新生ジャガーの再出発に賛否両論!? 4名のジャガー専門家が話題のコンセプトを一刀両断

ジャガーの再出発は、華々しい復活の狼煙か、それとも死は近いのか。デイヴィッド・リリーホワイトとジャガーのエキスパート4人が、コンセプトカーと一連の宣伝戦略について考える。

【画像】賛否両論の物議を醸しているジャガーの新戦略とコンセプトカー(写真9点)

「正直にいって、見る者をはっとさせる力がある」

デイヴィッド・リリーホワイト

『Octane』UK版 創刊編集長。

ジャガーは瀕死の床にある。かつてはル・マンで7度も優勝し、Eタイプは世界で最も美しい車だと、あのエンツォ・フェラーリが公言したこともあったが、今では何の役にも立たない。大きな変化を遂げなければ、ジャガーは消える運命にある。

ここ数年、ジャガーはマスマーケットを追いかけてきた。高性能でルックスのいい、しばしば優れたモデルを造り上げたが、それでも売れなかった。Fタイプがほしい? それもいいだろう。けれど、911にしておいたほうが確実だ。XEはどうか。同じクラスにアウディやBMWがごまんとあるのに、わざわざ選ぶ理由がない。では、XJは? 素晴らしい車だが、陰りを見せたブランドにしては高すぎる。と、こんな調子だ。

数字を見たほうが分かりやすいだろう。2023年、ジャガーの販売台数は世界で6万4241台。ジャガー・ランドローバー(JLR)全体では43万1733台だった。同期間に、BMWは225万3835台を販売した。むしろ、ここまでどうやって生きながらえてきたのか不思議なくらいだ。その答えは、JLRグループ内のランドローバーに支えられてきたのである。こちらも5年前に、深く愛されてきたディフェンダーを打ち切ってファンの逆鱗に触れた(ディフェンダーは快適性に欠け、人件費は高く、クラッシュテストに通過できず、販売も芳しくなかったのだが)。

そういうわけで、読者もよくご存じのように、ジャガーはいちかばちかの勝負に出た。それが吉と出るか凶と出るかは、まだ誰にも分からない。マネージングディレクターのロードン・グローバーは、昨年11月初めに、私たちメディア向けの発表会で、ジャガーは「ブランドの完全な変貌」によって、「ほぼまったく新しい顧客ベース」の獲得を目指すと語った。ターゲットは「より若い富裕層で、ほとんどが都市を拠点とし、金銭的余裕はあるが時間的余裕はない人々」だという。これは意外ではない。古今東西、高級志向の製品発表では、常にターゲットとされてきた層だ。グローバーは、新生ブランドに留まるのは現顧客の15%程度にすぎないと見ている。

それどころか、発表後の数週間に、「ジャガーは二度と買わない」とSNSに怒りをぶつけたユーザーの数からいって、現在のファンの大部分を失ったように見える。ただし、そのうち最近ジャガーを買ったか、あるいは買う可能性のあった人がどれだけいるのかは怪しいところだ。あの人々が本当に顧客だったら、そもそもジャガーの再出発は必要なかったかもしれない。

メディア向け発表会でも、あのティーザー動画が流れた。ビビッドカラーの洪水の中、重要らしい5つのスローガン、「活力を創造せよ」、「ビビッドに生きよ」、「凡庸さを消去せよ」、「型を破壊せよ」、そしてウィリアム・ライオンズ卿の言葉から生まれた(という話だ)「何ものも模倣するな」が掲げられる動画だ。そのあとマーケティングスピーチが続いた。グローバーに加え、チーフオペレーティングオフィサーのレナード・ホーニク、チーフクリエイティブオフィサーのジェリー・マクガヴァン、ブランドデザインディレクターのリチャード・スティーヴンズらが語り、まったく新しいEV専門の高級ブランドの姿を描き出した。再び新車販売を始める2026年から、新ジャガーの価格帯は、現行モデルの2倍になり、ベントレーのすぐ下にあたる、あの競争の激しい市場をターゲットにするという。

