大好きな祖母との記憶

私はおばあちゃん子で、小さい頃は祖母が編んでくれたぬいぐるみで遊び、何十冊も用意してくれた絵本を読み聞かせしてもらいました。砂糖を使わず甘みをだしたカボチャから、おせち料理まで一通りそろえてくれた祖母。幼少期の私は手作りご飯を楽しみに「次はいつ、おばあちゃんちに行けるの? 」とせがんでは、次に会うのを楽しみにしていました。

その祖母と今の祖母のギャップを受け止められるほど強くなかった私。手術前も、無言で空を見つめているだけです。このまま数年も同じような祖母を見つめ続けなくてはいけないのか、そうして看取ることができたとして、祖母は幸せだったと言えるんだろうか。

この頃は、病院や老人ホームに通っても、泣きながら帰っていました。実質的な介護は病院や老人ホームに補助してもらえる恵まれた環境にいながらも、かつての祖母とのギャップを見続けるだけで参ってしまう。そんな自分への情けなさもあいまって、祖母へ会うのもつらい日々が続きました。

主治医が代わって認知症が消失!?

悲観的になっていた家族へ、転機は突然訪れました。主治医が変更になり、それまで飲んでいた睡眠薬の種類が変わりました。それから突然、妄想が無くなったのです。

その医師いわく「老人のうつは妄想も出ることがあり、認知症と誤診されやすい」とのことでした(「仮性認知症」と言うようです)。

薬を変えてからいきなり症状がよくなった祖母は、朗らかな笑顔で手芸教室へ通えるほど元気に。「卒業した後もちゃんとお勉強は続けているの? お勤めしているからって知性を投げ出さず、研究分野の新刊くらい読んだら刺激にもなるから楽しいわよ」と、私に優しく語りかける祖母は、幼少期の思い出の姿そのままです。

これはこれで、あまりのギャップに心がついていかない。でも、よかった。老人ホームからの帰り道、私はまた泣きました。

「認知症は原則として治らない」「徘徊、被害妄想、暴力行為……」とネガティブなことばかり伝えられることも多いものですが、認知症の疑いを通じて、うつの苦しみを推しはかるなど学びも多い期間でした。

今から振り返ると、ただ認知症と診断されただけの段階で絶望することはないと、当時の自分へ教えてあげたいと思います。そしてこの体験談が、少しでもお役に立てばうれしいです。

※本コラムは個人の体験や取材に基づくものであり、医療的な効果などを示唆・保証するものではありません
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著者プロフィール: トイアンナ

外資系企業で約4年勤務。キャリアの一環としての消費者インタビューや、独自取材から500名以上のヒアリングを重ねる。アラサー男女の生き方を考えるブログ「トイアンナのぐだぐだ」は月間50万ページビューを記録。現在もWebを中心に複数媒体でコラムを連載中。