ほかのゲームと違い、将棋は運や偶然の要素はほぼないと言われています。与えられた時間も同じ、片方の駒だけ特殊な動きをするわけでもなく、二手連続で指せることもありません。先後の有利不利の違いこそあれ、条件はほぼイーブンです。したがって結局、実力がある方が勝つとされますが、昨年の第71期王座戦で目にしたのは、実に奇異な将棋でした。

終わってみれば世紀の天才である藤井竜王・名人が八冠に輝いたタイトル戦でしたが、各局の過程においては永瀬王座が押している時間の方が長かった。しかし、それでも永瀬王座は勝てませんでした。あそこで一体何が起こっていたのでしょうか。

  • 通期ベスト対局を決める、雑誌『将棋世界』の「熱局プレイバック」でも第71期王座戦五番勝負第4局は1位に選ばれた(撮影:中野伴水)

    通期ベスト対局を決める、雑誌『将棋世界』の「熱局プレイバック」でも第71期王座戦五番勝負第4局は1位に選ばれた(撮影:中野伴水)

おりしも昨日行われた第72期王座戦挑戦者決定戦において永瀬九段が勝利し、藤井聡太王座への挑戦権を獲得。前期のリベンジ戦となる五番勝負は9月4日(水)に開幕しますが、本稿では、日本将棋連盟が刊行する8月1日発売の『令和6年版 将棋年鑑2024』の特集「藤井猛九段が語る全タイトル戦」より、藤井猛九段が前期王座戦を振り返ったインタビューを抜粋してお届けします。

(以下、抜粋)

永瀬王座の快勝で終わるはずだったが……

―続いて第71期王座戦。藤井竜王・名人がついに八冠に輝いたシリーズなわけですが、内容はかなり競っていました。

「ええ、これはもう勢いです。そうとしか説明できません。内容的には永瀬王座がかなり優位な場面が多かったですし、そもそも藤井さんが挑戦者になる過程でも、準決勝の村田顕弘六段との将棋はほとんど負けでしたからね。羽生七冠達成のときも、奇跡的な勝利と言われるようなのも何回かありましたけど、そういうのがないとなかなか、全冠制覇というのは難しいです。それにしても、ちょっとさすがに神がかっていますね。
第1局(永瀬勝ち)は難解な将棋でした。△5一飛がすごくプロ的に評判のいい手で、時間がない中でよくこの手を指すなあってみんな感心したんですね」

―第2局は永瀬王座の入玉含みの粘りが印象的でした。

「永瀬王座はとにかく粘りますよね。負けにしても相手には楽をさせない。第2局は負けですが、ここまでいい内容で、好調を印象付けました。
第3局は序盤がすごくおもしろかったです。序盤で端歩を打診して、受けるか受けないかによって柔軟に作戦を決めるというタイプの戦型ですが、藤井さんがいままではほぼ端歩を受けていたのが、この対局で久しぶりに端歩を受けませんでした。そのあと▲7八玉と寄った手が少し危険なので、それを見事にとがめた、永瀬王座の研究が冴えわたる内容でした。いや、これもうずーっとね、ずーっとうまく指してるんですよ。だからこれは永瀬王座の快勝で終わるはずだったんです。はずだったんですよ。が、しかし、ひっくり返ってしまいましたね」

―自然な△3一歩でよしと言われていたところ、永瀬王座も手が見えるがゆえに、△3一歩以下自信のない順が見えてしまった。

「そうですね。△3一歩は▲4三銀△同金▲3二銀っていうすごい難しい手があって、それを解決できないから△3一歩じゃなくて△4一飛と打ったんです。これは難しいですよ。ただどうしても見ている側は評価値を見ているから、大逆転だって話になってしまいました。△3一歩▲4三銀△同金▲3二銀には一回△3九飛と打って、仮に▲5九香と香車を使ったら、△4二金と引いて▲3一飛成に△4一歩と打てばいいんですよ。このとき香車が持ち駒にないと寄らないから。だから△3九飛と打ったときに、角合しなきゃいけないんですよね。しかし角を使ってくれたら、△4二銀と打って、▲4三銀成は詰めろじゃないから、そこで詰めろをかければ後手勝ちです。合駒の種類によって、受け方を変えるということで、時間があれば読める順ですけど、残り数分ではちょっと難しいですよね」

―これもやはり、楽な将棋ではなかったということですね。

「ええ。ただここに至るまでずっと会心の指し手が続いていたから、いくら難しくても、流れは永瀬王座が勝つはずの将棋っていう気はしましたね」

常時8割5分くらいっておかしいですからね……

―その流れが第4局にも再び現れたようにも思います。

「そうですね。これはもう、実力とかなんとかって問題じゃないです。これは内容的には永瀬王座の会心の内容ですものね。勝敗だけがどうしても伴いませんでした。▲5三馬はちょっと残念な一手になってしまいましたね。これは僕が同時進行で解説してたんですけど、びっくりしました。これは本人も狐につままれたようなことで、意図しない手をなぜか指しちゃったって感じですね。まあ仕方ないです。将棋を指してると、こういう不思議な現象はありますから。
僕もタイトルを最初に取ったときは4連勝で竜王を取りましたけど、もう最後の方は勝つことしかイメージできない。自然な流れで勝つ感じなんです。流れっていうのがあって、もはや勝負を争ってるって感じじゃないんです。その流れに乗ったままタイトルを取った印象があります。そういうことがたまにあるんですけど、この王座戦も、永瀬さんにとっては残念ですが、どんなに頑張ってもなぜか藤井さんが勝つというシリーズになってしまいました」

―やっぱりそういう星のもとに生まれているというか「持ってる」というところもあるんでしょうか。

「ええもちろん。そうじゃないと普通、将棋って勝率7割5分くらいが上限でしたから。常時8割5分くらいっておかしいですからね。ただ、これからは分からないです。一時期そういうことがあっても、勝ち続けて終わる人はいないですから。永瀬王座もこの後、リベンジになったかはわからないですけど、朝日杯決勝戦で一番返しました」

いかがでしたか? 随所に藤井猛九段にしか語れない鋭い切り口と独特のユーモアがあふれていましたね。ここでは王座戦を紹介しましたが、将棋年鑑ではその名の通り全タイトル戦を藤井猛九段が語っておりますので、ぜひ読んでみてください。

将棋年鑑は8月1日発売!!

『将棋年鑑』は昭和43年から続く日本将棋連盟の定期刊行物です。令和6年版の表紙は藤井竜王・名人が飾り、タイトル戦の番勝負、竜王戦決勝トーナメント+1組、A級順位戦、王将リーグについては全局を収録。アマチュア棋戦を含めると500局を超える熱戦を、680ページの特大ボリュームで収録しています。

巻頭特集に登場の3人の棋士(藤井聡太竜王・名人、羽生善治九段、藤井猛九段)のアザーカットを収録した特別小冊子を同封し、巻頭特集のインタビュー動画(羽生善治九段、藤井猛九段)の一部を購入者だけに限定公開。さらに本紙に掲載した棋譜を、パソコンで再現できるように「kif.データ」も提供されます。

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