化粧品会社のマンダムは、宇宙空間向けのボディペーパー「ギャツビー スペースシャワーペーパー」を開発。国際宇宙ステーション(ISS)搭載品に選ばれ、2022年10月から若田宇宙飛行士の宇宙生活を支えている。

地上とは大きく環境が異なる宇宙で安全・快適に使えるボディペーパーの開発には、苦労も多かったという。「ギャツビー スペースシャワーペーパー」の開発に携わったマンダム スキンサイエンス開発研究所 副所長 フロンティア開発研究室 室長/北里大学薬学部 スキンサイエンス共同研究講座(マンダム) 特任講師の志水氏、フロンティア開発研究室 主任 森野氏・齋藤氏の3名に、開発秘話や今後の展望を聞いた。

■極限での挑戦が新たな価値を生む

――宇宙空間向けのボディペーパーを開発した経緯をお聞かせください。

志水氏:「ギャツビー スペースシャワーペーパー」は、私たちが所属するフロンティア開発研究室が開発した製品です。フロンティア開発研究室は新規事業や未来の価値につながるような研究開発を行う部署なのですが、この組織ができた背景にはある種の危機感がありました。

ビジネス書『両利きの経営』に書かれている通り、ビジネスの持続的な成長には「知の深化(得意分野の深堀り)」と「知の探索(新しいことへの挑戦)」のバランスが大切です。ところが、特に大企業は得意分野に置いた研究開発やリソース配分を行う傾向が強いため、ベンチャー企業が新しい技術を市場に投入すると一気に逆転されてしまう恐れがあります。

そこで、「知の探索」の一端を担う組織として、フロンティア開発研究室が立ち上がりました。

  • マンダム スキンサイエンス開発研究所 副所長 フロンティア開発研究室 室長/北里大学薬学部 スキンサイエンス共同研究講座(マンダム) 特任講師 志水氏

――それがどのようにして、宇宙空間向けの製品開発につながったのでしょうか。

志水氏:フロンティア開発研究室の方向性を考えたとき、悩んだ末に行きついたのが「Close to the Edge:極限での挑戦が新たな価値を生む」というキーワードです。宇宙飛行士やアスリートなど、極限環境・極限状態でチャレンジしている人のお困りごとの解決を通して、新たな価値を創ることを方向性として掲げました。

その背景に、技術革新によって便利になった今の世の中では、多くの人に共通する日常的なお困りごとが減ってきていることがあります。そんな中、わずかに残っているお困りごとに対して、各社が技術開発を競えば、おのずとレッドオーシャンになってしまいます。

それならば、極限環境でチャレンジしている人が抱えている悩みにフォーカスして、それを解決する技術の開発に取り組もうと考えたのです。

宇宙は距離的にもこれ以上ない未開拓の分野ですし、生活環境も地上とはかけ離れています。宇宙飛行士が抱える悩みは、私たちが地上で感じるお困りごととはまったく違うからこそ、ニッチでも新しい価値につながる研究ができると思いました。

「月面都市ムーンバレー構想」では、2040年には1,000人が月に住み、年間1万人が月と地球を行き来するといわれています。そうなると宇宙空間向け製品の重要性が高まってくるため、JAXA主体の「宇宙生活/地上生活に共通する課題テーマ・解決策の募集(2020年)」に応募する製品を作ることを決めました。

■運動後の汗ふきやシャワーがわりに

――「ギャツビー スペースシャワーペーパー」は、国際宇宙ステーション(ISS)でどのように使われているのでしょうか。

森野氏:宇宙飛行士は微小重力環境で生活しているので、筋力低下を防ぐため、1日2時間半のトレーニングをしなければなりません。当然汗をかきますが、地上と違って水が貴重なので、シャワーを浴びることができません。

これまで、宇宙飛行士の方々は赤ちゃん用の「おしりふき」で身体をふいていたそうですが、現在は「ギャツビー スペースシャワーペーパー」を運動後の汗ふきや入浴がわりに使っていただいています。

  • マンダム フロンティア開発研究室 主任 森野氏

――パッケージデザインについて、特徴やこだわった点をお聞かせください。

森野氏:宇宙プロダクトデザイナーのチームに依頼して、頭皮用と身体用、2種類のデザインを制作しました。マンダムのロゴマークが使用する部位を表していて、ロゴが頭にあるものは頭皮用、ロゴが身体にあるものは身体用と、直感的に認識できるようにしています。

また、無重力空間のISS内では小さなものを紛失することも多いため、パッケージ裏面に面ファスナーを付けられるようにしました。おしゃれなだけではなく、視認性や機能性も担保して、ミッション以外でなるべく頭を使わなくて済むことを意識したデザインになっています。