そのあと、ジャガーの新しいアイデンティティーがひとつひとつ発表されていった。まずはロゴだ。大文字と小文字を組み合わせて、より左右対称で「現代的にした」という。だが、どうもぱっとしない。続いて、ホイール中央などに使われるという新しい”jr”のモチーフ。ううむ…。やや弱々しい印象だ。次は”リーパー”。いっせいに安堵のため息が漏れる。リーパーの背景には「取消線」だという水平のラインが並んでいる。

ただし、”グラウラー”はなかった。あの歯を剥き出した大型のネコ科の顔は、1957年に初めてジャガーに装着された。”グラウラー”がないこともSNSで叩かれている。

そして、派手な演出のあと、ようやくコンセプトカーが発表された。それまで、どんなものが現れるのか予想のしようがなかった。与えられたヒントは、典型的なEVの対極だというロードンの言葉だけだ(典型的なEVは「ホイールが小さく、車高が高く、キャブフォワードで、航続距離をできるだけ伸ばすため風洞で仕上げられる」とロードン)。

ドラマチックなBGMとスポットライトの中、スタジオのドアが開いて現れたのは……ええ?! ロボコップとサンダーバードのペネロープ号が合体したのか? それとも、マーベルコミックが出した最初のEVか。一般に公開されている画像は、残念ながらCGレンダリングにしか見えず、あれではメディアに公開された”マイアミピンク”のタイプ00のあのスケール感とプロポーションは伝わらない。典型的なコンセプトカーで、市販モデルではなく、今後のモデルで使われるというデザイン言語を見せるためのものだ。

たしかに挑発的なルックスではあるが、正直にいって、見る者をはっとさせる力がある。23インチのホイールを履き、長いボンネットとクーペのルーフが作り出すのは、クラシックジャガーのプロポーションだ。写真で見る以上に、サイドは精密に造形されている。新しい”取消線”のモチーフに対するデザイナーの熱意は明らかで、平行線のモチーフは、フロントの”グリル”、リアパネル(ラインのうち2本がフルワイドのテールライト)、そして上面(パノラミックルーフとフロントスカットルに縦線が並ぶ)など、繰り返し登場する。

もちろん、一風変わったドアがなければコンセプトカーとはいえない。タイプ00の場合はバタフライ型だ。ドアを開けて現れるインテリアにも、エクステリア同様、目を見張る。極めてラグジュアリーで未来的だ。中央には3.2mにおよぶ真鍮のバーが貫き、2個のモニターを備え、なんと、中央の台座は石でできている。デザイナーは、市販モデルでは真鍮が減るか完全になくなるだろうし、重い石の塊が使われる可能性はほとんどないと率直に認めた。ただし、天然石をシート状にカットしたストーンベニヤなら可能だといっていた。

また、小さな”インゴット”なるものをセンターコンソールに差し込んで、車の”ムード”を決めることができ、照明やダイナミクスのセッティングに加えて、匂いまで変わるという。使わないときにインゴットを仕舞う場所は、”プリズム”と呼ばれるケースだ。片方のフロントフェンダー後方に小さな扉があり、その奥に格納される。まあ、いかにもコンセプトカーらしいし、ウォリクシャーでジャーナリストに公開されたときより、マイアミでの発表会のほうがウケはよかったかもしれない。

では、あの”jaGuar”のロゴや”jr”のマーク、”リーパー”はどうか。車に装着されると、単独で見るより印象がずっとよくなった。取消線の上にリーパーが載ったモチーフは、フロントフェンダー下部の真鍮製のバーにだけ使われており、これが外に開くと小型のリアビューカメラが現れる。

おそらく読者はまだ怪しんでいるだろう。これが成功につながるのか失敗に終わるのか、その真の指標となるのは、2025年後半に出る新しいプロダクションモデルだ。その価格は12万6000~13万ポンド。イギリス国内で製造され、タイプ00のデザイン言語を明確に受け継ぐものになる。ジャガーによれば、「目標は、1回の充電での航続距離がWLTPで最大478マイル、EPAで最大430マイル、急速充電ではわずか15分で200マイル走行可能なもの」だという。バッテリー開発のペースを考えれば、それほど非現実的な数字ではない。

