「プリンス以上の人物はいない」傑作ドキュメンタリー監督が語る天才の実像と取材秘話

2018年に制作が報じられるも、なかなか日の目を見ないままだったプリンスについてのドキュメンタリー『Mr. Nelson On The North Side』が、『プリンス ビューティフル・ストレンジ』という邦題でようやく封切られた。大規模な劇場公開は他国に先駆けて日本が最初だ。

原題が示す通り、本作はミネソタ州ミネアポリス北部で育ったプリンス・ロジャース・ネルソン少年が、”プリンス”というアーティストへと孵化していく過程を追い、彼が地元に根差した活動を晩年まで続けた理由も考察する内容。プリンスの遺産を管理する団体から公認が得られなかったため、彼自身の音楽は一部を除いてほとんど流れないが、バンドの歴代メンバーや幼馴染みまで数多くの関係者の証言をフィーチャーしている。ミネアポリスの歴史的背景や、当地におけるアフロアメリカンの現実、人種差別問題にも踏み込み、プリンスを育んだ環境が具体的にわかる内容が新鮮だ。

監督はカナダ出身のダニエル・ドール。音楽ドキュメンタリーの世界では耳慣れない名前だが、フィルモグラフィを見ると『ストリート・オブ・ファイヤー』に主演したカナダ系のスター、マイケル・パレとの仕事が多く、劇映画のキャリアが長いプロデューサー兼監督だ。ベテランのロックミュージシャンとも交流が厚いという監督の生い立ちについて訊くと共に、彼がこの映画をどんな意図で作ったのか、本音でじっくり語ってもらった。

チャカ・カーンが紹介した驚きの相手

─あなたはもともとプリンスの大ファンだったわけではないそうですね。カナダのトロント出身と聞きましたが、今何歳で、主にどんな音楽を聴いて育ってきたんでしょう?

ダニエル:私は65歳で、かなり年寄りです(笑)。私のバックグラウンドはカナディアン・ロックで、地元のバンドから大きな影響を受けて育ちました。

ダニエル・ドール監督

─この映画にもカナダを代表するバンド、ゲス・フー〜バックマン・ターナー・オーヴァードライヴで活躍したギタリストのランディ・バックマンが出てきますね。

ダニエル:私にとってゲス・フーは家族のような存在です。特にランディ・バックマンとは長いつき合いなので、この映画に出てもらいました。彼がプリンスと接点がないことは承知していましたが、”あの時代”について語れるロック史上の人物ですから。

─なるほど。プリンスはレニー・クラヴィッツとライブで共演したときにゲス・フーの「American Woman」をカバーしたんです。70年代にロックを聴いていた人なら誰でも、あのリフを覚えていますよね。

ダニエル:そんな風に深掘りしてくれてうれしいです。実はランディについてのドキュメンタリーも撮っていたんですが、パンデミックの影響で頓挫してしまいました。それと、もうひとり外せないカナダ出身のミュージシャンが、ジョニ・ミッチェル。私は彼女の大ファンでしたが、プリンスもジョニに魅了されていたことを知って、これは興味深い場面が作れそうだと思いました。ジョニの音楽からの影響のみならず、プリンスは彼女の優れた歌詞に触れて詩人としても成長したはずです。この映画でマーカス・アマカーという桂冠詩人に出演してもらったのは、”詩人としてのプリンス”にも光を当てたいという狙いがありました。この映画でファンの人たちと接したときに、彼らが「本当に心に響く、意味のある歌詞が自分に語りかけてくれる」ということを話してくれたので、それを世の中に伝えたいと思いました。

私はチャカ・カーンと知り合うことができて、彼女の家に泊まって一緒にクッキングをするほど仲良くなりました。彼女はプリンスにとって姉のような存在なので、プリンスについて本当によく知っていたし、彼について話すときも正直に語ってくれました。ある晩、夕食の最中にチャカから、今あなたが訊いたように「誰の曲を聴いて育ったの?」と質問されたので、「なんと言ってもジョニ・ミッチェルが特別です」と答えたら、チャカはおもむろに電話を取って、こう言ったんです。「もしもし、ジョニ? ここにあなたのファンがいるわよ」って! チャカはジョニと親友で、彼女のトリビュート・コンサートに参加して「Help Me」を歌いました。そしてその電話の翌日、ジョニがチャカの家へやってきてディナーを共にすることになったんです。あれはまったく信じられない体験でした。

©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

─そんな話は初耳です(笑)。つまり、あなたはロックを中心に聴きながら育ってきたわけですね。

ダニエル:どちらかと言うとね。私の家族は音楽業界に深く関わっていたので、KISSのメンバーがやってきて一緒に食事をするのがごく当たり前の環境で育ったんです(笑)。そんな私にとっても、ジョニ・ミッチェルとの対面は特別な出来事でしたね。

