7年半ぶりに鹿島アントラーズへ復帰した内田篤人が、ピッチの内外で存在感を増している。実戦では右ひざの不安を感じさせることなく順調にプレー時間を延ばし、ピッチを離れれば右サイドバックを争うライバルでもある若手の伊東幸敏や安西幸輝へ、ヨーロッパの戦いで培った濃厚な経験を惜しげもなく伝授。全タイトル獲得へ自身の居場所を築き、同時にクラブの総合力をも高めていく。
■ピッチの内外で増している内田篤人の存在感
チームメイトは切磋琢磨しながらポジションを争うライバルであり、結束を誓い合うファミリーでもある。前身の住友金属工業蹴球団時代から、鹿島アントラーズには独自の伝統が受け継がれてきた。
時計の針を逆回転させていけばジーコに行き着く。日本リーグ2部を戦っていた住友金属工業蹴球団に加入した1991年5月から、ブラジル代表としても一時代を築きあげた稀代のスーパースターは、強豪クラブへ変貌を遂げるためのキーワードとして「ライバル」と「ファミリー」を掲げてきた。
ジーコが来日したとき、静岡県函南町で生まれ育っていた内田篤人は3歳になったばかり。神様ジーコの薫陶はもちろん受けていないが、伝承者である小笠原満男や曽ヶ端準、そして2006年オフに当時18歳だった内田に「2番」を託して退団した名良橋晃ら、レジェンドたちの背中を介して学んできた。
日本代表としても活躍した名良橋は35歳になる2006シーズンで、清水東高校から加入したルーキーの内田と右サイドバックのポジションを争った。そして、干支がひと回りした戌年の今シーズン、くしくも同じ図式がアントラーズの右サイドバックで描かれている。
年明け間もない先月2日に、ブンデスリーガ2部のウニオン・ベルリンから内田が7年半ぶりに復帰することが決まった。同じ右サイドバックには静岡学園高校から加入して7年目になる24歳の伊東幸敏と、年末に東京ヴェルディからの移籍が決まっていた22歳の安西幸輝がいる。
もう一人、昨年12月のJ1最終節で右ひざ内側側副じん帯を断裂する全治4カ月の大けがを負い、復帰へ向けて懸命なリハビリを積んでいる第一人者、30歳の西大伍もいる。Jリーグのなかで最もレギュラー争いが激しくなったポジションで、ピッチの内外で内田の存在感が増している。
■伊東幸敏「2、3年前の自分なら確実に逃げていた」
ケーズデンキスタジアムで3日に行われた、水戸ホーリーホックとの恒例のいばらきサッカーフェスティバル。先発した内田は復帰後では最長となる81分間プレーし、前半37分には小笠原の縦パスに抜け出し、相手ゴール前まで迫る果敢な攻撃参加も披露した。
「試合前からずっと『最終ラインの裏じゃなくて、相手キーパーのところまで斜め前に入っていくので見ていて』と(小笠原)満男さんに言っていたんですけど。ああやってボールが出てくるのは、やっぱりすごいなと思いましたよね」
古傷である右ひざの不安を感じさせない。ピッチの上で順調に感覚を取り戻している一方で、ヨーロッパで積み重ねてきた濃厚な経験を、ピッチから離れた場所で後輩たちに伝え始めてもいる。対象の一人である伊東は「自意識過剰かもしれないけど」と断りを入れながら、こんな言葉を紡いでいる。
「(内田)篤人さんの方からすすんで話しかけに来てくれている、というのを感じます。自分はちょっと人見知りする部分があるし、高校のときからずっと憧れてきた、目標というより雲の上にいるような、特別な思いを抱いてきた存在だったので、自分からは話かけづらいというのがあって」
同じ静岡県出身の内田の背中を、自然と追いかけ始めた。昨シーズンは24試合、1036分間とともに自己最多を記録し、クロスの精度を向上させた伊東が後半途中から投入され、攻撃力の高い西が一列前の右MFに移るパターンも確立された。そこへ実績をもつ内田が復帰した。
「2、3年前の自分だったら確実に逃げていたと思う。発表される前から篤人さんが移籍して来ることは何となくわかっていたけど、それでも引き続き鹿島でプレーしたいという思いは1ミリも変わらなかった。篤人さんという大きな壁ができましたけど、自分にとっては絶対にプラスになるはずなので」
■安西幸輝に伝授されたドイツにおける守り方
間近で見られる一挙手一投足を、かけられる言葉を糧にして成長する。伊東と同じ思いを抱く安西は、先月下旬まで行われた宮崎キャンプで勇気を振り絞って内田を直撃した。
「海外でどのようにして守備をしていたのかを知りたかった。前にいる味方の外国人選手を動かすのはすごく難しいはずなのに、篤人さんは本当に上手く使っていた。いいアドバイスをもらえましたし、自分のプレーにしっかり生かしていきたい」
安西は小学生からヴェルディひと筋で育った。右サイドバックが主戦場となったときから、伊東と同じく内田を理想としてきた。アントラーズでは攻撃力も買われて、中盤でも適性を試されている。
ホーリーホック戦では後半24分から右MFとして投入され、内田と縦関係を築いた。脳裏に浮かんだのは、キャンプ中に内田からもらったもうひとつのアドバイスだった。
「僕が右の中盤に入ったときは、後ろの篤人さんに僕の背中を見せながら、相手のパスコースを消すディフェンスをしてほしいと言われていたので。そこも上手くできました」
安西は右MFとして同点ゴールを決め、内田がベンチに下がった後は右サイドバックとして決勝ゴールをアシストした。躍動する安西に、内田も言葉を弾ませている。
「アイツは前のポジションでもできるし、ボールをもって突っかけることもできる。面白いんじゃないかな」
たとえるなら「内田教室」の門を叩いた安西を、内田はこんな言葉とともに歓迎している。
「いろいろと聞きにきてくれた方が、こっちも楽だから」
存在するすべてのタイトルを獲得するには、クラブ全体の総合力が問われてくる。だからこそ自らが存在感を放ってライバル関係を激化させ、ファミリーの一員として自身を脅かしかねない若手の成長も後押しする。3月27日に30歳になる内田の立ち居振る舞いには、アントラーズを常勝軍団たらしめる伝統が力強く脈打っている。