重要な点として、販売拠点となるディーラーの数を減らし、ラグジュアリーな店舗に大々的に改装することが挙げられる。既存のディーラーには、スペアパーツやメンテナンスで現行モデルやそれ以前のモデルをサポートするよう働きかける、とマネージングディレクターのロードンは話す。だが、ディーラーの多くが蚊帳の外に置かれる恐れもある。

JLRは、このプロジェクトに180億ポンドを投じている。既に現行モデルの生産は終了し、キャッスルブロムウィッチのファクトリーを閉鎖して、ソリハルのファクトリーはEVの生産拠点として改修中だ。これは、1948年のXK120導入や1961年のEタイプ発表さえも超える、大きな変化といえる。

はたしてその結果やいかに。ひたすら成功を祈っている。

「よい部分といまひとつの部分が拮抗している」

ピーター・スティーヴンズ

ジャガーXJR-15を手がけたカーデザイナー。

ジャガーは2週間ほど前から、車ではなく人々を写したカラフルな画像をメディアとインターネットにばらまき始めた。「何ものも模倣するな」、「凡庸さを消去せよ」というジャガーの決意を表明するキャンペーンの第1弾だ。これは、評論家気取りのネット市民に格好のネタを与えた。私のように、新しい”Jaguar”のロゴが”dyson”のロゴの形にひどく似ていることに気づいた人もいるだろう。「何ものも模倣するな」を標榜したはずなのだが。

ジャガーの問題は次のようにまとめられる。あまりにも長い間、「何も変えなくていい。それが顧客の求めているものだ」という国内ディーラーの声を鵜呑みにしてしまった。しかも、それに賛意を示して昨年ジャガーを購入した顧客は、たった1万3000人。これではビジネスプランとはいえない。あのティーザー動画はジャガーのエンスージアストを怒らせたが、彼らは古いモデルのファンで、新しいモデルは購入しないのだから、ジャガーの営業チームはおそらく気にしていないだろう。インターネットで目にするのは、むやみに怒りをぶつける意見ばかりだ。知り合いの多くの若いデザイナーや、生産ラインで働いて生計を立てている人たちのことを思うと、同情を禁じ得ない。そこで、私は車両の写真を見るまでコメントを控えていた。頼むからいいものであってくれよと願いながら。

実際に写真を見ると、いくつかのことが想起された。まずはフォード・プローブIIIだ。見た目ではなく、フォードの戦略における位置づけが似ているのである。1979年か80年に、初期型シエラを初めて目にしたフォードのマーケティング担当者は、昔ながらのコルティナの購入者に拒否されると考えて、恐れおののいた。デザインチーフのウーヴェ・バーゼンは、もっとラディカルなバージョンのシエラを見せれば顧客の反応をやわらげられると考え、1981年フランクフルト・モーターショーでプローブIIIを展示した。これは酷評されたが、ほんの1年後に登場したシエラは、それほど批判を浴びず、マイナーチェンジのたびに批判の声は弱まっていった。

デザイナーと違って、営業チームは保守的で、えてして自分たちが知っているものでしか将来の方向性を思い描けない。だから「何ものも模倣するな」の達成は難しいのだ。ジャガーは勇気を奮い起こして、リニューアルの意図と合致しない意見はほとんどすべて無視することにした。とはいえ、過去のコンセプトカーを振り返れば、新しいデザインの方向性を指し示していたものは常に見つかる。ジャガーのコンセプトカー、タイプ00の場合は、ジェリー・マクガヴァン自身が手がけた2001年リンカーンMk9や、ブライアン・スミスの堂々たる2003年キャデラック・シックスティーンが思い浮かぶ。

