「だるま」と聞くと、赤く丸いフォルムに、ぎょろりとした目と力強いまゆげが印象的な顔立ちを思い浮かべますよね。転がっても起き上がる様から、日本ではだるまを正月に飾るなど、縁起物としても親しまれています。

そんな私たちが想像するだるまとはうってかわって、かわいらしい笑みをした「姫だるま」に大分県・竹田市で出会いました。この記事では、予約しても届くのは数年後という大人気の「姫だるま」についてご紹介します。

  • 大分・竹田市の伝統工芸「姫だるま」とは

「姫だるま」の歴史とは

「姫だるま」のルーツは、旧岡藩時代に城下町で下級武士の内職として作られていた、縁起物の女だるま「起き上がり」と呼ばれていたもので、起き上がりのモデルになったのは、下級武士の妻・綾女(あやじょ)さんだと言われています。

綾女さんは、慎ましい暮らしの中で、七転び八起きしながらも家族を支え、絆を深め、夫を出世に導いたそう。その「起き上がり」を竹田市では、家内安全・商売繁盛を招く縁起物として、正月2日の早朝に各家に投げ込んで福を呼ぶ「投げ込み」という風習とともに受け継いでいきました。とはいえ時代の変化や戦争の影響を受け、だるまを作る人は減少していったそうです。

そんな中、戦後の昭和27年(1952)、初代・恒人さんが1枚の皿に描かれていただるまの絵を見て「起き上がり」を思い出します。そして、「倒れても倒れても何度も起き上がるこのだるまの姿こそ、戦後復興の人々の心に必要ではないか……」と、「起き上がり」の再興を決意。古い家にあったものを参考にだるま作りを再開します。そして昭和31年、「姫だるま」と命名していまに至るそうです。

  • 姫だるまの歴史を語ってくれた3代目・久美子さん

300年以上守り続けられた材料や工程に驚愕

さまざまな人の想いと共に受け継がれてきた姫だるまは、2代目である明子さんを中心に、いまもご家族で作られています。筆者が竹田市にある姫だるまの工房を訪れて驚いたのは、起き上がりの時代から300年以上たついまも、作る工程が変わっていないということ。木型作りから下張り、起き上がり細工、絵付けに至るまで実に16もの工程があるそうです。

特に、姫だるまの命である白肌の柔らかな光は胡粉でしか絶対に出せないそう。泥絵の具をはじめ、江戸時代から変わらぬ材料を使い、季節やその日の天候にあわせて乾き具合なども調節するため、サイズに関わらず1体できるまでに1週間はかかるといいます。

  • 工程ごとに分けて棚にきれいに陳列されている姫だるま

明子さんに、姫だるまの顔を描くときはどういうことを思っているの尋ねると、「誰が見ても幸せな顔だと思うように描いています。姫だるまを見て幸せになってほしいです。置いていたら和やかな、そして華やかな雰囲気になるようにと思って描いています」と言います。また、「そのためには自分も幸せでいないといけないよね」と笑顔で話してくれました。

  • みんなの幸せを願い姫だるまの微笑む顔を描く2代目・明子さん

予約は数年待ちだけど運が良ければ買えるかも?

一つひとつ丁寧に想いを込めて作られているからこそ、姫だるまには人を引き付ける不思議な魅力があるのかもしれません。実際、工房をお邪魔しても、3代目の久美子さんとともにアットホームな空間は都会の喧騒にもまれ生活する筆者に時間を忘れさせ、日本の伝統文化の良さを感じさせてくれました。

  • 竹田市の伝統工芸として姫だるまを守り続けたい

また、姫だるまに描かれている、松・竹・梅の模様には「家族円満」の、そして玉ねぎのような形が印象的な「宝珠」には、厄除けや子孫繁栄の意味があります。そのため縁起物として家に置いておきたい、誰かにプレゼントしたいという方も多く、現在予約は数年待ち。

ネット販売はしておらず、基本的には電話でのみの販売となりますが、工房に直接来て運が良ければ買える場合もあるそうです。ただし、完成した姫だるまがあるのか、またあっても希望のサイズがあるかは分からないので、どうしても欲しいという方は訪れる前に電話をしてみるのが安心でしょう。

このほかにも、お土産にぴったりな姫だるまが描かれた手ぬぐいやメッセージカードもあるので要チェックです。ちなみに、筆者は姫だるまが幸せを運んできてくれることを願って、待ち受け画面にさせてもらいました。

  • 筆者にも幸せがおとずれますように