
中年ミュージシャンのNY通信、今回は舶来文化との付き合い方の話。長年の洋楽リスナーである私(担当編集)にもちょっと耳の痛い話が届いたので、みなさまと共有したいと思います。
※この記事は2025年3月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.28』内、「フロム・ジェントラル・パーク」に掲載されたものです。
アメリカに来て、はや9年が経ってしまいました。大学卒業から数えても4年ちょい、ステージの規模やギャラの水準はいまだ低空飛行から抜け出せず、もし私が親戚だったら、どっかのタイミングで見切りをつけて帰ってきたら? くらい言ってしまいそうです。というか私も自分にそんくらい思ってます(笑)。
それでも忘れかけたころになってギュッと成長の手ごたえが得られたりして、見切りをつけられずズルズルしがみついて、大統領が2度変わる程度には時間が流れました。生え際には白髪が目立つようになりましたが、ただ内面的には老化を上回るほどの変化がこの9年であったようにも思います。
相変わらず教会と傭兵的なバックバンドの2本柱でやっています。そろそろ何か転機みたいなものが訪れてほしいお年頃ですが、そんな受け身では何も変わらない気もしています。
ことに音楽に向き合うマインドセットというか姿勢は激変と言っていいほど大きく変わったのですが、最近ではその変化にもだいぶん落ち着きが見られてきました。それは停滞じゃなくて、ある程度答えに近いものが得られてグラつかなくなってきたってことなのかな、とポジティブに捉えています。見識が定まってきた、とまで言うと自惚れだろうけど。
じゃあその姿勢とは何だって話ですが、具体的に述べると音楽の人種化をやめるようになったこと、そして自分のなかに根ざしている植民地主義に気づいて、それを解除していく心がけをするようになったこと、それがここ数年の私のモードです。
この話をするのはとても恥ずかしいんだけど、音大で同級生だった友人に、最近になって言われたことがあります。学生のころのお前はとにかく黒人としか組みたくないって態度が丸出しで、白人のことは軒並み見下していて、そういう黒人はたまにいるけどお前はアジア人だし、妙なやつだと思ってたよ──。実際まあそんな感じだったので、ぐうの音も出ないってやつです。
なんでそんなおかしな人種主義者に育ってしまったかというと、極東の島国でレアな音源を集めたり、専門書を読み漁って知識を蓄積したりして、しかし黒人の友人のひとりもいない、現実から遊離した不思議なクリーチャーとして長い年月を過ごしてしまったから、ではなかろうか。
現場主義が常に正義だと言うつもりもないのですが、あまりにリアリティの希薄な聴取体験を現実からのフィードバックもないまま積み重ねていくと、音楽って容易にファンタジー化するっていうか、ドグマと先入観の依り代みたいになっていく。
そうすると勝手に妄想をたくましくして、これは白人の軽いノリだとかこれは黒人のビートだとか、グルーヴしてるとかしてないとか、自分のなかでこしらえた幻想の理論を振りかざしてサウンドをジャッジするようになっていく。私の場合それをさらに楽器演奏と音楽理論で補強していたので、よりタチの悪いうるさ型おじさんと化していました。
いっぽうで、どこかでうすうす気づいていたわけです、自分がうつろなアクチュアリティしか持たないリスナーであるという事実に。知識だって神話化されたようなアネクドートばかりで、それこそ星座を眺めながらギリシャ神話を誦じているのと変わりがありません。ひとりひとり生きた人間であるはずの黒人という人種概念を、スキアポデスやブレムミュアエみたいな幻想上の存在みたいに取り扱ってしまっていた。
そういうそこはかとない危機感を感じていたので、本場で音楽を感じてみたい、現場で演奏してみたい、そうすることで自分が愛好してきた北米産の黒人音楽というものを理解したい。可能ならその源にタッチしたい。そんなモチベーションを抱くに至ったわけです。それが9年前。
いま私が思っているのは、音に色はついていないということです。大事なのはグッドミュージックかどうかで、演奏者の肌の色は関係がない。ようやく目を瞑った状態で音楽と向き合えるようになってきました。いっぽうで自分のなかにあった本場志向みたいなメンタリティは、植民地の住人に典型的な症状である。ということが徐々にわかってきました。
私の生まれた立川には私が3歳のときまで米軍基地があり、小学校に入るころになってもまだ、横文字の看板を掲げた商店が残っていたりしました。隣町では現在も横田基地が運用されています。
なので、ひょっとしたら私は日本人平均より少しばかり、日米関係にセンシティブかもしれません。日本が公式にアメリカの植民地になったことはないけれど、しかし政治、経済また文化においてここ80年、実質的に植民地状態にあったことは疑いようがないと考えています。ネオコロニアリズムってやつですね。
それで植民地にまつわる本を読んでいたとき、ホミ・バーバという批評家の言葉に目が止まりました。いわく植民地に生まれた人たちは、オーセンシティは宗主国にある、つまり「ホンモノは外部にある」という思考が染み付いている。そして宗主国の文化を模倣するというのです。めちゃくちゃに心当たりがありました。
なぜピアノやバレエがこんなにも習い事としてポピュラーなのか、なぜわれわれはこんなにもワインに詳しいのか。なぜ施設にヒカリエみたいな妙な名前をつけてしまうのか。なぜここまで国民的に英語を話したいと熱望しているのか。なぜ鼻柱にプロテーゼを入れてしまうのか。なぜシティポップが海外で人気と聞くとうれしくなってしまうのか。
そういうホンモノと権威にまつわる崇拝と模倣願望が、たまたま私の場合、ブラックネスとブラックミュージックを対象としていたのではないか。そう考えてみると、ミュージシャンを神話化したりサウンドを人種化したりする欲望も腑に落ちていくのでした。でも、憧れだけじゃいつまで経っても幸せになれないんですよね。
ひとつ幸運なことがあって、それは自分が長く愛好してきたアフリカン・アメリカンのカルチャーというものが、脱植民地化の精神と強く関係していることです。
奴隷制の歴史のなか、お前たちの肉体と民族性は劣った醜いもの、という観念をインストールされた彼らが、それを跳ねのけてブラック・イズ・ビューティフルと宣言するまでに至ったこと。その運動はいまだ道半ばですが、私たちアジア人にとってはあまりに有効な先達だと思っています。とはいえいまさら着物着たところでコスプレにしかならんしね、どうしたもんでしょ。
みっともないツイートが続いていますが元気です。生存報告がてら、今日のわたしです。 pic.twitter.com/dMH5PmuxdI — 唐木元 (@rootsy) April 21, 2025 教会で演奏する筆者
唐木 元
東京都出身。フリーライター、編集者、会社経営などを経たのち2016年に渡米。バークリー音楽大学を卒業後、ニューヨークに拠点を移してベース奏者として活動中。趣味は釣り。X(Twitter):@rootsy