タイトルバックの海のところに「徳川慶喜 草なぎ剛」と出ることが一番しっくり来る。大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)第38回「栄一の嫡男」(脚本:大森美香 演出:渡辺哲也)は久しぶりに徳川慶喜(草なぎ剛)にフォーカスが当たった。栄一(吉沢亮)が慶喜の功績を残したいと伝記を作ろうと思い立つ。ひたむきに良き未来に向かって前進し続けてきた栄一だったが、第38回では「過去」を重視した。

  • 『青天を衝け』渋沢栄一役の吉沢亮(右)と徳川慶喜役の草なぎ剛

明治22年、東京開市300年を栄一たち旧幕臣たちが開催。「快なり」「徳川万歳」と乾杯する栄一たち。井伊直弼(岸谷五朗)、小栗忠順(武田真治)、徳川斉昭(竹中直人)などのことを思い出し、彼らの偉業を讃える一同。この頃、世間は若干江戸回顧ブームだったようだが、肝心の最後の将軍・徳川慶喜は汚名を被ったまま引きこもり、写真や絵など趣味をやって過ごしている。

慶喜が長らく共に歩んできた美賀子(川栄李奈)は病で臥せっていた。見舞いに来たやす(木村佳乃)に美賀子は「渋沢を見出したのは平岡の慧眼であった」と言う。慶喜も亡き平岡の功績を忘れてはいない。

栄一も、自分が多くの産業や教育や福祉施設に関わり誰もが一目置く人間になったのは、平岡や慶喜のおかげであることを決して忘れてない。

栄一はやすに、彼女の亡き夫・平岡がいたら慶喜とおかしれえ日本を作ったことだろうと言い、やすは「忘れないでいてくれてありがとう」と深く感謝する。

誰かが覚えてさえいればその人は消えることがない。だからこそ栄一は過去を過去にしてはならないと熱弁する。

「俺が気に入らぬのは、御膳様(慶喜のこと)が幕府の終わりになさった数々のご偉業までまるでなかったことのように消され押し込められ、そこに別の輩がどんどんと現れて、おのれこそが日本を作ったような顔をしていることだ」

慶喜が流れを変えた人物であることは間違いないと仲間も同調する。

「俺たちはそれを…忘れさせてはならねぇ」と強く言う栄一はとことん誠実だ。やっぱり『論語』を大事にしているだけはある。『青天を衝け』の渋沢栄一はひたすら誠実である。こうして慶喜を約30年ぶりに東京に戻し、伝記を残したいと持ちかける。

ほかにも水道管を日本製より安全な外国製のものを使うと栄一は主張。理由は「俺は水を清潔にしたかっただけだ」「過去の過ちは忘れてはならない」ということ。そのせいで命を狙われることになるが、栄一は命がけで民の健康を守ろうとしている。コレラで多くの人が亡くなったなかに千代(橋本愛)もいたことが無念でならないのだろう。良き未来のためにも「過去」のいいところも悪いところも正しく把握して参考にしていく知性を栄一は持っている。

栄一の千代愛の深さはこの数回、とても丁寧に描かれてきた。第38回では慶喜の美賀子愛も深く描かれた。『青天を衝け』では女性を大切に描いている。

乳がんになった彼女に対する慈愛の表情。亡くなったとき、暗室で彼女の写真を焼いている表情は平岡や栄一に対するものとはまた違う特別な表情だった。共に歩んできた夫婦にしかわからない表情だなと感じた。

慶喜の年老いて穏やかに暮らしている表情と、現役でギラギラしている栄一の差は、生きる環境の違いを如実に表している。慶喜は1837年生まれで栄一は1840年生まれ。3歳しか違わないからびっくりする。想像を絶する苦労の末、引退している慶喜と、たくさんの人に助けられて生きながらえまだこれからの栄一とではこんなにも見た目も変わるのだという差異が鮮やかだ。とりわけ慶喜が人間の絵を描かず風景ばかり描いているところには深い孤独が感じられた。

日清戦争が終わった明治28年、内閣総理大臣・伊藤博文(山崎育三郎)と話しているとき、戦争中寝込んでいて「すっかり年寄りだ」と言っているが……。このとき明治28年。明治13年(1885年)の時点で栄一は45歳だったから60歳。「年を取ってる場合じゃない」と伊藤に発破をかけられるように、栄一はまだまだ精力的に活躍しないとならないのだ。ちなみに伊藤博文は1841年生まれ。栄一よりも若かった。将軍や総理大臣の苦労ははかりしれない。

さて、第38回のサブタイトルは「栄一の嫡男」で次世代の人物・篤二(泉澤祐希)のことも描かれた。栄一の跡継ぎとして期待されながら放蕩三昧で渋沢家では困った存在になっている。見かねたてい(藤野涼子)が血洗島に連れ帰り、そこで祭りに参加したときは一瞬、笑顔になるが……。なぜ彼がこんなふうになったかは、多忙過ぎる栄一と過ごした時間が少なかったからで、彼もまた深い孤独に陥っている。だからなのか、慶喜に会う機会に恵まれたとき、慶喜の写真機や絵画など文化の香りに興味を持っているような顔をする。栄一のような実業に向かない人もいるのだ。慶喜もそうだったのだろう。

日清戦争で日本が勝って勇ましい歌を国民が歌っているとき、篤二は恋を題材にした端唄(「水の出花」)を口ずさんでいるのも印象的だった。

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