いわゆる「格好よさ」を表現する際、「粋」という言葉を見聞きすることが少なくなった。「時代遅れな昭和芸人」としてテレビ、ラジオ等で活躍する玉袋筋太郎さんは、粋が失われつつあることを危惧するひとりだ。
世の中は利便性を追い求め続け、さらにはAIの進化により人間同士の交わりが少なくなっていく。そんなことからも、ますます「粋」が消えていく時代になることが予想される。
かつてより交流がある作家・ノンフィクションライターの長谷川晶一さんが、粋とはなにかについて玉袋さんに聞いた。
便利な世の中、粋な振る舞いをできる機会自体が減った
【長谷川晶一】
玉袋さんは、2018年に書かれた『粋な男たち』(KADOKAWA)という本のなかで、「粋な人間は完全なる絶滅危惧種」と述べられています。そうした時代において、それこそ若い人のなかには「そもそも粋ってなに?」という人も多いのかもしれません。玉袋さんにとっての「粋」とはどのようなものですか?
【玉袋筋太郎】
ズバリ、「こういったところで語らないもの」かな。
【長谷川晶一】
「粋とはなにか」という質問自体が野暮でしたか……。
【玉袋筋太郎】
そういうこと(笑)。ただ、そういうと話が進まないからあえていうと、粋っていうのはさ、明確な基準があるものではなくて、少し抽象的になるけれど、オーラというかフォースというか、「ふわっと出ているもの」「感じるもの」だよね。
【長谷川晶一】
先の質問でも触れましたが、いまの世の中、粋というものが失われつつあると感じることは増えていますか?
【玉袋筋太郎】
そうだね。身近なところだと、例えばキャッシュレス決済の普及なんかも粋から遠ざかる要因になるものだと思う。タクシーに乗ってもさ、むかしだったら「釣りはいいよ、取っておいてよ」なんてちょっとした粋なことが行われていたんだよね。でも、キャッシュレスだとそれもできない。
なんでも便利になっちゃって、人と人とのちょっとした交わりが減ったことで、粋な振る舞いをできる機会自体が減っているように感じる。これを粋というかどうかは知らないけどさ、俺の場合は、残った釣りを取ってもらう代わりに、家の近所のコンビニでタクシーを止めてもらって、コンビニで栄養ドリンク買ってタクシーの運転手さんに渡しているんだ。
【長谷川晶一】
それは粋といっていいのではないですか?
【玉袋筋太郎】
いや、それは自分ではわからないけど、あくまでもちょっとした感謝の気持ちだよね。いまはさ、SNSの世界でも、テレビや新聞の世界でも、なんでもかんでもすべてを明らかにして、どんなことでも「白か、黒か」をはっきりさせたがる傾向にある。俺は、白でも黒でもなく、グレーが好きなんだよ。でも、「どっちでもいいじゃない、そんなこと」なんていおうものなら、たちまち炎上だもん。
「みなまで言わずとも、おまえの気持ちもわかるよ」と察する文化や、「あいつはちょっと馬鹿だからしょうがねえよ」といった寛容な空気もなくなってきているよ。そういう意味では、粋が失われるとともに世の中は生きづらくなってきているとも感じるな。
必要なのは、「まずは遠慮から」の精神
【長谷川晶一】
粋の対極にある言動を指す、「無粋」とか「野暮」という言葉も存在します。玉袋さんはどのような人が無粋だと感じますか?
