フランスが夢見た未来|マトラ=シムカ・バゲーラ S

1970年代、フランスのスポーツカー界にひときわ異彩を放つモデルが登場した。マトラ=シムカ・バゲーラ。航空・宇宙技術をルーツに持つマトラと、大衆車ブランドとして知られたシムカ。この異なる2社の出会いが生んだ、未来派スポーツカーである。

【画像】マトラ=シムカ・バゲーラSのハッチ内部や給油口、エアインテークなど細かな部分にも注目!(写真27枚)

バゲーラは1973年にデビューし、1980年まで生産された。その間、1977年にはフェイスリフトが施され、総生産台数は47,796台に達した。マトラが設計とスタイリングを担当し、シムカが生産と販売を担うという体制で生まれたこの車は、合理性と遊び心を高次元で融合させた存在だった。

最大の特徴は、ミドにエンジンを横置き搭載した軽量なFRPボディ、そして3人掛けのフロントシートである。

一般的な2座式ではなく、運転席との隣に2座のパッセンジャーシートが配置されるが、実際に座ってみるとその造りは独特だ。右側のシートは中央寄りにオフセットされており、その隣の中央席はさらに細身。3人が「並んで座る」というよりは、2人+1人が肩を寄せ合うような形になる。中央席に腰を下ろすとやや窮屈に感じるものの、その特異な空間設計に、未来を夢見た時代の熱気を感じ取ることができる。

今回撮影したバゲーラ Sは、そんな時代の香りを色濃く残す一台だ。1977年式のシリーズ2モデルで、ボディカラーは「テール・ド・フー(火の大地)」、内装はブラウンのツイード地。サンルーフ、ラジオ、地図用の読書灯、軽合金ホイールと、当時のオプション装備も揃っている。マニュアルトランスミッションは4速仕様だ。

現オーナーであるステファン・ウェーバー氏にとって、この車は特別な存在だ。

「子供の頃、両親がこの車を買うことを夢見ていた。スポーティなスタイルで、ジャーナリストたちは”小さなミウラ”と呼んでいたんだよ」と彼は振り返る。

近所に黄色いバゲーラを所有する家族がいて、彼らが出かけるたびに門まで走って見送りに行った思い出もあるという。

だが、幼い子供を助手席に乗せるリスクを懸念し、両親は購入を断念。代わりに選んだのは、よりファミリー向けのアルファロメオ・アルファスッドだった。

「両親はずっとバゲーラを諦めたことを後悔していて、その話を何度も聞かされた。だから自分でも10年かけてオリジナルの1台を探したんだよ」

彼が所有する個体は、イヴリーヌ県唯一のシムカ、クライスラー、マトラ、サンビームを扱うサン=ジェルマン=アン=レーのディーラーで新車販売されたもの。しかも、当時の購入時の請求書まで保管されている。価格は45,217.66フラン──今日の価値に換算すると約31,000ユーロに相当し、当時としては決して安い買い物ではなかった。

リトラクタブル・ヘッドライトを備えた低いノーズライン、航空機を思わせるインストゥルメントパネル、斜めに配置されたスイッチ類。ウェーバー氏が「まるで1970年代の戦闘機に乗り込むようだ」と評するコクピットは、まさにマトラらしい技術的ロマンの結晶だ。

このバゲーラは現在も、「ヴァンセンヌ・アン・アンシエンヌ」のイベントをはじめ、70年代のクラシックカーイベントや映画撮影に活躍している。華美ではないが、確かな存在感を放つその姿は、失われたフランスの夢を静かに今に伝えている。

マトラ=シムカ・バゲーラS──それは、合理と情熱が美しく交錯した、フランス流スポーツカーのひとつの到達点である。

写真・文:櫻井朋成 Photography and Words: Tomonari SAKURAI