2025年4月3日に発売された『将棋世界2025年5月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)より、番勝負を終えた増田康宏八段にインタビューした第50期棋王戦コナミグループ杯五番勝負第3局「やっぱり序盤は大事だった」の一部を抜粋してお送りします。

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  • 【撮影】金子光徳

藤井棋王の防衛で幕を閉じた第50期棋王戦コナミグループ杯五番勝負。第3局の終局から4日後、本誌編集部は挑戦者の増田八段を取材しました。「タイトル戦が近づくにつれて中・終盤で手が見えなくなった」と語る増田八段が挙げた、手が見えなくなった意外な要因とは?

(以下抜粋)

初タイトル戦で無念の3連敗を喫してから4日後の取材だった。増田康宏の声のトーンは普段と変わらなかった。昨年末、棋王戦の挑戦権を獲得した際に本誌でロングインタビューを行ったときと同様に朗らかな様子だった。

あのとき、増田は9連勝していた。ところが年明けから黒星が増え始め、棋王戦開幕時には2025年の成績は1勝5敗となっていた。勝ったのはA級順位戦「ラス前」の稲葉陽八段戦だけ。「負けていたら結果的に降級していたから大きい1勝でした」と増田は振り返るが、藤井聡には叡王戦本戦とNHK杯の準決勝で敗れていた。調子の下降は傍目にも明らかだったが、本人はどう感じていたのか。

「よくなかったですね。明らかに中・終盤で手が見えなくなっていました」

その理由はわかっているのか。

「いろんな要素が組み合っているとは思うんですけど、やっぱりタイトル戦が近づいてくることでストレスが増えていきました。それが中・終盤の指し手に影響を及ぼしていたと思います」

それは初タイトル戦のプレッシャーからくるものだろうか。

「作戦面ですね」

意外だった。第2局はともかく、第1、3局の序盤戦は悪くなかったではないか。

(中略)

悩んだ作戦

午前9時から始まった第3局は午後4時1分に千日手になった。指し直し局は30分後の午後4時31分から始まる。増田は自室に戻らずに対局室近くの控室で休んでいた。

「先手番の作戦をどうしようか考えていました」

千日手局での残り時間は藤井が50分、増田が1時間58分。規定上、1時間より少ない場合は調整する。よって指し直し局の持ち時間は藤井が1時間、増田が2時間8分となった。増田がかなり有利な状況で、しかも少し有利な先手になった。

しかし、だ。増田は後手番の作戦の準備を全力でしてきた。もちろん千日手になる可能性はあるが、先手の用意に時間を割くことは難しい。

「手持ちの作戦を使うしかない感じでしたね」と増田は述懐した。

(中略)

増田は本局をどう総括するのか

「千日手になった後手番の作戦はよかったですが、指し直し局の先手番のほうはもったいなかった。時間面ではかなり有利だったので、いい定跡を用意しておけば勝ちやすかったと思う」

中・終盤はどうだったか。

「はっきりよくなる順を藤井さんが与えてくれませんでしたね。指しやすそうな局面でもなかなかよくならない。普段はもっとよくなっていくんですけど、藤井さんと指すと違う。シリーズ全体を通じて、中・終盤で冴えた手を指すことができませんでした」

冒頭では、今年に入ってからストレスが増えて、中・終盤の精度が下がったと語っていたが、それが開幕後も続いていたということだ。そもそもどんなストレスだったのか。

「もっと思い切った作戦を立てるつもりだったんです。でもいざ開幕戦が近づくにつれて、それではまずいと思い始めた。例えば力戦の大胆な作戦を採用して、午前中に形勢が悪くなって、午後2時や3時に投了するような事態になったらまずいでしょう。タイトル戦はたくさんのファンが見ているし、大盤解説会だってありますから。それは想定外でしたね」

本局の3日前に指されたA級順位戦最終局の翌日、静岡からの帰り道で増田は伊藤匠叡王と一緒だった。そこで、対藤井戦の序盤の話になったのだという。

「伊藤さんに相談じゃないけど話したら、『そうだと思います』と同意見でした。やっぱりそうだよなって」

増田は言葉を切らさずに続けた。

「だからどうしても定跡形というか、保守的な作戦を選ばずにいられなかった。でも自分は普段、そういう研究ってあまりやらないんです。だって角換わりの定跡形を突き詰めて相手を倒そうという人って将棋界に5人くらいじゃないですか? 10人はいないですよね。藤井さんや永瀬拓矢さん、伊藤匠さん、佐々木勇気さんがそうですけど、そういう人とはそんなに頻繁に対戦するわけじゃないから、そこまで研究していない」

決して今シリーズの後手番の作戦が悪いわけではなく、むしろ善戦したと言っていい。だが不慣れな定跡形の有力な作戦をいくつもストックしなければいけないという重圧が増田のメンタルを蝕んでいった。

「自分はストレスが指し手に出やすい。奨励会時代から連勝連敗タイプなので」 と増田は言う。

年明けから新しいノートパソコンを使い始め、AIでの序盤研究を再開したが、以前からAI研究は少なめだった増田は「うまく使えなかった」と語る。みんなそこで悩んでいるのだ。次第に成績が落ちていった。

「序盤があって、中・終盤がある。そこは連動していることがタイトル戦に出て初めてわかりました。序盤の研究は常にやっておかなきゃいけない。必要に迫られて急にやろうとしてもダメ。AIに裏打ちされた定跡をもっと用意しておかないと厳しいなって」

3連敗のストレート負けは苦い結果だが、得たものも小さくない。

「序盤の研究とか、こうすればよかったという悔いがあるので、今後はそれを踏まえてトレーニングします。3連敗で残念でしたが、いい経験ができました」

最後に増田はこう語った。

「次はもっとうまくやれると思います」

未来がはっきり見えているからだろう。 この取材でいちばん明瞭な口調だった。

(第50期棋王戦コナミグループ杯五番勝負【藤井聡太棋王vs増田康宏八段】第3局 「やっぱり序盤は大事だった」 記/大川慎太郎)

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