っている。

前作の出来事から11か月後、サムと娘のルーはアメリカ統合国(UCA)の支配から逃れるべく、メキシコへと移り住み、静かに暮らすことを選ぶ。しかしその平穏な日々は長くは続かず、サムの人生は再び悲劇に見舞われる。前作『デス・ストランディング』では、サムは”カイラル通信網”と呼ばれる形而上的なインターネットを通じて、UCAを再びつなぎ直すという使命を果たした。だが今作では、メキシコで新たな生活を築こうとするサムに対し、UCAが再びその手を伸ばしてくる。彼らはサムの力を借りて、メキシコ、さらにはオーストラリアにまでカイラル通信網を広げ、世界のさらなる再統合を目指しているのだ。

実は、アメリカを再統合したことで、世界の他の地域はかつてないほど不安定な状態に陥っていた(「アメリカを再び偉大に」というテーマが、他のすべてに深刻な悪影響を及ぼしているという皮肉に気づかない者はいないだろう)。

『DEATH STRANDING 2』のテーマは「つながり」だ──比喩的にも、そして文字通りにも。サムは”ネットワーク”を通じて、分断された人々やコミュニティを再び結びつけていく。©︎Sony Interactive Entertainment

進化とジレンマが同居するゲーム体験

物語やテーマの詳細に入る前に、『DEATH STRANDING 2』のゲームプレイの構造とその”体感”について触れておくことは重要だ。というのも、この奇妙なプレイ感覚こそが、物語の受け取り方に深く関わってくるからだ。正直に言えば、本作のプレイ体験は、突如として訪れるトーンの急変を何度も行き来するようなものだ。その戸惑いこそが、プレイヤーにとって”このゲームをプレイするとはどういうことか”を体現していると言える。

『DEATH STRANDING 2』は、その本質において”配送シミュレーター”である。サムはメキシコやオーストラリアの各地を再びつなぎ直すため、さまざまな施設へ荷物を届け、それらをネットワークに接続していく。プレイヤーは、まず徒歩による配送からスタートする。この徒歩移動は、実在する日本の伝統的な歩荷(ぼっか)に着想を得たものだ。ゲームが進行するにつれて、移動や配送の手段は徐々に拡張されていく。車両、ジップライン、カタパルト(投擲装置)、モノレール、テレポーターなど、多彩な選択肢がアンロックされていく。メキシコは、基本操作や仕組みを学ぶ”チュートリアル的エリア”として機能し、その後、物語の中心はオーストラリアへと移る。ここでプレイヤーは、より大規模かつ効率的な配送ネットワークの構築に取り組むことになる。そして忘れてはならないのが、本作特有の「ストランド・システム」だ。このシステムにより、他のプレイヤーが設置したアイテムや構造物が自分の世界に反映され、自分のものもまた他人の世界に現れる。この共有要素が、ゲームに独特のつながりと協力の感覚をもたらしている。

ゲームプレイという観点で驚くべきなのは、『DEATH STRANDING 2』が前作のビジョンから大きく逸脱していないという点だ。むしろ、そのコンセプトを丁寧に磨き上げ、洗練させている。前作『デス・ストランディング』の、遅くて慎重な”配達体験”は、万人向けではなかった。しかし、それこそがこのゲームを唯一無二の作品にしていた要因でもある。ただし、そのスタイルが一部のプレイヤーにとってとっつきにくいことも容易に想像がつく。あらゆる側面において、じわじわと火がつく”スローバーン”型のゲームだからだ。

本作は依然として「歩くこと」や「配達」に重きを置いたゲームプレイが中心であり、前作に否定的だった人々の評価を覆すような内容ではないかもしれない。©︎Sony Interactive Entertainment

『DEATH STRANDING 2』では、いくつかの大胆なアクション要素が新たに導入されているが、根本的にはあくまでも”のろのろと進む配達シミュレーター”であり続けている。続編でありながら、より取っつきやすくしようと安易な妥協を拒んでいる点には、むしろ好感すら抱く。とはいえ、『DEATH STRANDING 2』が前作よりも優れていないというわけではない。むしろ、あらゆる点で前作を上回っていると言っていい。