  • ギャツビー スペースシャワーペーパー頭皮用/ボディ用各10枚入

■“お風呂上がりの気持ちいい感覚”を宇宙で再現

――「ギャツビー スペースシャワーペーパー」の特徴を教えてください。

齋藤氏:「ギャツビー スペースシャワーペーパー」には、当社独自の「Kai-tech技術」を応用した「Kai-tech Zero G技術」を搭載しました。Kai-tech技術は、肌の感覚センサーである「TRPチャネル」の研究から生まれたもので、「心地よい冷たさ」が得られる使用感を実現しています。

従来のボディペーパーには清涼感が得られるエタノールが含まれているのが当たり前でしたが、ISSはエタノールを使った製品の持ち込みができません。そこで今回は、エタノールを使うことなく心地よいクール感を付与できる技術を開発しました。

「心地よいクール感」については、マンダム本社内の試験室をISS同様の温度・湿度に設定して評価を行いました。実際にエルゴメーターで運動して汗をかいた状態で、さまざまなクール成分の配合量や組み合わせを検証し、一番心地よく感じられる処方を選定しました。。

志水氏:目指したのは、“お風呂上がりの気持ちいい感覚”です。お風呂上りに縁側で夕涼みをしているような感覚を宇宙でも再現したかったんです。

そのため、当社従来品は清涼感が一気に立ち上がる設計になっていますが、「ギャツビー スペースシャワーペーパー」は、お風呂上りの心地よい感覚をイメージして、徐々に気持ちよさが高まる設計にしています。

当社従来品と比べ、2倍近い液量の「ひたひた感」もお風呂上がりのような気持ちよさに寄与しています。特に頭皮を拭くには髪が邪魔をするためたくさんの液量が必要なので、若田宇宙飛行士の声も聞きながら、マンダム史上最大の液量を充填しました。それによって、シャワーを浴びたようなさっぱり感を実現しています。

  • マンダム フロンティア開発研究室 主任 齋藤氏

■最大の難関は「エタノールを使わないこと」

――「ギャツビー スペースシャワーペーパー」を製品化する上で、苦労したことはありますか?

森野氏:一番大変だったのは、エタノールが使えないことでした。エタノールには揮発することで清涼感を与える機能がありますし、防腐効果もあるので、従来のボディペーパーはエタノールの使用が当たり前でした。

ところが、エタノールをはじめとする水溶性揮発性成分は、環境制御・生命維持システムECLSSに悪影響を及ぼすため、ISSに持ち込むことができません。エタノールを使うことなく、いかに清涼感と防腐性を担保するかが一番の課題でした。

実は、ペーパー製品は手指からの二次汚染リスクがあるため、アルコールを使わずに防腐性を担保するのは結構難しいんです。さまざまな防腐の組み合わせ、かけ合わせ、配合量をしらみつぶしに検証して、なんとか開発スケジュールに間に合わせることができました。

■極限環境での困りごとは近未来の社会課題

――最後に、マンダム様の技術をもって貢献していきたい領域など、今後のビジョンをお聞かせください。

志水氏:今回、宇宙向けの製品開発に取り組んで気づいたのは、宇宙のような極限環境でのお困りごとは、近い将来、地上で私たちが遭遇するお困りごとに近いのではないかということです。

宇宙飛行士は家族から遠く離れた宇宙で、人工物に囲まれ、自然からも隔絶された環境で生活しています。水が思うように使えないなど、リソースの制約や身体活動の制限も多々あり、選ばれた宇宙飛行士といえども、心身に大きな負担がかかる環境です。

一方、地上での生活に目を向けると、同じようなお困りごとは日常的には起こらないかもしれませんが、コロナ禍で思うように人と会えなくなったり、災害で断水が起こったりと、宇宙飛行士が体験しているようなお困りごとが一気に表出することがあります。

実は、私たちが近未来に直面するであろう社会課題に近い状態が宇宙で起きているのです。 だからこそ、「ギャツビー スペースシャワーペーパー」の開発を通して得られた技術や知見は、地上での展開にも応用できると考えています。

アルコールフリーのボディペーパーは、肌が敏感な方や乳幼児、高齢者はもちろん、アルコール忌避文化のあるイスラム教徒の方々にも安心して使っていただけます。また、介護現場や災害の現場などで、お風呂がわりに使っていただくことも想定しています。

今後、宇宙のような極限環境での課題を解決する技術を地上の社会課題の解決にもつなげていきたいです。目下、さまざまな分野でソーシャルグッドな製品の開発につながる研究を進めているところで、できるだけ早く生活者に新しい技術をお届けできればと思っています。