タイプ00は、よい部分といまひとつの部分が拮抗している。サイド全体の曲面モデリングは鮮やかな手際だし、そこからホイールアーチへのふくらみも完璧だ。前後のオーバーハングは控えめで、サイドシルエットにはジャガーらしさが感じられる。フロントのホイールアーチ開口部からフェンダー上部のラインまでが極小なのはお馴染みで、まさにジャガーらしい。ボンネットには、”フロントウィンドウの前に象が座ってへこんだ”ように見えないだけのふくらみがある。

車体前面と後面のパネルが完全にフラットではないとはっきり分かるのは、真上から見たときだけだ。ただし、ディテールがないので退屈に感じる。物議を醸した”Jaguar”のロゴがフロントとサイドとリアにあるだけで、執拗なまでにディテールを排除したのは奇妙だ。車体全体が黒いパネルの上に載っており、これは空力パーツに見せかけているようだ。比較対象がないので車体のサイズはつかみにくいが、巨大なら、存在感には事欠かないだろう。

私は、この勇敢な新しい方向性がうまくいくことを祈っている。経営陣のためではない。この実験の成功に生計がかかっている忠実な社員のため、そして、ネガティブな言葉を浴びて打ちのめされるのを恐れてSNSを避けているに違いない、若いデザイナーやエンジニアのためだ。

「真剣に受けとめるべきではないのかもしれない」

フィリップ・ポーター

ジャガーの権威で多くの著作があり、出版社を経営。

もちろん、すべてがジョークという可能性もある。真剣に受けとめるべきではないのかもしれない。真剣な受けとめを望むカーメーカーが、これほど愚かな行動に出るはずがないではないか。とはいえ、このちょっとした批評を書くために、ジョークではないと仮定しておく。これは、ジャガーの首脳陣が最後に笑うために世間をけむに巻いたのでもなければ、ショックを与える巧みなブランド戦略で、2年後にふたを開けてみたら、まったく違う最高にスタイリッシュなモデルが発表されるわけでもないのだろう。

しかし、そうとでも考えなければ、こんなに自殺点を量産する理由が分からない。あるいは、BMWやアウディ、メルセデス・ベンツ、レクサスのまわし者がジャガーに潜んでいるのだろうか。私自身はグラフィックアーティストではないが、知り合いは大勢いる。彼らはひとり残らず、新しいロゴはひどいという意見だ。酷評されたあの広告には、ジャガーを世界中で物笑いの種にするすべての条件が揃っている。メディアの報道から、たくさんの風刺やミームまで、取り沙汰された数は前代未聞だが、ほぼ例外なく手厳しい内容だ。ジャガーのクリエイティブ陣営には恐れ入る。あれほどわずかな材料でこれほどひどい結果を引き起こした例はない。

では、新たに公開された”デザインビジョンコンセプトカー”はどうか。センスとデザイン感覚のある人なら誰でも、ひどく不細工だと思うだろう。あれではルーフを載せたレンガだ。説明によれば、「このブランドは、創業者ウィリアム・ライオンズ卿の『何ものも模倣するな』という原点に立ち返った」という。ウィリアム卿の伝記を共同で執筆した私でさえ、そんな言葉は初耳だ。

ほとんどの車には機能しかないが、なかには優れたスタイルの車がある。ほとんどのジャガーにはスタイルがあり、至高のスタイリングを誇るものもある。何といっても、ライオンズはスタイルの重要性を知っていた。皮肉なことに、ライオンズが描いた1930年台のSSIのスケッチは、ボンネットの長さが誇張されて、まるで漫画のようだ。歴史は繰り返す。別に新しくも何ともないのだ。

機能性は敬意につながり、優れたスタイリングは情熱を掻き立て、情熱はヘリテージでさらに燃え上がる。だからジャガーは伝統的に、情熱と強く結びついた稀有なカーメーカーだった。ジャガーのオーナー、とくにスポーツカーのオーナーには、そうした情熱があった。その情熱を命綱にして、1950~60年台に一世を風靡してヘリテージが確立したあと、何度も迎えた暗い日々を乗り越えてきたのだ。情熱が消えればビジネスも消える。