全体として、本作はコジマプロダクションが”配達システム”で実現したかった構想を完全に具現化したもののように感じられる。ゲーム全体には緻密なシミュレーション性が織り込まれており、プレイヤーは世界をどう旅し、どう注文を達成するかについて、より多様でダイナミックな選択肢を手にすることができる。

例えば、鉱山を発掘して資源を確保し、大陸を横断する巨大モノレール網を建設することもできる──ただし、それには膨大な時間と労力が必要だ。あるいは、相棒のトライク(バイク)に乗って、オーストラリアの大地を一マイルずつ走破するという選択肢もある。さらに、ファストトラベルも大幅に改良されている。サム自身を転送できる「トランスポンダー」や、拠点機能を果たす宇宙船「DHVマゼラン」の登場によって、移動の自由度と効率は格段に向上した。

こうしたシミュレーション的要素は、環境的な脅威としても顔を見せる。メキシコとオーストラリアの両大陸には「プレートゲート」と呼ばれるポータルが出現しており、そこから放たれる地震や衝撃波がサムを転倒させたり、車両を崖から吹き飛ばしたりと、油断すれば一瞬で危機に陥る。雪山地帯を進んでいる最中、突如として雪崩が発生し、命からがら逃げなければならない場面に出くわすこともある。

世界そのものも、前作以上に生き生きと息づいている印象を受ける。荒野にはさまざまなバリエーションのBT(Beached Things)が徘徊しており、それぞれに適応した戦略が求められる。また、傭兵や山賊、そして「ゴーストメック」と呼ばれる新種の敵も登場し、対抗手段としての武器の重要性が増している。戦闘の機会は増えており、それに伴って射撃や武器の操作性もより精密に、意図を持って調整されている印象だ。

さらに、バトルには”やりすぎ”とも言える愉快な新要素も加わっている。たとえば、大型のBTをポケモンのように捕獲して召喚できるグレネードがあり、その使用時には70年代のゴジラ映画のようなレトロな戦闘音楽が鳴り響く。『DEATH STRANDING 2』は、その奇妙でワクワクする武器の数々を、あくまで「楽しく」使わせてくれる。

戦闘システムは前作より改善されているものの、シューターとして求められる滑らかさにはまだ一歩及ばない印象だ。©︎Sony Interactive Entertainment

同時に、本作はプレイヤーの体験をより自由にカスタマイズできる多くの手段を提供している。配達を完了することで、接続済みの各施設のランクが上がり、世界に設置できるオブジェクトの「帯域幅」が拡張されるほか、新たな武器やアイテムがアンロックされる。また、新システム「APASエンハンスメント」に使えるポイントも獲得できる。この「APASエンハンスメント」は、いわばパークツリーのような仕組みで、ゲーム内のさまざまな要素を微調整することができる。たとえば、川で水筒を素早く満たせるようにしたり、銃の連射速度を向上させたりと、プレイスタイルに合わせたカスタマイズが可能だ。直感的に使えるこのシステムは、自由度の高い”組み合わせと最適化”を実現しており、各施設のレベル上げという「作業」にもしっかりと報酬と意味をもたらしてくれる。

とはいえ、本作の操作性には依然として煩わしさが残っており、ゲーム体験そのものを妨げてしまう場面もある。たとえば、武器の切り替えはシューターとしては直感性に欠け、メニューを開いて装備を選び、弾が切れたら武器を手放す必要がある。新たに回避アクションが追加されてはいるが、これは銃を構えているときにしか発動できない。こうした細かな不満点はまだ健在であり、根本的には本作が”ウォーキング・シミュレーターとしての配達体験”を中心に据えていることが大きな理由だ。

しかし、『DEATH STRANDING 2』において飛躍的な進化を遂げた要素があるとすれば、それは間違いなくボス戦だ。本作のボスバトルは、現代のビデオゲームの中でも屈指の出来栄えを誇っており、プレイヤーは幻想的なクリーチャーや、これまでのルールを覆すような戦闘に挑むことになる。たとえば、月面のような重力が作用する水中世界で、巨大な跳躍を繰り返しながら戦うシーンや、『インセプション』さながらに崩壊していくモノレール空間で、敵兵が床と天井を自在に行き来する中で戦うシーンなど、その演出はどれも驚嘆に値する。大規模なセットピースによる戦闘は多数存在し、特にゲーム終盤の4時間は、まさに”ゲーム史上屈指の幻覚的クライマックス”と呼ぶにふさわしい狂気と美しさが詰まっている。いい意味で、夢のような、悪夢のような、そんな極限体験が味わえるだろう。

