お岩さんといえば、歌舞伎の演目でもおなじみの幽霊。実はお岩さんとその夫は、実在した夫婦をモデルにしているといわれています。

また、よく混同される幽霊に「皿屋敷」のお菊さんがいます。皿を数えるのはどっちだろうと、混乱してしまう人もいるのでは?

今回はお岩さんが登場する歌舞伎『東海道四谷怪談』のあらすじやお岩さんの本当の姿、ゆかりの地、お菊さんとの違いなどをわかりやすく紹介します。

  • お岩さんとはどんな人だったのかについて迫ります

    お岩さんとはどんな人だったのかについて迫ります

お岩さんとは

お岩さんといえば、歌舞伎の演目『東海道四谷怪談』を思い出す人も多いのではないでしょうか。恨みを抱いて祟(たた)る幽霊、というイメージが強いお岩さんですが、この『東海道四谷怪談』とはどんな物語なのでしょうか。

まずは『東海道四谷怪談』の成り立ちやそのあらすじ、もとになったといわれるもう一つの幽霊話を見てみましょう。

お岩さんは鶴屋南北作『東海道四谷怪談』で有名

4世鶴屋南北作『東海道四谷怪談』、通称「四谷怪談」は、江戸時代末期である1825年(文政8年)初演の歌舞伎の演目です。お岩さんが鉄漿(おはぐろ)を付け、髪をとかして恐ろしい姿に変わる「髪梳き(かみすき)」のシーンや、お岩さんと後述する小平の早替わりが見せ場の「戸板返し(といたがえし)」をはじめとした大掛かりな仕掛けがよく知られています。

男女の愛憎渦巻く怪談劇として有名な『東海道四谷怪談』ですが、実はもともと『忠臣蔵』の外伝として描かれた脚本でした。

忠臣蔵は、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)率いる赤穂義士が主君の仇討ち(あだうち)をする物語です。『忠臣蔵』の世界観の中で、『東海道四谷怪談』では、お岩の父親の四谷左門(よつやさもん)や夫の民谷伊右衛門(たみやいえもん)が、塩冶(えんや)家の浪人として描かれます。

『東海道四谷怪談』は忠義を果たす赤穂義士と、悪事の末に破滅する伊右衛門の姿を対比させた、パロディー作品として人気を集めたのです。

『東海道四谷怪談』のあらすじ

『東海道四谷怪談』のストーリーは、演出によって多少異なります。ここでは一般的な物語の流れを紹介します。

かつて塩冶の武士であり浪人となった四谷左門には、お岩とお袖という2人の娘がいました。お岩は民谷伊右衛門と、お袖は佐藤与茂七と結ばれていました。

しかし伊右衛門は悪事を悟られたために左門を、そしてお袖に横恋慕していた直助は与茂七をそれぞれ殺害。そうとは知らないお岩とお袖は、伊右衛門と直助に、左門と与茂七の仇討ちを頼むのです。

さて、伊右衛門とお岩には男の子が生まれました。産後の肥立ちが悪く床に伏せがちなお岩に、伊右衛門は冷たく当たります。

一方、隣家の金持ちである伊藤喜兵衛(いとうきへい)の孫娘、お梅は、伊右衛門に恋心を抱いていました。そこで喜兵衛は「薬」と称した毒をお岩に宛てて届けます。毒によって顔が醜くただれたお岩。伊右衛門はお岩を裏切り、お梅との縁談を承諾します。

真相を知ったお岩は髪をとかし、鉄漿を塗って身支度を調え、伊藤家へ恨み事を言いに向かおうとしますが、それもかなわず命を落とします。伊右衛門は盗みの咎(とが)でとらえていた小仏小平を殺し、お岩の間男(まおとこ)に仕立てると、2人の遺体を戸板に打ち付けて川に流しました。