私はビートルズも大好きで、あの時代のロックに心から魅了されて育ちました。でも、何故かプリンスのことは、最初は好きになれなかった。とてもエゴイスティックなキャラクターに見えたし、奇妙に見えたんです。歌詞にも曲にも、自分との繋がりを見出せませんでした。なので、正直に言うと彼のファンだったからこの映画に着手したわけではありません。しかしこの映画を作っていくうちに、彼以上の人物はいないと気付きました。取材を進める中で接した人々を通して、全ての物語を理解したときに、こんな人は他にいないと初めて実感できたんです。

「ローリング・ストーンズの前座をやったときに客から瓶を投げられた」とか、センセーショナルな話ばかりが伝えられてきたプリンスですが、そんなことはまったく重要ではない。いつもカラフルでワイルドなプリンスの写真が何万枚も出回ってきたので、人々はそのイメージが彼の全てだと思っていましたが、それは彼の本当の姿ではないんです。彼はとても寛大で、親切で、富を人々に分け与え、援助を惜しまない……そういう面を持っていました。でも、彼はいつも「誰にも言うなよ」と言っていた。その秘密を守ることが、本当の意味で他の人々に与えること、助けること、愛することだと彼は思っていたから。それについて知る唯一の方法は、ミネアポリスのコミュニティに入って話を訊くことでした。CNNのような大メディアはそこへ到達できなかった。この映画に出てくるインタビューの多くは地元の人々が初めて心を開いて答えてくれたもので、それは恐らくこれが最後になるでしょう。

プリンスはホームレスにお金をあげたり、住む場所を提供したりしていたんですよ。彼の寛大さには、本当に頭が下がります。銀行の口座に何十億ドルも持っているはずの大スターなのに、実際はもっと少ない残高しか残っていなかった。それは彼が生前、人知れず多額の寄付を続けていたからです。「誰にも言わない」という約束のもとにね。

次世代の子供たちを助けるために

─この映画が製作中だと6年ほど前にニュースが流れた時点では、他のディレクターの名前が監督として報じられていました。結果的にあなたがこの映画を引き継ぐことになり、取材に協力したはずのアンドレ・シモーンやデズ・ディッカーソンのシーンは完成版から消えていましたね。その間に何が起きたのか教えてもらえますか?

ダニエル:この企画は、もともと最初のディレクターと、プリンスのバンドメイトだったデズ・ディッカーソン、アンドレ・シモーンから始まりました。しかし取材を進めるうちに、彼らはプリンスではなく自分たちについての映画を作りたかったのだと気付いて……デズから「プリンスについて書いたから、僕の本を読んでみてよ」と言われて読んでみましたが、そこに書いてあったのは彼自身のことばかりでした。プリンスに対する嫉妬や、彼ら自身が認められたいというエゴを感じて、映画の方向性に疑問を感じたので、一旦取材をストップすることにしました。

デズやアンドレがこの映画に登場しないのは、そういう理由からです。最初のディレクターも話が違うところがいろいろ出てきて雲行きが怪しくなったので、この映画から外れてもらいました。残念ながらアンドレ・シモーンから離れることになりましたが、彼のお姉さんたち……プリンスが実家を出て居候をしていたアンダーソン家の人たちは私を信用して心を開き、インタビューに応じてくれました。

インタビュー映像をたくさん撮ったので、膨大な量の未使用シーンがあります。それらをどうカットして、本編に組み込むべきか考えるのはとても難しい仕事でした。何故なら、素晴らしいシーンが他にもたくさんあるからです。この映画をDVD化することができるなら、皆さんから要望があれば、ボーナス映像としてそこに未使用シーンを加えたいと考えています。

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─本編に使われた映像は、誰から最初にインタビューの撮影を始めたんですか?

ダニエル:撮影初日は、私と話してくれないファン全員とのディナーから始まりました。私はペイズリー・パークに通っていた熱心なファンを集めましたが、彼らは沈黙を守りました。私を信用していなかったからです。彼らはおかしな形でプリンスについての情報が流布されることを望んでいないのだと悟りました。

次に私が会いに行ったのは、ディスクジョッキーのQベア(ウォルター・Qベア・ジャクソン)でした。彼はキッズの頃からプリンスと仲が良くて、ミネアポリスで初めてアフロアメリカン向けのラジオ局を立ち上げた人物です。それはミネアポリスの黒人のコミュニティにとってとても重要なことで、彼は地元の人たちからとても愛されています。彼と出会ったことがきっかけで、プリンスについてのインタビューを断っていた人たちが私に取材を許可してくれるようになりました。

