「7回読み勉強法」の提案者としても知られ、最近では、ハーバード・ロー・スクールで学んだ「家族法」をベースにしたしたエッセイ『「ふつうの家族」にさようなら』が話題の山口真由さん。
「これまでは自分のための目標を設定し、それを達成していく勉強を続けてきた」そうですが、これからの時代は「社会のためになにができるだろうか?」という視点を持つことが重要だと提案します。「学びのプロ」である同氏が思う、パンデミック後における学びとは——。
■社会につながるための学び
「人というものは、社会とのつながりを絶たれて生きていくのは難しいのだな」。 パンデミックによって大きく変化した社会のなかで、わたしが最初に思ったことです。
多くの人はこれまで社会と積極的にかかわることで生きてきたわけですから、ステイホームのあいだも、「なにか自分の力を使って人の役に立つことをしたい」と感じた人は多かったのではないでしょうか。
その意味で、わたしは社会につながるための「社会のための学び」という視点が、これからの学習者にとって大切なものになるのではないかと考えています。もちろん、他人よりも先に進むための「自分のための学び」はなくならないし、わたしもこれまで、まず自分のために目標を設定し、それを達成していくかたちの勉強をずっと続けてきました。
でも、これからの時代はそれだけでなく、「社会のためになにができるだろうか?」と考える視点や、社会に対するある種の義務感のようなものが、学習者の大きなモチベーションのひとつになると予感しています。
人間にとって勉強はとても大切なものだけれど、基本的にはまず生活が先にあり、勉強はそのあとにくるものだとわたしはとらえています。そのため、いまの困難な状況下であなたがもし「なにかを新たに学び直そう」と思えているとすれば、それだけ生活に余裕のある証かもしれません。
ある意味、社会的に恵まれている人だと思うのです。
なにか勉強したいと思える人たちは、まず「自分のための学び」を探しつつ、同時に「社会のための学び」という視点を、心のどこかに持ってほしいと思います。
混乱時になると、多くの人たちがひとりよがりな言動に走りがちですが、そうした状況でこそ、「社会のための学び」はとても重要な視座と幅広い価値観を提供してくれるはずだと考えています。
■自分に都合の悪い意見に耐えるのが知性
同時に、わたしはいまほど多くの人に「自分の頭で考えること」が求められている時代はないと感じています。
先に書いたように、社会を意識して学ぶとなると、やはり自分とは異なる意見に触れたときに、感情にまかせて反論や対立をするのではなく、「なぜ相手はこう考えるのだろう?」と、自分で問いを深めていく姿勢が必要です。
自分にとって都合の悪い意見や、もっといえば自分が嫌悪感すら抱くような考え方こそ、それに耐えて自らに問いかけてみる—— 。
わたしはこれこそが知的体力であり、知性だと考えています。自らの嫌悪感のままに、「あの人はダメだ」「あの国は嫌い」と主張するのは、一般的にいっても、知性がない態度だといわざるを得ません。
わかりやすい例を挙げます。たとえば日本では、著名人の不倫がいとも簡単にバッシングの対象になります。このとき、自分も「不倫はやっぱり許せない」と感じたとして、そんな自分の感情を理性で制御するのが大切だということです。
そこでまず、「そもそも不倫ってどんな行為だっけ?」と自分に問いかけることからはじめて、自分の心がなぜこんなに騒ぐのか、その真因を論理的に探っていくことが必要です。そうすると、日本では民法770条に、離婚の原因として「配偶者の不貞な行為」などが挙げられており、夫婦は互いに貞操義務を負うとされていることがわかります。
不貞をはたらいた配偶者に対し、「その約束を破ったから」損害賠償請求ができるわけです。しかし、不倫相手である第三者とは、そもそもなんの約束も交わしていません。いったいどんな法的根拠で不倫相手に謝罪を求め、損害賠償請求を主張するのかは、より複雑で難しい面があると予想できるわけです。
このように、ものごとを客観的な視点で冷静に考えていくと、思考が広がって興味深い面が現れてきます。こうして自分の感情を相対化し、自分の価値観の幅や行動の選択肢を広げていくこと。わたしは、これが知性の働きだと考えています。
とくにいまの時代は、あふれんばかりの情報を、階層別に整理する力が求められています。この階層を、わたしは「マクロ(巨大)な情報」「ミクロ(微細)な情報」「オピニオン(意見)」の3段階でとらえていますが、いまの世の中には、マクロな情報を飛ばして、ミクロな情報からいきなりオピニオンにつなげる行為がとても多いと感じます。
簡単にいえば、個別の事例だけをあげつらい、いきなり「だから不倫は許せない」「だから自粛はあり得ない」というオピニオンになって、マクロな情報が無視されがちなのです。