ビジネスとして見ても、ひとつのことにすべてを賭けるのは賢明だろうか。あなたなら、会社全体の将来をEVだけに賭けて、ファクトリーを改修したりするだろうか。中核となる顧客が年老いて”意識高い系”でないからといって、積極的に疎外したりするだろうか。ましてや、賛否両論真っ二つで、否定論のほうが多くなるようなコンセプトカーを、わざわざ発表するだろうか。何より、クールな若造しか顧客として受け入れないとしても(何とも傲慢だが)、そうした若者に12万ポンドを超える車が買えるだろうか。とはいえそれも、ジャガーブランドが生き残れたと仮定しての話だ。

「メインストリームにしては非実用的すぎる」

ロバート・ヒューズ

定評のあるジャガーのスペシャリストで、著書もある。

ジャガーが若い世代に対する訴求力を失ったのは、Mk2のような中型サルーンの生産をやめた1960年台後半だ。そのため、ジャガーのファンの年齢はだんだん上がっていき、そうした客層に愛されるモデルは若者との関係性が希薄になっていった。私はジャガーのスペシャリストで、顧客が高齢化のために毎年5~10%ずつ減っているから、ジャガーが抱えている問題も、解決への切迫感も、よく分かる。

ジャガーの再出発を示した動画は、社会正義を振りかざしていると糾弾されたが、その大きな理由は様々な人種を包括する姿勢を示したことなのだから、あまりにもむごい反応だ。その一方で、高齢者や子どものいる若い家族が登場しない点はそれほど批判されていないが、私は失敗だと思う。ジャガーは車を登場させない動画によって、イーロン・マスクを初め多くの人々から「車は売るのか?」とからかわれたが、ティーザー動画を使ったマーケティングに対する怒号は、タイプ00が公表された今、小さくなるはずだ。

そびえ立つようなサイドボディや23インチのホイールは、戦前ジャガーのプロポーションとエレガンスを彷彿とさせる。フロントとテールを横切るモダンなルーバーは、未来的だった1935年のコードのノーズを思わせ、鮮烈なピンクとブルーのメタリックカラーは、マイアミのファッション誌『Ocean Drive』のイメージそのものだ。ラップアラウンドでピラーレスのガラスには目が引きつけられ、バタフライドアも非常にクールである。

車内では、ジャガー伝統の面取りされたウッドパネルがミニマルなキャビンのアクセントになっている。ダッシュボードは完全なデジタルだ。ただし、中央で座席を分割している”背骨”は実用的ではなく、乗員のコミュニケーションにも貢献しないし、緊急時は脱出の妨げになりかねない。それにしても、角張ったステアリングホイールの復活を目にする日が来るとは思いもしなかった。

ジャガーのリーパーは魅力的な新しいポーズだが、馴染み深い姿でほっとした。対して、大文字と小文字を組み合わせたロゴは、無意味に読みにくくしただけのように私には思える。

この構想でジャガーが目指しているのは、ロールス・ロイスが2003年のファントムVIIで果たしたようなルネサンスだろう。ロールス・ロイスは、あれで顧客の幅を大きく広げることに成功した。オーナーの平均年齢は40代前半にまですっかり若返っている。

タイプ00で、より若い層を刺激できるのだろうが、この”欲望の対象”は約13万ポンドもするから、1960年台のような販売台数を確保できるとは思えない。当時のジャガーは、もっと手頃な価格帯を重視していた。

製品から化石燃料を排除するというジャガーのコミットメントは称賛に値するものだが、危険な賭けでもある。電気自動車の需要は、まだ安定した上昇軌道に乗ったとはいえない。

所有したいという欲望を若者の心に植えつけられたのだとしても、長期戦略の結果が出るまでの間、ジャガーが経済的に頼る相手は、もっと家族志向の成熟した世代ではないだろうか。そうした人々はローンチ動画に登場しなかった。だから私は、コンセプトカーであるタイプ00に、メインストリームにしては非実用的すぎる側面があることが気にかかるのである。