【玉袋筋太郎】
自分を大きく見せようというか、ズケズケした部分がある人かな。スナックにもいるんだよ、店に入ってくるなりいきなり威張っちゃうような人が……(苦笑)。でも、スナックってそういう場所ではない。ママという絶対的なトップがいて、その前では大企業の社長も無職もみんなが対等になるところなんだ。
「すいません、お邪魔します」と下手に出るような、「まずは遠慮から」の精神が必要だと思うし、俺自身も客の立場でスナックに行った際はそうしているつもりだよ。やっぱり、ママにエクレアの詰め合わせのひとつでも持っていって、「今日もよろしく」という精神が大事だよ。
【長谷川晶一】
エクレアですか(笑)。客側の遠慮のない振る舞いでいうと、いまはカスハラも問題視されていますよね。
【玉袋筋太郎】
そうそう、聞いたところによると、カスハラをする人の8割が男性だとか、もっとも多いのは50代〜60代の年齢層だっていうわけよ。俺は今年で57歳なんだけど、まさにその年齢層のど真ん中にいるわけだよね。カスハラなんてそんな無粋なことをしないように気持ちをキュッと締めておかないと駄目だよな。
ところで、俺は競輪が好きなんだけど、俺が買った車券はだいたい外れるわけ。そこで選手に野次を飛ばすのはカスハラになるのかなって?(笑)。
ただ、選手たちも凄い。酷い野次に対しても、「温かい声援をいただいてありがたい」なんていうんだよ。もちろん、競輪ファンが車券を買ってくれないと競輪業界そのものが成り立たないのだからそういうのだろうけど、そんな選手の謙虚さもまた、「粋だなあ」と感じる部分だよ。
半径3mのところにもスーパースターはいる
【長谷川晶一】
そのあたりの受け取り方については選手教育もあるのかもしれませんが、人間性にかかわってくる部分でもあるのでしょうね。また、職業によっても粋が残っている世界があるように感じます。
【玉袋筋太郎】
もちろんさ、競輪選手に限らず有名人にも粋な人もいればそうじゃない人もいるよ。ただ、有名だからって粋な人間が多いかというと俺はそうは思わない。例えばだけど、大谷翔平は凄いし、俺だってリスペクトしているよ。
だけど、いつも行っている近所の八百屋のおじちゃんのほうが、大谷より格好いいといえるシーンだってあるんだよ。ぜひ、そこを見つけてほしい。自分の半径3mのところにだって、実はスーパースターがいるんだから。
遠い世界の人間じゃなくて、身近な人の生き方や考え方、ちょっとした仕草から学べる粋というものも確実にあるし、そういう距離が近い人の格好よさほど、心に響いて自分のものになっていくよね。だって、どうあがいても大谷翔平にはなれないじゃない?
【長谷川晶一】
そういった、玉袋さんの身近にいるスーパースターのエピソードを教えてください。
【玉袋筋太郎】
それこそ、近所の八百屋のおじちゃんなんかはそうだよな。あるとき、そのおじちゃんと鳶の頭と俺の3人で、埼玉の田舎にナマズを捕まえに行くことになったんだ。早朝に、おじちゃんが意気揚々とハイエースで迎えに来てくれるわけよ。
すると、車内にはキンキンに冷えたビールがちゃんと用意されている。おじちゃんは運転があるからもちろん飲めないのだけど、「ほら、おふたりさん。俺はいいから、飲みな飲みな」ってすすめてくれるんだ。
それで、現地ではナマズを捕獲して、炎天下のなかでそうめんを茹でて食べたんだけど、もちろん最後は綺麗に片づけをしなきゃならない。いちばん年下の俺が全部すべきところを、おじちゃんも鳶の頭もどんどん率先して片づけはじめちゃうわけだ。
そこに年齢なんて関係なく、「やってもらう」じゃなくて「やる」という姿勢を常に持っているんだよね。そういうのに俺は格好よさを感じるし、感動する。
人生とは、「トラックの荷台」のようなもの
【長谷川晶一】
最初に「粋とはこういったところで語らないもの」とおっしゃいましたが、粋とはどういうものか少しわかってきた気もします。八百屋のおじちゃんのお話もそうですし、「遠慮」というものがキーワードになりそうです。
【玉袋筋太郎】
それはあるかもしれないね。遠慮に通じるところだけど、やっぱり自分の身の丈を知るということは大事だよな。自分に下駄をはかせて天狗になっている人間は、俺からすると「ああ、やらかしてるなあ」と思っちゃうから。
人生ってさ、いわばトラックの荷台のようなもので、年齢や経験などライフステージによって積載量も違ってくると思っているんだ。若い頃って、まだまだ人生経験も少なくて、自分自身は軽トラックのようなもので積載量も小さいんだよ。
それなのに、「俺にはなんでもできるんだ!」と自分を大きく見せようとすると、過積載になってどこかで無理が生じてきちゃうことになる。自分の見せ方だけじゃなくて、結婚したり、子どもができたり、親の介護が始まったりと……トラックの荷台はどんどん埋まっていく一方じゃない。
【長谷川晶一】
玉袋さんにも、過積載になってしまったときはありますか?