でも、本来はマクロな情報として、背景知識やデータ(ファクト)や本質的な知見など、その問題を考えるための重要な手がかりがあるわけです。それをすっ飛ばして、「人の命は地球より重い」などと理想をかざしても、それは極端な意見になってしまいます。
いまはなにが正解なのかよくわからない事象が、世界中で日々起きているような状況です。でも、こうした時代にこそわたしたちには、まず自分で情報の階層整理をし、意識的にマクロな情報を補いながら(学びながら)、身勝手なオピニオンに走らないようにする姿勢が求められているのではないでしょうか。
■学びは巨大な思考実験の場
わたしは学びというものを、世の中がタブーとしてきたものごとに、果敢に挑戦していく営みととらえています。
「表現の自由」の大切さを示す言葉に「the right to think the unthinkable, discuss the unmentionable, and challenge the unchallengeable(思いもよらなかったことを考え、口に出すのがはばかられることを論じ、議論の余地がないといわれてきたことに挑戦する権利)」というものがありますが、わたしは、これこそが学びの本質だと考えています。
だからこそ、自分にとっての学びは面白くもあり、一方でまわりからの感情的な反発を招くものでもあり得るのです。
それでもわたしは、本来的に学びを、巨大な思考実験の場だと考えています。たとえば、現実の社会では当然人を殺してはいけませんが、学びの場では、連続殺人犯の心理をとことん研究してもいいわけです。
学びにタブーはないと考え、あらゆるケースを想像し、検討し、実証する。思考実験を繰り返し続けていくのが、学びの本来のあり方だろうと思います。
どんな人にも、社会に対して漠然と感じている不安や不満、「こんなこというべきじゃないんだろうな」と思っていることはあるでしょう。そんなタブーを一切取り払って、自由な思考実験が許されているのが、学びという場所です。社会とは切り離された自由な場所で、繰り返し考え続けられるなんて、これほど面白いことはありません。
人は現実に生きている限り、どうしても「正解とされること」にとらわれる存在です。だからこそ、そこから解き放たれる仮想空間を自分のなかに持っておくことは、これからのいわゆる「正解が見えない」時代にとても有用だといえるでしょう。
もっといえば、学びに対する熱意を共有できる仲間をつくり、自由に思考実験をしながら、「他人の思考を批判しても、他人の人格は批判しない」訓練をしておくのも、とても大事な姿勢だと思います。
■学びは自分が向かうべき場所へつながる
わたしたちは、学ぶことでどんな地点にたどり着くのでしょうか? いわゆる「勉強」の場合、受験や資格取得など目指すべきゴールは明確です。一方、自分のための「学び」は、ゴールを自分でつくる作業です。言い換えれば、自分が向かうべき場所を自分で設定し、社会のなかに自分の場所をつくることでもあります。
たとえば、世の中で正論とされていたり流行っていたりする考え方があったとして、それを直感的に「変だな」と感じたならば、まさに学びどころです。それについて学べば学ぶほど、アクセスできる知識(情報)が増えていき、疑う範囲もさらに広くなっていきます。
そうして勉強を続けていくと、正論には正論なりの合理性があることも理解できるようになります。
自分が最初に感じた直感を胸に秘めながら、その直感を信じつつも相対化していく。この姿勢が、これからの学びにはますます大切になるでしょう。
そのうえで、それでも感情的に受け入れがたいことが残るとします。そんなときこそ、「なにか理由があるのではないか?」と、さらにもう一歩考えを深めるのです。そのように学びをとことん深めていけば、あるとき突然、啓示のように真実を悟る瞬間がくるかもしれません。
その意味で、本質的に学びとは自分の内側に降りていく作業だと思っています。最初の直感を率直に認め、異なる意見を「だから嫌い」「だから許せない」と拒絶するのではなく、「ちょっと待てよ」と立ち止まる。「わたしはなぜこんなに感情的に揺り動かされたんだ?」と、客観的に思考する。
自分の感情すらも相対化するほどの厳しい目で問題やテーマを探っていく。そして、それでも最後に残る自分の真実はなにかを問う。学びは、まさに自分の核に近づくための作業なのかもしれません。
そうして自分の内側の奥深くへ降りていったとき、そこが突然、社会につながっているかもしれません。
「どうしても許せない」という思いは、自分のバイアスであると同時に、社会そのものが持つバイアスなのかもしれないと気づく——そんな見晴らしのいい場所に降り立ったとき、あなたの「自分のための学び」が、ようやく「社会のための学び」へとつながっていくのだと思います。
※今コラムは、『人生の武器になる「超」勉強力』(プレジデント社)より抜粋し構成したものです。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 写真/榎本壯三