「私たちのジャガーへの信頼はよみがえった」

スティーブン・ベイリー

デザインの評論家、『Octane』誌コラムニスト。

大胆に打って出る以外、選択肢はなかった。ブランドは”約束”だ。ジャガーはあまりにも長い間、約束を反故にし続けてきた。では、ブランドの価値とは何か。それは、成功した様々な製品によって長い時間をかけて獲得するイメージや期待だ。ジャガーは過去に偉大な成功を収めた。レースでの輝かしい歴史に加え、並外れて美しいモデルのポートフォリオを持つ。

こうしてブランドの位置づけが固まった。エレガントなジャガーは、ニースのプロムナード・デ・アングレやハリウッドによく似合った。母国イギリスでは、ベントレーにはおよばないものの、ハンバーよりはずっと威厳があった。そして、スピードで両者を上回った。グレアム・ヒルのようなレーシングドライバーにも、銀行強盗のような手合いにも愛されたほどだ。

欲望は、それを実現する手段が消えたあとも長く残るといわれる。ジャガーの成功のイメージは、その車が凡庸になったあとも長く残り続けた。しかし、人々が「いつかジャガーを手に入れたい」と夢見ながら眠りについたのは、何十年も前のことだ。

問題は、傑出した過去が重荷になったことだろう。デザイナーのジェフ・ローソンや後任のイアン・カラムは、歴史に従順になりすぎた。だが、伝統とは燃えがらを崇拝することではなく、炎を絶やさないようにすることだ。ジャガーが最高潮のとき、その炎は大胆不敵に燃え盛った。ジェリー・マクガヴァンには、消えかかったその炎に強烈な燃料を投じる勇気があった。これは単なるブランドのイメージチェンジではない。遅ればせながらの大改革なのだ。

ただし、幸先がいいとはいえない。まず、ロゴが弱々しい。素晴らしいロゴは、巧妙なグラフィックでブランドを体現している。あれはそうではないし、偉大なデザインを知る者なら皆そう思うだろう。あの動画はどうか。幼稚で、気恥ずかしくなるほどあざといが、必要ではあった。怒りを買うことは折り込み済みであり、それを狙ったのだ。実際に怒りを買って、それによってジャガーは1968年以来初めて特別な存在になった。

次は例の車だ。驚くべき車だという以外、何をいっても狭量だし間違っている。もし海賊版サイトで発表資料を見ているとしたら、広告枠にレクサスが現れるかもしれない。2台を見比べれば、マクガヴァンの成し遂げたことが理解できる。レクサスはさながらキーキーきしる古いガリオン船で、新しいジャガーはアメリカ海軍の最新ステルス軍艦ズムウォルトに見えてくる。

とはいえ、外観の印象は”ステルス”ではない。新車を見てこれほど衝撃的な驚きを感じたのがいつだったか思い出せないほどだ。プロポーションは突拍子もないし、ディテールは大手を振って斬新で、ボディには芸術的な自信がみなぎっている。インテリアは1950年台のジャガーの豪華さを彷彿とさせるが、卑屈なものまねではない。これこそ品格だ。

芸術史には、”ナッハルーベン”という概念がある。”死後の受容”といった意味で、たとえば中世のキリスト教の教会には、過去の異教の神々にヒントを得た彫刻がしばしば見られる。新しいジャガーにも”ナッハルーベン”がある。非凡な手腕によって、手抜きの模倣に堕すことなく、ジャガーだと感じさせる形を生み出した。はるか未来の自動車史では、クラシックと見なされるだろう。

ブランドは約束であるだけでなく、宗教にも通じる。謎がなければ、信仰の必要も生まれない。かつてデトロイトでキッチュの魔術師となったハーリー・アールは、デザイナーたちに、「徹底的に行けるところまで行ってから、少し後戻りするように」と指示した。このデザインで、ジャガーは一歩も引かなかった。それが破滅の淵からジャガーを救うことになるだろう。私たちのジャガーへの信頼はよみがえった。

ただし、これを本当に製造したらの話である。

翻訳:木下 恵 Translation: Megumi KINOSHITA