私がミネアポリスのコミュニティの人たちと話したいと思ったのは、彼らがどこから始まったのかを知らずに、プリンスの成長について語ることはできないと思ったからです。そしてスパイク・モスに会った瞬間、それがこのドキュメンタリーの決め手になりました。彼はこの映画に登場するコミュニティ・センター、「ザ・ウェイ」を設立し、プリンスを含むたくさんの子供たちの支えになりました。

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─映画にも出てくる、「ザ・ウェイ」に協力したキーボーディスト、ボビー・ライルのレコードを今日は持ってきました。彼はプリンスに影響を与えたジミ・ヘンドリックスやラヴのアーサー・リー、スライ・ストーンとも共演した経験のあるミュージシャンですが、日本のレコード会社からエレクトーン奏者としてデビューして金銭的に潤った頃に、スパイク・モスからの要請を承けて「ザ・ウェイ」に協力したそうですね。

ダニエル:どうやってこのレコードを見つけたのですか? これは素晴らしいアルバムです。ボビー・ライルのエピソードを入れることにしたのは、「ザ・ウェイ」の哲学を伝えたかったからです。若者をドラッグや銃など、危険でクレイジーな環境から遠ざけるというコンセプトで、彼らは「ザ・ウェイ」を運営していました。そのためにスポーツや音楽といったレクリエーションを若者たちに提供したのです。成功した者は、次の世代を助ける責任がある……その哲学が私を駆り立てました。今ではスパイク・モスは、私にとって父親のような存在です。

ダニエル:そして、スパイク・モスはジョージ・フロイドのメンターでもあったのです。プリンスの死後、2020年にミネアポリスで起きたあの事件は、スパイクにとって非常につらいことでした。ジョージ・フロイドが殺されてから暴動が起きたときも、彼はそれを沈静化するために尽力しました。

プリンスはスパイクと「ザ・ウェイ」を再建することを話し合っていましたが、彼が亡くなってしまってそれは叶わず、今では跡地に警察署が建っています。プリンスが亡くなったことで再建への道が断たれ、スパイクは打ちのめされました。私はスパイクと会って物語のすべてを知ったとき、スパイクに「プリンスが始めようとしたことをやり遂げたい」と話しました。それがこの映画の柱になる部分です。

この映画のラフカットをチャカ・カーンに見せたら、彼女は「私が育ったシカゴで『ザ・ウェイ』を再建できないかしら?」と言ってくれて、うれしかったです。確かに、裕福な人々に働きかけて賛同を得ることができたら、再び「ザ・ウェイ」のような場所をミネアポリス以外の土地にも作って、貧しいキッズや困窮している人たちを救うことができるかもしれない。自分を育ててくれた地元に対して責任を持つ……そういう哲学が、スパイクの発言から感じ取れると思うし、次世代の子供たちを助けるためにこの映画を完成させようというモチベーションにもなりました。

天才を愛した人たちの物語

─それにしても、ガードが固いプリンスの知人たちに信頼され、ここまで踏み込んで取材できたのは驚きです。どうやって壁を乗り越えていくことができたんでしょう。

ダニエル:一部の人たちは非常に抵抗していました。アンドレ・シモーンは、ご存知の通りプリンスとは兄弟同然の親友だったので、できることなら彼に出演してもらいたかったのですが……プリンスは若い頃、些細なことでアンドレをひどく傷つけてしまったんです。アンドレとこの映画を始めた頃、昼食を取りながら話したときに、彼がプリンスに本当に傷つけられ、それを今も乗り越えられていないことに気付きました。

私がアンドレに、この映画を「天才の創世記」「天才の始まり」というようなタイトルにしようと考えていると話すと、アンドレは怒りました。「プリンスは天才なんかじゃない、天才であるわけがない!」と言ってね。そのとき、私は彼の中に大きな苦しみがあることに気付いて、「君の想いを世界と、観客と共有しよう。あなたたち2人は歴史の始まりの大きな部分を占めていたのだから」と説得しましたが、彼にはそれができなかった。今でも彼は心に負った傷を抱えたままなのです。それっきり、私はアンドレと話をしていません。私は彼に「映画を見たかい?」と何度も訊きましたが、彼は返事をくれません。彼がこの映画を見てくれていたらいいのですが……。

10代のプリンスをバンドに迎え入れた、最初の”ザ・ファミリー”のメンバーは、取材をとても喜んでくれました。彼らは本当に素晴らしい人たちでしたよ。私がひとりずつ接触したところ、彼らは何年もお互いに連絡を取り合っておらず、バンドが終わってから離れ離れになっていたことがわかりました。この映画のために彼らが再び集まってくれたのは凄いことだったし、出てきた話も凄かった。まだ何者でもないプリンスを雇って、彼がこれまで一度も立ったことのないステージ上に立たせたのがザ・ファミリーの面々でした。できたら楽器を持ち込んで、久々にセッションしてもらいたかったくらいです。あれはとても特別な瞬間でした。

