タレントの川崎麻世が、17日に放送されるカンテレのバラエティ番組『おかべろ』(毎週土曜14:28~※関東地区は18日27:20~)に出演する。

  • 川崎麻世=カンテレ提供

■川崎麻世、モテまくった過去振り返る

今回は、“モテモテ履歴書”で川崎の過去から現在までを掘り起こす。最初のモテは12歳。川崎がテレビに初めて出演したのが、50年前の伝説の番組『プリン&キャッシーのテレビ! テレビ!!』だった。音楽に合わせ、口パクでモノマネをすることで技を競うコーナーで西城秀樹の真似で登場した川崎は、12歳ですでに色気にあふれ、女性ファンが急増。母・雅子さんは「バレンタインデーはチョコが段ボール〇箱」だったと証言し、川崎も自宅から駅までチョコを渡すための大行列ができていたと話す。14歳の時に東京でアイドルデビューをすると、通学中の電車にファンが殺到し大パニックになったという。

21歳の頃、川崎が大恋愛したのが、ハワイで出会った外国人女性。年に1度はハワイに会いに行く遠距離恋愛を楽しんでいた。また、バブルで高級ディスコ・マハラジャにも通っていた頃の、ライバルだったアイドルとの確執も明かす。27歳の人気絶頂期で国際結婚し、60歳で離婚成立に及ぶが、母・雅子さんからは「結婚を聞いた時は〇〇していた。再婚はしてほしい」とまさかの想いが吐露される。思わず川崎も「大変やったから!」「慎重に選ばないとね……」と言葉を絞り出すが、その真意とは。

■川崎麻世 コメント

――『おかべろ』2回目のご来店でしたが、番組収録を終えての感想からお願いします!

久しぶりに関西弁で番組も出演できたし、昔の思い出やいろんな事を思い出したんで、めちゃめちゃ楽しかったです。

――大阪・枚方のご出身との事ですが、関西というよりも都会の印象がありました。

それは名前ですか?(笑)川崎だからじゃなくて(笑)。生まれは京都で、2歳から枚方ですね。

――関西弁の方が喋りやすいとかありますか?

全く別物ですね。どっちが喋りやすい……。どっちかって言ったら関西弁かな。

――“モテモテ履歴書”で過去から現在まで振り返ってみて、いかがでしたか?

今考えるとありがたかったですね。自分ではモテてる意識は全くないです。すごい人ってもっといるじゃないですか。

――“モテモテ履歴書”の右側の項目ができなかったというぐらいモテエピソードで溢れていました。

話せなかった部分も、話したかったですけどね!!

――バブル時代、やはり当時はすごかったですか?

40年前ぐらい前かな。20代はちょうどバブル真っただ中だったから。世の中が……皆さんちょっと狂っていましたね。自分はまだ20代ちょっとの子供やったから、金持ちの社長さんとかがお金を出してくれて、全然減らへんかった。

――40代後半、50代を振り返ってみていかがですか。

急に別居して、今まで遊んでなかったから夜の街に行き、しばらくハマっていました(笑)。

――川崎麻世さんのように“モテモテ”の人生を歩む秘訣を教えてください。

気取らない。嘘をつかない。なるべく、そのままの自分の良さを自分で研究して、知ることが大事かなっていう……。あと、「これ似合うかな?」とか「この髪型どう?」とか人の意見を聞く方がいいんじゃないですかね。

――お母さまからの証言VTR映像もありましたが、いかがでしたか?

「何言い出すんかな?」と思ったけど、ちゃんと若い時と変わらず、しっかり喋ってくれていましたね。。

――『おかべろ』は自由にトークをしていただく番組ですが、岡村隆史さん、石田明さんとの共演はいかがでしたか?

本当に久しぶりに二人に会いました。事前に、LINEで「よろしくお願いします」って伝えていました。石田くんは4、5年ぐらい前に恵比寿でお会いして、飲みに行くのをまだ果たしてないから、これからですね。村上ショージさんも、舞台を一緒にやっていたんでめちゃめちゃよく飲んでいました。

――視聴者の皆さまへメッセージをお願いします。

芸能界に入って今年で48年が経つんですよね。だんだん若い人たちに認識されなくなってくると思うので、ちょっとでも川崎麻世という人間がいることを見つけていただいて、知っていただけることが今1番の目標です。もっと、もっといろんな人に、自分を知ってもらうために、是非『おかべろ』を見てもらいたいなと思います!!

【編集部MEMO】
『おかべろ』は、2016年11月5日から放送されているナインティナイン・岡村隆史の冠番組。とあるテレビ局近くのダイニングバーを舞台に、常連客のナインティナイン・岡村隆史と店主のNON STYLE・石田明、そしてアシスタントの橋本和花子(カンテレアナウンサー)が、有名人から“ここだけ”の話を引き出していく。