おじいちゃんの八百屋を引き継いだら赤字!? 価格、品ぞろえが大手流通にかなわないなら、自分に会いたいと思ってもらえる店づくりを

愛知県岡崎市にある「ダイワスーパー」。大山さんの祖父が店を立ち上げた当時の建物を使って50年以上、今も創業の地で営業している

──幼い頃から八百屋の後継ぎになると決めていたのでしょうか。

大山さん もともと後を継ぐことなど考えたこともなく、まったく別の仕事をしていました。母方の祖父が経営していた野菜や食料品を販売するダイワスーパーを継ぐと決意したのは2018年、24歳の時です。祖父母はとても喜んでくれました。
しかし、社長になってからわかったのですが、累積した赤字がなんと3000万円……。早急な立て直しが必要でした。近隣に住む高齢者が歩いて買い物に来るような、半径500メートルが商圏の小さくて古い八百屋です。祖父と一緒に早朝から地元の市場へ出かけ、仕入れをする日々が始まりました。

さまざまなスーパーにも視察に行きました。しかし、チェーン展開する大手の大型店舗に勝つのは難しいことなんだと思い知らされるされるばかりでした。大量仕入れによる価格の安さ、店の広さや新しさ、規模や知名度、設備など、どれをとっても太刀打ちできません。陳列スペースやバックヤードに限りがある当店では、品数を増やすこともできず、仕入れの規模を大きくするのは難しい。駐車場も狭いので来店者数も限られます。頭を抱えました。

──ということは、いきなりフルーツサンドを始めたわけではないのですね。

大山さん ハード面で戦えない以上、ソフト面を強化しようと考えました。自分に会いたいと思ってくれる、ファンになってくれるお客様を増やしたい。この点で負けたらもう終わり。そう思って、まずは、お客様の顔と名前を覚えることから始めました。
大事なのは、単なる「お客様」として捉えるのではなく、それでいて友達のようになれなれしくしすぎるのでもなく、一人一人と関係性を築きたい、ということ。「近くまで来たし、店長に会いたいから寄っていこう」。物を売るのではなく、人で売る。今もそのスタンスは変わっていません。

この頃、現在も続けている手書きの「ダイワ新聞」というフリーペーパーを作り始めました。当時は印刷機器を買う余裕もなく、自分の給料でコンビニのコピー機で3000枚ほどコピーし、地道にポスティングをしていました。

「八百屋の作る本気のフルーツサンド」の発見!!

──地道な作業ばかりですね。立て直しに取り組む中で、ヒット商品のフルーツサンドが生まれた経緯を教えてください。

大山さん 社長就任にあたって「1年間で売り上げを倍にする」「100人の行列を作る」ことを目標に掲げました。この目標を達成するために、そして、どうしたらお客様にもっと喜んでもらえるのか。この時考えて始めたのが、店で仕入れるフルーツを主役にしたかき氷です。かき氷を日本で一番売る八百屋を目指し、新鮮なフルーツを惜しみなく使ったかき氷を販売しました。幸いにも、SNSで話題になり、行列ができるようになりました。

行列ができる店になったのはとてもうれしかったんですが、かき氷を秋から冬に売るのは難しい。次の手を考える必要がありました。ダイワスーパーの看板商品、代名詞になる商品です。

それは突然のことでした。いつものようにコンビニで「ダイワ新聞」をコピーしていた時のこと。いつもながら時間がかかるので、小腹を満たそうとコンビニのフルーツサンドを買ったんです。その時、ふと思いました。これって、うちで売っている果物を使ったら、もっとおいしくできるんじゃないか。新鮮な果物が身近にたくさんあって、いつでも入手できるじゃないか、と。おいしい果物をふんだんに使ったフルーツサンドを作ったら、かき氷ファンのお客様に喜んでいただける通年の商品になると考えたのです。

「萌え断(もえだん)」という言葉も知られていなかった頃に生まれたフルーツサンド

こうして生まれた「八百屋の作る本気のフルーツサンド」は、すぐにかき氷を超える人気商品になった。当初は総菜などを作る小さな調理場で作っていたものの、あまりの売れ行きに、作業が追いつかない事態に。
キッチンを増設、さらに事務所兼キッチンを建て、15人ほどで作業できる体制を作った。現在はさらに投資をして、50人ほどが作業できるセントラルキッチンを建設。岡崎市内から全国に配送している。当初14人だった従業員は、現在は社員だけでも約30人、パート・アルバイトを含めると150人もの規模になった。

──フルーツサンドが“バズった”ことが事業立て直しのカギになったのですね。

大山さん フルーツサンドのヒットと同時に、カフェの展開にも取り組みました。小さな八百屋の店先だけでは、食べるスペースが足りない。快適な環境でおいしいフルーツを味わってもらおうと2019年に始めたのが「ダカフェ」です。

同じ岡崎市内にカフェを新築したところ、ありがたいことに300人もの行列ができました。祖父が経営していた頃には少なかった若い世代のお客様が集まり、SNSでどんどん拡散してくださる。広告宣伝にお金をかけることなく、テレビ局が取材に来てくれるようになりました。店の宣伝になるなら、と積極的に取材を受けるうち、これまでに50回ほどテレビ出演しています。SNSの力は大きいと感じます。

フルーツサンドの果物には妥協しない。青果市場から、農家から。全国からよりよい果物を仕入れる

──フルーツサンドに使う材料は、どのように仕入れていますか?

