吉原に出入りし、吉原細見に寄稿もする平賀源内が、蔦重に「自由」について語ったセリフは名セリフ中の名セリフで、蔦重たちの生きる世界を言い当てるようだ。

「自由に生きるってのは、そういうもんだ。自らの思いに由ってのみ、我が心のママに生きる。我儘(わがまま)に生きることを、自由に生きるっていうのさ。我儘を通してんだから、きついのはしかたねぇや」

源内は天才的に頭がよく、発明や文才など様々なことに長けていて、田沼意次(渡辺謙)にも重用されていた。だが、故郷の高松藩の下級武士だった彼は脱藩し、ほかに寄る辺はない。やりたいことがあって脱藩したものの、この時代、藩に属していないと心許ないだろう。でもだからこそ自由にやりたいことができるという面もある。おそらくどこかのお抱えになったらその藩のためにやりたくないこともやらなくてはいけなくなる。

実際、徳川家のお世継ぎに関して陰謀がめぐらされたとき、田沼は自分が不利な立場になっても深入りしないように忍耐を強いられる。それが政治の世界に生きる者の暗黙のルールなのだ。だが、何にも属さずしがらみのない源内は田沼のために真相に踏み込んでいく。源内は危険を冒してでも真実を世間に広めようと真相をこっそり芝居にする。この時代、心中ものや仇討ちものなど、実際にあった事件を名前などを変えて芝居にして庶民は楽しんでいた。ルールから少し外れることがガス抜きになっていたのだ。

だが、外れる度合いもルールのうち。それ以上は立ち入らないお約束を破った源内は芝居共々処分されてしまう。極めて無念な出来事ではあるが、源内は最後まで信念を曲げず自由を貫いたとも言えるだろう。つまり、我儘に生きることの厳しさを身をもって示したのである。

自由という不自由。やりたいことをとことんやるか、生活のために権力にすり寄って生きるか。『べらぼう』の世界でなくても、人間は皆、常にそこで迷っている。そこで、源内の自由な生き方がすばらしいと安易には言えない内容であることが(なにしろ無惨に死んでしまうのだから)『べらぼう』の苦さである。

蔦重は源内を見放した田沼に『忘八』と食ってかかるが、将軍家という巨大な権力のもと、庶民は成す術がない。吹けば飛ぶようなとてもちっぽけな存在なのだ。蔦重もまた自分のやりたいことをやろうとするたびに、思うようにいかないことを思い知る。

「伝えていかなきゃな。どこにも収まらねえ男がいたってことをよ」と須原屋(里見浩太朗)が言うように、源内の書いた本を残すことで、彼の志を後世に残す。それくらいしかできない。本という存在は娯楽であると同時に、大切なことを後世に残す、刻みつける装置なのだ。源内が蔦重の本屋につけた名前「耕書堂」という言葉を大事にしながら、蔦重はこれから、本作りに励んでいく。

蔦重を育み、耕書堂を誕生させた吉原は、世間から排除された貧しい者やどこにも収まらない才能を持て余した者を受け入れる場所でもある。平沢常富(尾美としのり)は秋田藩のお抱えの武士だが、吉原の自由な雰囲気を好んで通っている。だからといって、ここは極上のパラダイスでは決してなく、必ず代償がある。ただの極楽絵図でもただの地獄絵図でもない。すべてが混ざり合った世界。その世界を見つめる蔦重を演じる横浜流星の表情は、喜怒哀楽がシンプルに切り分けられておらず、あらゆる感情が微妙にブレンドされて陰影を作って見える。『べらぼう』の複雑な世界を横浜が体現している。

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