今作のボスバトルは、前作以上に独創的かつ衝撃的で、プレイヤーの想像を超えるような体験をもたらしている。©︎Sony Interactive Entertainment

だが、まさにこの”対比”こそが『DEATH STRANDING 2』をこれほどまでに魅力的な作品にしている要因だ。大迫力のアクション映画さながらの瞬間が、全体の大部分を占める”瞑想的な配達業務”の中に唐突に差し込まれる。そのコントラストは、前作以上に意図的で、より意味深く感じられる。この構造は、本作のテーマである「ルーティン」にも深く結びついている。どれほど過酷で抑圧的な状況であっても、人間はそれを「日常」として受け入れ、慣れ親しんでしまう──ただ淡々と、いつも通りのことを続けていくことで。『DEATH STRANDING 2』は、そうした人間の適応力と麻痺を、ゲーム体験そのものに落とし込むことで描いているのだ。

重厚なテーマと胸をえぐる物語

『DEATH STRANDING 2』は、前作より洗練されたゲームプレイ体験を提供する一方で、その物語は極めて挑戦的で、時に時事的、そして吐き気を催すほどに自己言及的でもある。小島秀夫は本作の中で、自身の過去作を頻繁に参照しており、その姿勢は心地よく感じられる瞬間もあれば、自己陶酔的に映ることもあるという、紙一重のバランスで成り立っている。

物語の詳細に深く踏み込むのが難しいのは、序盤からプレイヤーの想像を超える衝撃的な展開が待ち受けており、それがサムの旅路全体に深く関わってくるからだ。これまで小島が手がけた中でも、間違いなく最も暗く重いストーリーであり、自殺、うつ、喪失など、重たいテーマに真正面から取り組んでいる。『DEATH STRANDING 2』の発売に先立ち、小島自身がコロナ禍を経て前作のテーマ解釈が大きく変化したことを公言していたが、その影響は本作の至るところに色濃く表れている。希望と絶望の狭間で揺れ動く物語は、プレイヤーの感情に深く訴えかけてくるだろう。

本作には、「人とのつながり」や「実際に会いに行くことの大切さ」という強いメッセージが貫かれている。同時に、続編では「暴力」というテーマにもより大きな焦点が当てられている。一般の人々が暴力をどう捉え、どう使うのか、そして国家や政府が自らの目的を果たすために、いかにして暴力を利用するのか──そうした問いかけが物語全体に散りばめられている。これらのテーマは、単なるストーリーテリングの中だけでなく、戦闘や環境描写といったゲームプレイ全体を通して表現されており、プレイヤーの選択や行動そのものが、メッセージの一部となっていく。前作から登場していたキャラクターたちは、『DEATH STRANDING 2』でも引き続き重要な役割を果たしている。なかでも、”邪悪すぎて魅力的”なヒッグス(演:トロイ・ベイカー)は、本作ではさらに進化を遂げ、より強力で印象的なヴィランへと変貌を遂げている。

著名な俳優や映画監督、アーティストたちによる豪華なキャスト陣が、印象深く個性的なサポートキャラクターたちを見事に演じきっている。©︎Sony Interactive Entertainment

一方で、新キャラクターたちも続々と登場し、それぞれが物語に不可欠な存在として位置づけられている。たとえば、レイニー(演:忽那汐里)は、外に出るだけで”タイムフォールの雨”を引き起こしてしまう謎めいた少女。その特殊な体質ゆえに社会から拒絶されてきたが、彼女には癒やしの秘密が隠されている。そして特筆すべき新キャラが、サムの新たな相棒となるドールマン(容姿モデル:ファティ・アキン、声:杉田智和)。悲劇的な過去を持ち、今では魂が不気味な腹話術人形の中に宿っているという異色の存在だ。

