アスリートはどこかで「引退」を考える必要がある。最近では柔道の松本薫選手、サッカーの川口能活選手などが記憶に新しい。しかし、それで終わりではない。アストリートにとっては、引退後の「セカンドキャリア」も深刻な問題である。

3度のオリンピックに出場し、引退後は起業家として活躍しながら、アスリートのセカンドキャリア支援も行っている為末大(ためすえ・だい)氏に、アスリートの「セカンドキャリア」のつくり方について伺った。

  • Deportare Partners 代表・コンセプター 為末 大(ためすえ・だい)氏(写真:マイナビニュース)

    Deportare Partners 代表・コンセプター 為末 大(ためすえ・だい)氏

アイデンティティの問題

アスリートは引退後、新しいキャリア(セカンドキャリア)を築くのが難しいといわれている。1つは経済的な問題で、アマチュア選手の場合、経済的にも余裕がないので、すぐに働きに出るものの、自分の能力不足や社会的知識のなさに行き詰まり、苦労するそうだ。そしてもう1つがアイデンティティの問題だと為末氏は言う。

為末「人生のほとんどを競技に費やしてきたため、『選手でなくなること』の喪失感はすごく大きいですね。引退後の心理状態は、医師が配偶者をなくした患者に説明する『悲しみを受け入れるプロセス』によく似ていますね」。

これは、「混乱(自分の状況を受け入れられない)」から「怒り(なぜ自分だけがこんな目に遭うのか憤る)」そして「自責感」を経て、「受容」へ進む心理的プロセスを指し、為末氏によると、この状況をなかなか受け入れらないアスリートもいるそうだ。

為末「アスリートは競技でしか『輝く自分』を表現できないと思っています。そのため、競技に執着して、辞め時を見失うこともある。アスリートの引退は、キャリアの問題ではなく、アイデンティティの問題なのです」。

友人の8割以上が競技関係者だと難しい

しかし、そのような状況の中でも、セカンドキャリアをうまくつくれる人がいる。そのポイントは「競技と関係のない人とのつながりの多さ」だそうだ。

為末「連絡できる友人の8~9割が競技関係者だったら、大体セカンドキャリアの構築に苦しみます。もし5割以上が競技と関係ない知り合いがいれば、案外うまくいきます。つまり、競技の外の社会とどれだけ接点があるかということです。

引退後、意識を次のキャリアに切り替えるのは、本人がその気にならないとなかなかできないもの。そして、本人がその気になれるかどうかは、外部の情報が入ってきやすい環境があるかどうかで決まります。その意味で、半数以上の競技外(外部)の人とのつながりがあると、ハッと我に返りやすい状況になるでしょう」。

外のつながりには、「セカンドキャリアについて気軽に話ができること」「外の話を聞き、客観的な意見をもらえること」の2つの役割があるそうだ。

仕事一筋でやってきたサラリーマン

話を聞いていると、競技に人生を捧げたアストリートのセカンドキャリアは、仕事一筋にやってきた団塊世代サラリーマンの定年後のようだ。会社以外につながりがなく、趣味もなく、好きなものもわからない。残りの人生、いったい何をすればいいのか、全く見えないケースが多いと聞く。

為末「人生のかなりの割合を一つのコミュニティで限られた人たちと過ごし、それが一定の年数を経てキャリアをストップ(引退)したときに起きる心理的な苦しさや課題は似ていると思います」。

  • 「昭和のサラリーマンとアスリートのセカンドキャリア問題は酷似している」と言う為末氏

    「昭和のサラリーマンとアスリートのセカンドキャリア問題は酷似している」と言う為末氏

たくさんのロールモデルをみること

アスリートがセカンドキャリアをつくる際に必要なことはなんだろうか? 改めて聞いてみた。

為末「ポイントは2つあります。1つ目は、先に話した『競技以外の人と接点をもつこと』です。親友までいかなくても、何回か会ったことがあるといったゆるやかなつながりでいいので、増やしていくことです。

もう1つは、いろんな『ロールモデルを見ること』。昔であれば、タレントをやるか、解説者になるか、ロールモデルは数えるほどしかなかったと思いますが、最近では、働き方も多彩になり、起業家になるアスリートなども増えています。

指導者や学校の先生は、『今しかできないことだから最後まで頑張れ』と励ましますが、引退後のことまでは教えてくれません。しかし、引退して『もっと早くにセカンドキャリアについて考えておきたかった』と後悔しているアスリートも少なくありません。

そうならないためにも、競技に集中しながらでいいので、1カ月のうち1日だけ外部の人との接点をつくってみるというのも、いいと思います。それだけでも十分インパクトのあるアクションですから」。

時代の変化の波にのり、新たなことにチャレンジ

為末「ただ長いスパンでみると、今後はますます日本の労働力が足りなくなるので、アスリートが引退後に働き手としてすぐに戦力になるように、セカンドキャリアの環境はますます手厚くなっていくと思います。

それともう1つは、『副業(パラレルキャリア)』です。企業で推進し始めているので、その流れがスポーツ界にも浸透してくるのではないでしょうか。パラレルキャリアのアスリートが出てくると、大きな変化が起こると思います」。

時代は変わりつつある。パラレルキャリアのように、今走っている人生(キャリア)の他に、もう1つを考えることで、将来のリスクヘッジにもなる。このことは、アストリートだけでなくビジネスパーソンにも当てはまるだろう。

取材協力


為末 大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。
スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2019年2月現在)。現在は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。主な著作に『走る哲学(扶桑社)』、『諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉(プレジデント社 )』など。