2023ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会において、大会運営の安全性と観戦満足度の向上を兼ね備えた、トライアスロン初のGPSトラッキングシステム活用が行われた。大会運営の安全性と観戦満足度の向上を兼ね備えた同システムはどのような成果を上げたのだろうか。

  • GPSトラッキングシステムの実証テストを実現させたみなさん

横浜で開催されている世界規模のトライアスロン大会

神奈川県横浜市で開催されている「ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会」は、トライアスロンにおいてオリンピック・パラリンピックに次ぐカテゴリーに準ずる世界大会だ。国内で行われる大会の中でもっとも規模が大きく、世界トップクラスの選手から一般参加の人まで、トライアスロンを愛する人たちが一堂に集う。

もともとは2009年に横浜港開港150周年を記念して行われた大会だったが、非常に大きな反響を呼び、2011年に第2回を開催。以降は毎年欠かさずに行われ、横浜市にとっても欠かせないイベントになっている。

  • 2023ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会

だが、トライアスロンは海も陸も利用する広域スポーツであり、なかなかひとつの場所で応援し続けることは難しい。また横浜大会は日本最大規模だけに、大会運営において参加者の安全確保に対する取り組みは大きな課題とされている。

これを踏まえ、「2023ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会」において実証テストが行われたのがGPSトラッキングシステムだ。トライアスロン初となる試みが実現した経緯とその成果について伺ってみたい。

GPSトラッキングシステム導入の意義

NTT東日本は、長年トライアスロン・パラトライアスロン競技をサポートしており、日本のトップ選手のスポンサードも行っている。それだけに公益社団法人日本トライアスロン連合とは、この競技に向けた発展・普及に関する協力体制も構築している。多くの課題を抱えるなかで、NTT東日本 神奈川事業部 地域ICT化推進部の坂本一平氏が横須賀市のスタートアップオーディションで出会ったのが、N-Sports tracking Labだ。

神奈川県横須賀市のベンチャー企業であるN-Sports tracking Labは、マリンスポーツにおける位置情報の活用を専門とする会社。代表 CEOの横井愼也氏は、自らもウインドサーフィンのアマチュア選手として活動しており、広域スポーツの認知向上・ファン拡大に向けたシステム開発を続けている。NTT東日本は、同社のGPSトラッキングシステム「HAWKCAST」をぜひトライアスロンに組み込みたいと考えた。

「GPSトラッキングシステムにより、選手の位置情報が常時把握できることの価値は大きく2つあると考えています。ひとつは、運営本部が、選手の異常にいち早く気付くことができるため、大会の安全性を高められること。もうひとつは、観戦者が、応援したいアスリートのレース状況を常に追いかけることができるため、観戦の魅力が高まることです」(NTT東日本 坂本氏)

  • NTT東日本 神奈川事業部 地域ICT化推進部 坂本一平 氏

「HAWKCAST」の特徴は、高精度GPSを用いたトラッキングによって秒間隔で位置情報を更新し、表示すること。目まぐるしく選手が動き回るスポーツにおいては、いままさに選手がどこにいるかという情報を把握できる意味は大きい。とくに重要なのが「止まっていることが分かる」という点だ。選手の動きが止まっているということは、なんらかのトラブルがあったことを示しているわけだが、そんな非常事態にいち早く気づくことができる。 また選手だけでなく、大会運営を支えるスタッフの位置が正確にわかるのも強み。これによって、トラブル発生時に近くにいるスタッフを指名して指示を出すことができる。さらに駆けつけるべき選手の場所への誘導も行うことが可能で、かつメディカルスタッフと選手がかさなっていれば治療中だと分かる。選手側にとっては“見守られている”という安心感につながるだろう。

  • GPSトラッキングシステム「HAWKCAST」のデバイス

日本トライアスロン連合もこのGPSトラッキングシステムを高く評価し、大会での実証テストが決定した。日本トライアスロン連合 マーケティング・事業局長の坂田洋治氏は、「複数の広域競技を営んでいるがゆえに安全面の確保は大きな課題で、私たち競技団体としても取り組みを進めていました。今回のご提案で着眼したのは、観客にも利点があるというアウトプットの部分も含め同一システム内で展開できることです」と、受け入れの理由を述べる。

  • 日本トライアスロン連合 マーケティング・事業局長 坂田洋治 氏

スポーツ以外でも可能性を見せるHAWKCAST

GPSトラッキングシステム「HAWKCAST」を実際に組み込み運用したのが、日本トライアスロン連合の公認計測システムパートナーであるネオシステムだ。代表取締役を務める清本直氏は、2年前にN-Sports tracking Labの横井氏と出会い、HAWKCASTがトライアスロンで使えるデバイスだと肌で感じたという。

「横井さんはマリンスポーツ出身で、僕らはトライアスロン出身。それぞれの現場でGPSトラッキングシステムの実験を繰り返しました。これを『Japan Sports Week』で展示したところ、我々が想像してなかったような分野からも質問を受けて、驚いたことを覚えています」(ネオシステム 清本氏)

  • ネオシステム 代表取締役 清本 直 氏

展示会では、スポーツ含めさまざまな分野からの要望があったという。たとえば「駅伝の選手に取り付け、選手間のリアルタイムな距離を測る」「花火大会のガードマンに取り付け、安全確保につなげる」といったものだ。毎秒のトラッキングによるリアルタイムな位置情報は、さまざまな可能性を秘めていることが分かる。

「今後のHAWKCASTの課題は、危険度の大きい水泳でのデータ取得を改善することが挙げられます。水中では衛星からの電波が非常に微弱になるため、位置測位の誤差が大きくなってしまいます。カーナビではトンネル内でもジャイロスコープなどを活用し位置を推定しますが、今後開発するデバイスも位置推定技術を改良して、水中にはいってもある程度データが取得できるように発展させていきたいと考えています」(N-Sports tracking Lab 横井氏)

