連載:アナログ時代のクルマたち|Vol. 52 ポルシェ956

レースの世界では、時に無敵を誇るマシンやドライバーが輩出されることがある。ドライバーでいえば、たとえば現役当時F1史上最強ドライバーと謳われたファン・マヌエル・ファンジオや、最近ではミハエル・シューマッハ。車でいうと50年代のF1マシン、メルセデス・ベンツW196等。そしてここで取り上げるポルシェ956もまた、無敵を誇ったマシンだと言えよう。

【画像】ル・マンを席巻!無敵を誇ったマシン、ポルシェ956(写真11点)

1982年から新レギュレーションの元で始まった、グループCによるレース。新しいレギュレーションは、燃料制限が設けられ、使える燃料は1000kmあたり600リッター。車両重量は最低重量が800㎏に定められ、ボディはクローズドタイプ、そして燃料タンク容量も100リッターとされていた。ポルシェがこのレギュレーションに合わせて開発したのが、956であった。

開発に着手したのは1981年6月というから、シーズンまで半年という短い期間である。開発チームを率いたのはノルベルト・ジンガー。彼は1977年から1998年まで、ル・マンで優勝したすべてのポルシェ・チームに所属した唯一の人物だそうだ。レギュレーション上、ダウンフォースを得るための過度なロングテールは作れないように、全長とホイールベースの比率が規定されていたそうで、ホイールベースを従来のポルシェ・レーシングカーよりも長い(917と比較して350mm長かった)、2650mmとした。そしてジンガーは、この車にグランドエフェクト効果を与えるアンダーボディと、サイドポットの形状を作り上げ、モノコックはポルシェ初のアルミモノコックを採用し、それ以前のマシン、936よりも実に80%も高い剛性を確保していたのである。

エンジンに関しては燃費の縛りがあることから、敢えて新開発はせずに、81年に936に搭載してル・マンを走らせた2649ccの排気量を持つ、空水冷タイプのフラット6を使うことが決まっていた。81年のル・マンは、82年から規定される新レギュレーションの、言わばテストケースで、ポルシェは956に搭載予定だった排気量の大きなエンジンを、この936に搭載して出場し、見事に勝利を収めていた。

空水冷というエンジンは、シリンダーヘッドだけを水冷とした4バルブユニットで、それ以外の部分は従来通り空冷とされていた。

こうして1982年3月27日、完成なった956初号マシン(シャシーナンバー001)は、当時レーシング部門のリーダーであり、同時にレーシングドライバー、さらには著述家という華麗な職歴を持つユルゲン・バースの手によってテストされた。ジンガーが開発したグランドエフェクトは、当時のF1に使われていたラテラルスカートこそ使用が認められていなかったが、そのコーナリングスピードは当時のレーシングスポーツでは不可能と思えるほどのスピードを示したという。

そして迎えた1982年のル・マン24時間では、強力なライバルが不在だったことも手伝って、ある意味では楽勝といえるレースとなった。3台がエントリーしたワークス956は見事1、2、3フィニッシュを果たした。ちなみにこの時3位に入ったのは、チームリーダーにして最初のマシンをテストした、ユルゲン・バース本人であった。優勝はジャッキー・イクス/デレック・ベル組。4899.086kmを走りきり、平均スピードは204.128km/h。燃料消費も100kmあたり48リッターに抑えられて、総合優勝のみならず、性能指数勝まで獲得したのだから、まさにパーフェクトな勝利であった。

この1982年はまだワークスカーのみの存在で、これまでポルシェを使ってきたクレーマー、ヨーストといったいわゆるカスタマーチームには、マシンがデリバリーされていなかった。しかし、1983年になるとそうしたカスタマーチームが956を使い始め、83年こそワークスポルシェが連勝するが、84年と85年はカスタマーチームであるヨースト・ポルシェの956が勝利をさらった。つまり、956は82年から85年まで4連勝を遂げ、さらに改良が施された962Cがデビューした86年から再び2連勝する。したがって956とその改良版の962は、6年間連続でル・マンを席巻したのである。まさに無敵と呼べる存在であった。

ロッソビアンコに展示されていた956は、ニューマンカラーに塗装されたヨースト・ポルシェのマシンである。956は10台のワークス仕様のマシンと、17台のカスタマー仕様のマシンが製造されたとされ、もちろんヨーストのマシンはカスタマー仕様である。2年連続でル・マンに勝利をしているが、当時のヨーストのマシンは、燃料消費を改善しボッシュのモトロニックインジェクションを使用した、956Bと呼ばれるマシンであり、初期の956とは異なる。というわけで、ロッソビアンコのマシンは残念ながらシャシーナンバーが特定されていないので、レース歴は不明である。ニューマン・ヨースト・ポルシェは1984年のWECジャパンにも登場。フロントに独特なウィングを装着して走らせていた。またこの時同じく日本にやってきて、ワークス・ロスマンズ・ポルシェをドライブしたステファン・ベロフは、その翌年、956でスパ・フランコルシャンを走行中に事故死している。

文:中村孝仁 写真:T. Etoh