2020年からJリーグに加盟するFC今治。2023年1月には総工費約40億円を投じて、約6000人の観客を収容可能な新ホームスタジアム「今治里山スタジアム」を建設した。

スタンドすぐ裏の畑では、農作物の栽培などをするプロジェクト「里山ファーム」を進めている。環境保全をコンセプトに掲げ、化学肥料や農薬の使用を極力抑えた栽培方法でピーマンや大葉、プチトマトなどの野菜を育てている。

「スタジアムなどの建造物は基本的に、出来上がった瞬間からどんどん価値が下がっていくことが自然の摂理ですが、我々は『成長していくスタジアム』を目指しており、スタジアムを拠点に、自然豊かな里山をどんどん開墾していくというコンセプトを掲げています。そうした考えのもと、自然とスタジアム内に畑が出来上がりました。現在は少ない時期で3人、多い時で10人ほどの社内有志で分担しながら、通常業務の傍ら農作業に当たっています」

スタジアムそばの畑で大葉を摘み取るスタッフ

農産物を育てる理由についてこう説明するのは、今治.夢スポーツ経営企画室でスタジアム統括を担当する中川寛之(なかがわ・ひろゆき)さんだ。この取材の直前まで畑で種まきや水やりをしていたそうで、こんがり焼けた肌に滴る爽やかな汗が印象的だ。

「里山ファーム」プロジェクトの概要を説明する中川さん

クラブカラーのブルーを基調とした観客席の裏に一面の緑が広がる幻想的な光景の同スタジアムだが、設計当初はある懸念を抱えていたという。それが、長年にわたって近隣住民を苦しめてきたイノシシの存在だ。

「もともと、このスタジアムは四方を山に囲まれていることもあり、近くの農家さんの畑などでは過去に多くの被害が見られてきました。スタジアム内に畑を構えたことで、イノシシを呼びせるトリガーになってしまっては、せっかく作った新しいピッチが荒らされて試合に支障が出る可能性があります。何とか事前に防ぐ手立てはないものかと考え始めました」(中川さん)

かつて同地域では、山に住むイノシシのすみかと、里に住む人間の住み家との緩衝地帯として里山が機能してきた。しかし近年は人口減少や高齢化に伴って緩衝地帯としての里山が衰退し、気候変動などの影響もあって、動物が山から里に下りてくるようになったという。スタジアムの近くにある公園などではイノシシによる土の掘り返し被害などが年々増えており、中川さんもスタジアムの建設中にノウサギのフンなどをよく目にしてきたそうで、鳥獣被害対策の必要性を感じてきたと話す。

そこで今治.夢スポーツでは、会長である岡田さんの働きかけで、鳥獣被害対策を手掛ける株式会社DMM Agri Innovation(以下、DMMアグリイノベーション)に実地調査や害獣の防除を依頼。地域を巻き込んでの被害対策が始まった。

同社らによる被害対策の構図はこうだ。
まず、スタジアム周辺地域の植生マップ(環境省)を参考に、地域の地形や動物が好む植物の有無などから、スタジアムにイノシシが進入する場合のルートを特定。「害獣対策は周辺地域をすべてブロックすれば早いですが、それでは多額の費用が掛かってしまいます。限られた予算で効果を得るため、まずは侵入されやすいところを机上で特定したうえで、実際に現場を確認しながらシミュレーションしました」と、鳥獣被害対策を担当したDMMアグリイノベーションの原田幸顕(はらだ・こうけん)さんは振り返る。

スタジアム周辺での鳥獣被害対策について説明する原田さん

ここでの行動分析によって、イノシシが山からスタジアムへ下りてくる場合には、あるルートを通ってくる可能性が高いことが分かった。スタジアムから直線距離にして70メートルほど離れた山中にあるミカン農家の畑だ。この畑では以前から、イノシシがミカンを目当てに侵入しており、果物がなっていない時期にも土の掘り返し被害などに悩まされていた。

そこで、スタジアムへの通り道になり得る、このミカン畑にイノシシが進入しないよう、周辺約1キロの範囲に電気柵を設置した。このほか、作物の残渣(ざんさ)などは電気柵の外で処理するなどし、イノシシを畑の中へ誘引しないよう工夫している。

「お城で例えると、外堀を埋めたというイメージですね。人が往来するスタジアム内に電気柵やワナを仕掛けることは難しいため、そもそも外から入ってこられないようにしています」と意図を説明する。

電気柵などを設置した後はトレールカメラなどで圃場(ほじょう)をモニタリングしてきたが、これ以降イノシシを含めた野生鳥獣がスタジアムはもちろん、このミカン畑へ侵入したケースも発生していないという。

DMMアグリイノベーションや今治.夢スポーツが取り組んできた鳥獣害対策のユニークなところは、こうした被害対策の取り組みの成果や過程を地域住民やサポーターと分かち合おうとしている点だ。

昨秋には、イノシシ防除などに関するフィールドワークが開催され、参加者がスタジアム周辺の山を散策しながら被害対策の状況やイノシシの痕跡などを見学して、理解を深めた。

「このスタジアムを365日人が集う場所にしたいという思いで、建設途中から市民の方々へ見学ツアーなどを催してきましたので、今回のイノシシ対策についても自然な流れでツアーの企画がなされました。開催してみると『今まで知ることができないことがわかって面白かった』、『動物がどういうところからきているのか知れた』という好評の声が多く寄せられました」と中川さん。

鳥獣害対策によってイノシシと人間の活動拠点のすみ分けがなされた美しい里山の中心には、サポーターらとともに築き上げたスタジアムが象徴としてあり続けるだろう。

取材協力

株式会社今治.夢スポーツ

株式会DMM Agri Innovation