驚くべきことに、『DEATH STRANDING 2』では主要キャラクターが誰一人として置き去りにされることはない。それぞれが物語の織物の一部としてしっかりと機能しており、登場人物一人ひとりのエピソードを通して、本作のテーマが丁寧に浮かび上がってくる。彼らの人生は、アメリカという国家が”力”を渇望するあまりにどのように歪められてきたのか、そして「死」が彼らの「生き方」にいかに影響を与えてきたのかを示している。なかでもサムのキャラクターアークは非常に感動的だ。家族、愛、そして犠牲を描いたその物語は、想像もしなかった方向へと展開し、プレイヤーの心に深く刻まれるだろう。

物語がここまで奇妙なトーンの変化や不安定なテンポを抱えながらも、最終的にしっかりと機能しているという事実は、本作におけるテーマ性とキャラクター描写の力強さを如実に物語っている。大迫力のアクションシーンの前後には、何時間にもわたる単調な配達作業が挟まれ、繊細で人間味あふれる瞬間は、シュルレアリスム的な映像表現や腹話術人形といった奇妙な演出を通して語られる。その一見ちぐはぐで不可解な組み合わせこそが、本作の個性と魅力を形作っているのだ。

『DEATH STRANDING 2』は常に一貫性があるとは言い難いものの、この規模の作品としては異例ともいえる大胆で奇妙なトーンが、むしろその挑戦精神の高さを際立たせている。©︎Sony Interactive Entertainment

異例なほどに大胆な一撃

『DEATH STRANDING 2』は、前作以上に、今後10年にわたって語り継がれるであろう作品だ。そのテーマやメッセージは、これからも長く掘り下げられていくだろうし、そのすべてが「天才的」と評されるのか「ひどい」と酷評されるのか、その議論が尽きることはないだろう。だが、それこそがこのゲームを”いま”という時代において特別な存在にしている理由だ。どの作品も同じような傾向やトレンドを追いがちなこの業界において、『DEATH STRANDING 2』はまったくもって「自分だけの道」を貫いている。この作品は、ありがちな「軌道修正型の続編」ではない。むしろ前作のコンセプトをさらに押し進め、真逆ともいえる方向に、大胆な飛躍を遂げている。そして、安牌ばかりを選びがちなゲーム業界において、これほどのスケールで”攻めに攻めた”作品が登場することは、実に痛快で、心から歓迎すべき出来事だ。

もちろん、これほど突き抜けた作品をつくるだけの時間と予算を与えられるのは、小島秀夫という存在をおいて他にいない、という厳然たる事実も忘れてはならない。『DEATH STRANDING 2』は、まるで奇妙なフランケンシュタインの怪物のような作品であり、ゲーム業界における”作家主義的クリエイター”への偶像崇拝が生み出したモニュメントでもある。本作は、制作者たちの果てしない野心によって形づくられたゲームであり、その過程において”ブレーキ”の類はほとんど存在しなかった。ときに攻撃的で、不穏で、そして何より一切の妥協を拒んでいる。『DEATH STRANDING 2』は、難解でありながらも感情をすり減らすような体験をもたらす作品だ。しかし、そうした側面こそが、このゲームをこれほどまでに魅力的にしている理由の一つでもある。プレイヤーが自分自身の解釈を通じて、テーマと向き合い、活用する──本作はまさにそれを前提に構築されている。この物語と体験が、プレイヤー一人ひとりにまったく異なる意味をもたらす可能性があるという点において、それは疑いようのない、強烈な「唯一無二」の作品だ。

ゲーム業界がリストラやプロジェクトの中止、そして革新性の欠如といった困難に直面している今、このような作品──『DEATH STRANDING 2』のようなゲームが登場すること自体が、もはや奇跡のように感じられる。壮大で、美しく、野心的で、混沌とし、同時に散らかったこのゲームは、まさに現在のゲームシーンにおける”異物”だ。それゆえに万人向けではないかもしれない。だが、この奇妙な世界に飛び込む覚悟があるプレイヤーにとっては、本作は間違いなく”ひとつの時代を象徴するゲーム体験”となるだろう。

※『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』は、6月26日にPlayStation 5向けに発売予定。

キャロライン・ポラチェックが『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』のタイトル曲「On The Beach」を提供

【関連記事】キャロライン・ポラチェックが語る未来的表現の秘密、PC Musicの影響とディーヴァ論

From Rolling Stone US.

>>>記事の本文に戻る