その後、伊右衛門の家には花嫁としてお梅がやってきます。しかしお岩の亡霊により、伊右衛門はお梅、そして喜兵衛を斬り殺してしまいました。

一方、かつての夫の仇討ちを約束してくれた直助と暮らすお袖のもとには、死んだと思っていた与茂七が現れます。直助が殺したのは、実は別人だったのです。与茂七と直助の板挟みになったお袖は2人の手にかかって死にます。さらにお袖が死に際に渡した出生の証しによって、お袖が実の妹と知った直助もその場で自害しました。

さて伊右衛門は母親の助けを借りて逃げていましたが、お岩の亡霊に悩まされています。ついに与茂七らに見つかった伊右衛門は最期を迎え、お岩の怨念が晴れることになるのでした。

お岩さんにまつわるもう一つの幽霊話『四谷雑談集』

鶴屋南北が『東海道四谷怪談』を書く際、参考にしたのではないかといわれるのが『四谷雑談集』という読み物です。

この話では、お岩は病気で醜くなった女性として描かれ、伊右衛門は半ばだまされて婿入りします。その後、伊右衛門は伊藤喜兵衛の愛人と恋仲になります。やがてお岩は伊右衛門と離縁しますが、全ては伊右衛門が再婚するために仕組んだ策略だったと、後から知ったお岩。伊右衛門はお岩に祟られ、最後はねずみが原因で命を落とします。

お岩さんはねずみ年だったそうですので、その祟り、ということなのでしょう。『東海道四谷怪談』でも、お岩さんが死んだ後に大きなねずみが赤ん坊を連れて行ってしまうなどの演出があります。

『東海道四谷怪談』のお岩さんは毒を盛られて顔が変わってしまいますが、『四谷雑談集』のお岩さんはもともと醜い女性として描かれているのが、大きな違いの一つといえるでしょう。

お岩さんは実在した? 今もゆかりの神社が残る

『東海道四谷怪談』『四谷雑談集』自体は創作ですが、お岩さんのモデルになった女性は存在するといわれています。実際のお岩さんとその夫は幸せな夫婦だったそうで、いまでもゆかりのある場所が残っています。

ここではお岩さんに関係のある神社やお寺を見ていきましょう。

四谷にある田宮稲荷神社跡

  • 田宮稲荷神社跡

    田宮稲荷神社跡

実在したお岩さんの父親、田宮又左衛門は幕府の御家人でした。そして伊右衛門という男が婿養子となります。お岩さんは、家に代々伝わる稲荷を熱心に信仰していました。

家計が苦しかったため、お岩さんは奉公に出て、田宮家の再興を成し遂げたそうです。それにあやかろうと参拝する人たちのためにできたのが於岩稲荷でした。

於岩稲荷は「お岩さんの稲荷」として人々の信仰を集め、1872年(明治5年)ごろには「田宮稲荷」と改められました。その後、稲荷社は火事で消失するも、戦後再建されました。東京都指定旧跡にも指定されています。

なおこのお岩さんが亡くなったといわれているのが寛永13年、つまり西暦1636年です。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の初演が1825年ですから、「お岩さんの稲荷」の方が200年近く歴史が長いということですね。

「縁切り」と「縁結び」のご利益があるとされる於岩稲荷陽運寺

  • 於岩稲荷陽運寺

    於岩稲荷陽運寺

もう一つ、お岩さんゆかりの場所として有名なのが、同じく四谷にある於岩稲荷陽運寺です。『東海道四谷怪談』が上演される際には、歌舞伎役者や関係者がよく参拝に訪れるそうです。

またこのお寺には悪縁を断ち切り、そして縁結びのご利益があるといわれ、歌舞伎関係者以外にも多くの参拝者が訪れるそうです。

於岩稲荷陽運寺の本堂にはお岩さんの木像が安置され、境内にはお岩さんゆかりの井戸もあります。

お岩さんの祟りの正体とは?