【玉袋筋太郎】
もちろん、俺にも経験があるよ。まだたいした実力もないのにテレビに出始めた頃には少し天狗になったこともあったし、プライベートにも変化があって、いっぱいいっぱいだった時期もある。
だけど、そこで自分の身の丈というものを忘れず、「これは俺にできる」「これは俺にはまだ難しい」「これは不要なものじゃないか」と整理整頓しながら経験を重ねていくうちに、荷物を上手に積む技術も上がっていき、どこかのタイミングで荷台自体も大きくなっていくんじゃないかな。
もちろん、それらを整理整頓できて、少しでも心に余裕がある状態でないと粋な言動だってできないと思う。とはいえ、何歳になってもトラックの荷台は簡単に整理整頓できないんだよな。だから、ときにはやせ我慢して、粋を意識する必要もある。
「縦穴」を基本に、「横穴」も掘っていく
【長谷川晶一】
そういった考え方は、遠慮とか身の丈を知るということの他に、「柔軟性を持つ」ということにもつながる気がしますし、それが人生後半戦を生きていく手掛かりになっていくのでしょうね。
【玉袋筋太郎】
柔軟性という意味でいくと、俺がむかしから考えている「縦穴を基本に、横穴も掘っていく」というものが近いかもしれない。俺の場合、芸人として売れてテレビにもたくさん出て売れるという目標が、縦穴だった。
でも、それだけでは一発屋で終わってしまう可能性もある。そこで大切になるのが、横穴を掘っていくということ。縦穴から枝葉を広げて新しい世界に飛び込んでいくのが、横穴を掘るという作業なんだ。俺にとっては、競輪、スナック、プロレス(格闘技)、町中華なんかが横穴にあたるのかな。
むかし浅草キッドが売れ始めた頃、相方の水道橋博士と相談して、「雑誌の連載を10本持とう」と話し合ったことがあった。当時はそんなこと考える芸人などおらず、珍しい仕掛けだったはずなんだ。
実際にたくさんの連載をやって、「ああ、浅草キッドは、漫才だけでなくて活字でも勝負できるんだな」と思ってくれた業界関係者やファンはたくさんいたはずだよ。そして実際に、博士も俺も、本をそれなりに出すことができたから。
縦穴を基本として、そこからいろいろな横穴を掘っていくと、予想もしなかった新たな仕事に辿り着いたり、生きていくうえでの新たな視点を獲得できたりするんじゃないかな。
【長谷川晶一】
その発想は、もちろん一般のビジネスパーソンにとっても有用ですよね。
【玉袋筋太郎】
周囲から求められる人材になれるかどうかというのは、芸人でもビジネスパーソンでも変わらず重要なことだよね。勤務先の会社のことしか知らない人間より、いろいろな世界を知っていて多様な視点を持てている人間のほうが、変化が激しい時代に求められる人材になれる可能性は高いもん。より多面的で柔軟な考え方ができる人って、やっぱり魅力的だから。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 文/清家茂樹 写真/石塚雅人
玉袋筋太郎(たまぶくろ・すじたろう)
1967年、東京生まれ新宿育ち。高校卒業後、ビートたけしに弟子入りし、1987年に水道橋博士とお笑いコンビ「浅草キッド」を結成。芸能活動のかたわら、多数の本を手がけ、小説デビュー。社団法人「全日本スナック連盟」を立ち上げ、自ら会長を務める。主な著作に、『粋な男たち』(角川新書)、『スナックの歩き方』(イースト新書Q)、『痛快無比!プロレス取調室~ゴールデンタイム・スーパースター編~』(毎日新聞出版)、『新宿スペースインベーダー 昭和少年凸凹伝』(新潮文庫)などがある。
長谷川晶一(はせがわ・しょういち)
1970生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。2005年より、プロ野球12球団すべてのファンクラブに入会する、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家®」。著書に『生と性が交錯する街 新宿二丁目』(角川新書)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)、『名将前夜 生涯一監督・野村克也の原点』(KADOKAWA)など多数。
※本稿は、マイナビ健康経営が運営するYouTubeチャンネル「Bring.」の動画「白か黒かじゃなく、グレーもあり。『時代遅れ』な昭和の粋芸人が語る、『粋』の本質」で配信された動画の内容を抜粋し、再編集したものです。