大山さん 当初は地元岡崎の市場が中心でしたが、現在は、規模の大きい名古屋の青果市場で仕入れています。全国各地の市場を見学したところ、本州の真ん中という地理的な強みがある名古屋には、東日本からも西日本からも、品質がよくて多様な農産物がバランスよく集まっていると思いますね。さまざまな産地の、イチゴや桃、マンゴー、シャインマスカットなどを仕入れています。

また、東京の青果市場には資本力のある大手スーパーなども多いので、ダイワスーパーの規模では思うような仕入れができないこともあります。その点でも名古屋がいいと思っています。フルーツサンドのヒットで仕入れの規模が拡大し、仲卸業者さんとの関係性も安定したため、より安定供給ができるようになりました。パンは地元岡崎のパン屋さんにお願いして作ってもらっています。味や色などの細かなリクエストにも応えていただけるので、本当にありがたいですね。

──果物の生産者から直接仕入れることもあるとお聞きしました。

大山さん 農家さんのもとへ足を運び、直接仕入れを行うこともあります。Instagramで農家さんからご連絡をいただくこともありますよ。イチゴ、マンゴー、イチジク、パッションフルーツなど、愛知県内はもちろん、北海道、埼玉、山梨、兵庫、宮崎など全国各地の農家さんとお付き合いがあります。

フルーツサンドに使う果物の仕入れに妥協はしない。社長自ら選んだ果物を全国各地から仕入れる

新展開~行き場を失った規格外果実を活用するドライフルーツの商品化。果物と農家のストーリーを消費者へ伝えるために~

フルーツサンドのヒットが続く中で大山社長が新たに取り組んでいるのが、規格外の果物を活用したドライフルーツだ。規定サイズ外、自然災害で変形してしまった、豊作過ぎて受け入れてもらえなかった、など、さまざまな理由で行き場を失ってしまった果物を、生産者から直接仕入れ、ドライフルーツへと加工する。

転機になったのは、石川県能登半島に住む86歳のキウイ農家との出会い。
「祖父が作っている2トンものキウイが廃棄されようとしている」というSNSへの書き込みを友人経由で知った大山さんは、その書き込みをした男性とコンタクトをとり、ともに能登の畑を訪ねた。男性の祖父にあたる農家ともさまざまな話をして、大山さんは廃棄予定のキウイをすべて買い取った。

キウイの生産者を尋ねた大山さん(右)

廃棄される予定だったキウイ

──行き場のない果物を買い取るというのは、フルーツサンドとは全く別の事業ですね。

大山さん 規格外、また、さまざまな理由で廃棄される農作物があるという知識はありましたが、実際に生産者を訪ねてみると想像以上の量に驚きました。廃棄にも手間やコストがかかり、フードロスは社会問題にもなっている。何とかしたいと思いましたね。味に問題があるわけではないですから、ドライフルーツとして加工してみたらどうかと考えました。

どんな果物にも作り手がいて、ストーリーがあります。果物そのものも、手塩にかけて作り上げる苦労や努力も、決して無駄にしたくない。農産物とそのストーリーを消費者へ伝えるのは、僕たち流通業者の仕事です。ただ売るんじゃなくて、そういう面も伝えられたら。規格外果実のドライフルーツが、農家のみなさんの支えになるように、との思いで商品化を進めています。

規格外果物を中心に、さまざまな果物を使ったドライフルーツ

──困っている農家さんは全国各地にいらっしゃることと思います。取引をしたい農家さん側からダイワスーパーへ直接アプローチをすることはできますか?
 
大山さん もちろんです。これまでにもSNSなどを通じて全国の農家さんとつながってきました。規格外などの果物で困っている農家さんがいらっしゃれば、ぜひInstagramなどで気軽にご連絡いただければと思います。

世の中に今必要とされていることは何か、お客様に喜んでいただくためには何ができるのか。

赤字経営の八百屋を大躍進へ導いた大山社長は常に先を見据え、多忙な毎日の中でもドライフルーツの開発を進めてきた。創業者であり尊敬する祖父でもある大山和之(おおやま・かずゆき)さんの名を冠した「ダイワスーパー」の今後を、どのように考えているのか。取材の最後に尋ねてみた。

──これからの事業展開、あるいは実現したい夢を教えてください。 

大山さん ダイワスーパーのような中小企業は、経営者の人間力が大事だと思っています。予想外のことは常に起きるし、プラン通りにいかないのが当たり前。自分の器を大きくすることが会社を大きくすることにつながると信じています。

八百屋もカフェも導かれてたどり着いた感があります。その延長線上として、ホテル業や旅館業などを手掛けることも考えています。スタッフが年齢を重ねることが強みになる事業でもありますね。会社の成長とともに、スタッフも年齢を重ねて結婚し、家族が増えていきます。彼らが一生働き続けられる会社づくりをしたいですね。

そして、自社の経営が成功するためだけでなく、世の中に今必要とされていることは何か、お客様に喜んでいただくためには何ができるのか。家業を復興するプロセスで学んだこの観点を常に忘れることなく、これからも進んでいきたいと思っています。

取材後記

生産者に取材する機会が多い筆者にとって、流通業者である大山社長の視点はとても興味深く、考えさせられることも多かった。
ドライフルーツ作りのきっかけになった86歳のキウイ農家は、大山さんが仕入れをした翌年に亡くなった。廃棄を見かねてSNSへ書き込んだ孫が農園を継ぎ、祖父が残したおいしいキウイを作り続けているという。
そんな農家のストーリーの一つ一つが全国の消費者へ届き、手間ひまをかけて育てられた果物が大切に消費される社会になったら素敵だな、と取材をしながら感じた。
6次化に取り組む農家も増えているものの、農家自身がすべて加工・販売するには多くの労力とコストがかかる。行き場のない果物に困っている農家は、ぜひダイワスーパーの大山社長へ連絡してみてほしい。

【取材協力・画像提供】 
ダイワスーパー 大山皓生社長