前述のように、実際のお岩さんは献身的な妻であり、伊右衛門とは仲睦まじい夫婦であったと伝えられています。しかし『東海道四谷怪談』を演じると祟りが起きる、ともいわれます。これはどうしてなのでしょうか。

『東海道四谷怪談』は「戸板返し」「提灯(ちょうちん)ぬけ」「仏壇返し」など、大掛かりな仕掛けが特徴の演目です。

本物の火を使うこともあり、時には役者が危ない目に遭うこともあったでしょう。特に江戸時代には電気もありませんから、暗い中で現代よりけがをしやすかった、という事情もあったのかもしれません。

そのような出来事が、お岩さんの怨霊、祟りの仕業といわれた可能性が考えられるかもしれません。

お岩さんの目の腫れの原因は、毒ではなく帯状疱疹?

お岩さんが飲まされたのは、トリカブトの毒ではないかという説があります。しかしトリカブトには、嘔吐や呼吸困難、不整脈の他、顔面神経麻痺を引き起こす作用があるものの、顔が腫れあがるという作用はありません。

そこで、醜い姿になったお岩さんの顔は、帯状疱疹(たいじょうほうしん)の症状をもとに創作されたのではという考えもあるそうです。帯状疱疹とはヘルペスの一種であるウイルスによるもので、体に水痘が出現します。一度水痘が治っても、ウイルスは神経の中に潜んでいます。そして疲労や病などをきっかけにウイルスが増殖し、帯状疱疹を発症します。

お岩さんのように、まぶたや額は特に疱疹で腫れやすいのだそうです。トリカブトなどの毒により体が弱って、潜んでいたこのウイルスが増殖したと考えることもできるかもしれません。

『四谷雑談集』でも、お岩さんは病気がもとで顔が醜く変化したという設定です。こちらの場合は、誰が悪いわけでもないというのが、余計に恐ろしいですね。

お岩さんとお菊さん

お岩さんと同じくらい有名な幽霊に、お菊さんがいます。「1枚…、2枚…」と皿を数える姿は落語でも有名です。

お菊さんとお岩さん。混同してしまうことも多い、この2人の幽霊の相違点をまとめました。

皿を数える菊さんとは

お菊さんはもともと江戸時代に広まったうわさ話に登場し、作品としては浄瑠璃の『播州(ばんしゅう)皿屋敷』や岡本綺堂の歌舞伎脚本『番町皿屋敷』などが有名です。

諸説あるものの一般的なのは、下女であるお菊さんが、主人が大切にしていた10枚揃いの皿のうち1枚を割ってしまい、そのために井戸に身を投げたり、惨殺されて井戸に捨てられたりというストーリーです。その後、井戸からはお菊さんが皿を数える悲しげな声が毎晩聞こえるようになり、屋敷の者が悩まされるというお話です。

なお落語では、さらにその評判を聞きつけた野次馬(やじうま)たちが連日お菊さんの井戸にやってくる、という展開になります。ある日、18枚目まで皿を数えたお菊さんに野次馬が文句を言うと、お菊さんは「二日分数えて明日は休むんだ」と答えた、というオチです。

お岩さんとお菊さんの相違点

ストーリーの中では、お岩さんもお菊さんも幽霊となり、恨みや悲しみで相手を悩ませます。しかしそのタイプは、ずいぶん違うようにも見えます。

夫を恨んで祟るお岩さんと、嘆き悲しむことで周りの人を病ませるお菊さん。見た目のインパクトもあって、お岩さんのほうがアグレッシブな印象ですね。お菊さんの方はこちらが切なくなるような、悲しみを前面に出すタイプの幽霊にも思えます。

しかしどちらも、弱い立場に置かれた女性が苦悩する展開が共通しているといえるでしょう。

お岩さんは物語の中で幽霊になった

実在の人をモデルに、エンターテインメントとして楽しめる物語を作るのはよくあることです。

歌舞伎や小説で描かれたお岩さんは、実在の人物から離れ、おそろしい幽霊として独立しました。言い換えれば、それはストーリーの作者や役者の努力の賜物(たまもの)です。

怪談として人々を震え上がらせ、楽しませてきたお岩さんのお話は、日本の代表的な幽霊話の一つとして、今後も語り継がれることでしょう。