  • N-Sports tracking Lab 代表社員 CEO 横井愼也 氏

「HAWKCASTは、GPSによる1秒ごとの位置取得と、LTEによる5秒ごとの情報送信を同時に行っています。これが途絶えたときにどうするかはこれからの課題です。現在は通信が途絶えると位置が止まってしまうので、本当に選手が止まっているのか、通信が途絶えただけなのかを区別できるようにする必要がありますね」(ネオシステム 清本氏)

GPSトラッキングシステムの端末はビブスの背中側、首の下あたりに取り付けられるが、これはスイム中であっても電波を捉えやすくする位置なのだという。現在は水泳やトライアスロン以外にもさまざまなマリンスポーツで活用が進んでおり、スタンドアップパドルやオーシャンローイングなどでの試験例もあるそうだ。

  • 選手が着用するビブス。首元にデバイスを収納するポケットがある

「三宅島で行われたオープンウォータースイミングの大会で試験的に選手に付けたら、主催の方々たちが驚いていました。今までは一度泳ぎに出てしまうと、誰がどこにいるのかまったくわからない状態だったのです。水面に浮かべたブイにもHAWKCASTをつけたので、コースもちゃんと画面上でわかるようになっていて、それに向かって選手が泳いでくれます」(ネオシステム 清本氏)

選手・観客・スタッフからも高評価

こうして「2023ワールドトライアスロン・パラトライアスロンシリーズ横浜大会」に試験導入されたGPSトラッキングシステム。その成果について、世界トライアスロンシリーズ横浜大会組織委員会 競技運営部長の河野樹夫氏は次のように話す。

「安全性の向上という面では、トラブル発生時により早く選手の元に駆け付けることができました。トラブル発生時、近くにいるスタッフを無線で呼び、あの現場に向かってくれと言える、そんなバックアップ体制ができたと思います。特に印象に残っているのはスイム時です。これまではライフセーバーが目視で確認しており、競技運営本部にいても、無線連絡が入るまでは状況が分からなかったのですが、今回は逆に坂本さんがシステムの情報から異常を察知し、私に知らせてくれ、私からライフセーバー側に異常信号が出ている選手の 確認を依頼するというシーンが何度かありました」(組織委員会 河野氏)

  • 世界トライアスロンシリーズ横浜大会組織委員会 競技運営部長 河野樹夫 氏

トライアスロンの水泳においては、陸に上がった選手の数は分かっても、まだスイム中の選手の数を把握するのは難しい。ライフセーバーも、コースを外れてしまった選手と見つけるのは困難だ。GPSトラッキングシステムは、安全管理のレベルを一段引き上げたと言えるだろう。

「一方、観客視点では『選手が近くに来るのを待ち構えて声をかけられる』という、新しい観戦スタイルができました。アンケート等でも『応援がしやすくなった』という声をいただいています」(組織委員会 河野氏)

今回は映像が3アングル用意されており、そのなかに応援したい選手がいるかをチェックすることもできたため、現地に応援に来られなかった人たちからも好評だという。

実際に選手として参加したNTT社員も、「GPSの重さに不安もあったが、実際にはブレることもなく良い状態で走ることができた」「以前は通り過ぎてから気づかれることもあったが、通過するときに応援を受けられた」「けいれんを起こしたが、スタッフがすぐに声をかけに来てくれた」と効果を実感しているという。

「今回、担当チームの皆様には、医療・警察・消防などが一堂に会する競技運営本部内で業務対応していただき、我々がレース中に直面する同じ緊張感でリスク管理を共有していただきました。この取り組みは将来に向けた大きな一歩だと思います」(日本トライアスロン連合 坂田氏)

スポーツ観戦が大きく変わる可能性を秘めた取り組み

各方面が大きな手応えを感じた今回の取り組み。NTT東日本の坂本氏は「大会が近づくにつれて互いのコミュニケーションが活性化されていき、『安全を求める』という一点に向けてともに動いたことは、いま思うと学祭の前日のようにも感じられます。システムや通信障害が発生したらどうしようと、当日はドキドキでした」と当時を振り返る。

また日本トライアスロン連合の坂田氏は、「当日は坂本さんと同様に非常に不安でしたが、競技運営本部に居た河野さんと会った時の表情を見て、高評価を得られることを感じました。GPSトラッキングシステムは選手の皆さんに安心感を届けられることと同時に、大会運営側に対しても大会価値のステージアップに繋がります。競技団体の一員として本当に感謝していますし、今後も更に活用の場を広げていきたいと思っています」と、笑顔で話す。

そして、GPSトラッキングシステム導入の立役者となったN-Sports tracking Labの横井氏は、今後の展望とスポーツ観戦の未来について次のように語った。

「NTT東日本さんはネットワークと映像に関する技術をたくさん持っています。位置情報に映像が加われば、リモート観戦もより身近になるでしょう。昨今はコロナ禍で大会を見に行けないという事情もありました。とくに、映像と位置情報をリンクさせることができたのは、非常に大きなことだったと思っています。応援したい選手を的確に応援できる、この仕組みは他のスポーツに転用できる可能性が非常に高いわけですから、今後のスポーツ観戦が劇的に変わる期待を抱いています」(N-Sports tracking Lab 横井氏)

横浜市は「横浜市スポーツ推進計画」を掲げている。トライアスロン・パラトライアスロンを通じて多くの選手やその家族が横浜を訪れることは、同市の地域活性につながるだろう。NTT東日本は、そんなスポーツ観戦の楽しさと安全をICTの力で実現することを目指している。