プリンスと関わった多くの人々が、それぞれ様々な感情を抱いているため、非常に複雑な状況でした。この映画に協力しなかった人たちは、プリンスを祝福したくないから参加しなかったのです。誰もが自分のストーリーを持っていて、プリンスについて本を書きたがっているような状況でしたが、私がしたかったのはプリンスを祝福し、彼がどんな人だったかについて話すことだけでした。

名前は伏せておきますが……プリンスとアンドレが組んでいたバンドから追い出されたメンバーにも会って話を訊きました。私がミネアポリスに滞在していたとき、部屋に泊まってもらってじっくり話しましたよ。彼がクビになったのは、マリファナを吸っていたからでした。彼以外のメンバーはマリファナを嫌っていたので、みんなから吸うのを止めろと言われて揉めたそうです。そういう個人的なレベルの揉め事についてたくさん聞きましたが、この映画にはフィットしないのでカットしました。ただ、そんな風に彼らの関係について山ほど話を訊いたので、今では全てを知っています(笑)。

©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

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─オリアンティが登場するシーンについても質問させてください。スタジオでの演奏シーンにはドアーズのロビー・クリーガーも登場しますが、あの場面で彼らが演奏している曲は、オリアンティがプリンスに突然電話で呼び出されて、シーラ・Eと3人でジャムセッションしたときに途中まで作りかけた曲なんですよね?

ダニエル:そうです。初めてオリアンティに会ったとき、彼女からプリンスとのエピソードを教えてもらったので、この映画を作り始めたときに「お願いだからあの曲を完成させてくれないか?」と頼み込みました。映画の中で彼女が言っている通り、あれはプリンスのアドバイスを反映した曲です。4日がかりであの曲を完成させて、彼女は「プリンスへの恩返しができた」と言っていました。とても良い曲に仕上がったと思います。

私はドアーズの大ファンでもあるので、別のところでロビーと接点がありました。このプロジェクトについて説明すると、ロビーは「これはギフトだね」と言って、彼のスタジオを使わせてくれたばかりか、我々に食べ物まで用意してくれました。彼は本当に信じられないほど素晴らしい人物ですよ。

©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

─この映画で、プリンスがバンドのリハーサル後も自宅で練習を続けていたという証言が出てきますよね。そんな風に寝る間も惜しんで音楽に没頭し続けることでプリンスが救われたのと同時に、そういう人生を晩年まで続けたせいで長生きできなかったのでは、と思うと何とも切なかったです。

ダニエル:そうですね……。ハイヒールを履いてピアノの上に飛び上がったりして体を酷使し続けていたせいで、彼は痛みを抱えることになった。でも、それは彼のせいではないし、仕方のないことだったと思います。ご存知の通り、彼が鎮痛剤のフェンタニルを過剰摂取していたことがわかりましたが、事の真相は未だに解明されていない。しかしそれについて、彼が亡くなってしまった今どうこう推察するのは私がやることではないと思ったんです。だからこの映画では触れないことにしました。

─単にスターの歴史を振り返った映画でなく、人間としてのプリンスがどう形成されていったのかを考察している点に惹かれました。

ダニエル:ありがとう、それがこの映画で私がやりたかったことです。今では誰もが彼の音楽を知っていて、ほとんどの人のスマートフォンの中に彼の曲があるでしょう。でも、この映画は有名スターとしての側面ではなく、彼を取り巻く人間関係……彼にとって最も身近な人たちと、今日に至るまで彼を愛している人たちについてのストーリーです。

もう一つのテーマは、「この男をプリンスたらしめたものは何なのか?」ということです。子供の頃、彼にとって父親は手が届かない存在でした。父親に認められるなら、彼はエッフェル塔の上で宙返りすることも厭わなかったでしょう。しかしミュージシャンとして独り立ちしてからも、プリンスの父親は依然として彼を評価しようとしなかった。だから彼はいつも目標以上の成果を出そうと奮闘していたんじゃないでしょうか。しかし、そんなことを達成しようとする必要は、本当はなかったのです。彼は本物の、生まれついての天才でしたから。それは彼の脳のクレイジーな部分が行なったことですが、その一方で、彼には内側に閉じこもる面があったのではないかと私は思っています。敢えてそのようにこの映画で明言はしませんでしたけどね。

『プリンス ビューティフル・ストレンジ』

6月7日(金)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー

提供:キュリオスコープ、ニューセレクト

配給:アルバトロス・フィルム

©PRINCE TRIBUTE PRODUCTIONS INC.

公式サイト:https://prince-movie.com/