グラスに「半分もある」と思うのか、「半分しかない」と思うのかは人によって異なる

天災などに遭遇したとき、「何とかなるのではないか」「自分だけは大丈夫」と感じた経験はないだろうか。私たちは異常事態を過小評価しようとする傾向があると心理学の世界では考えられているが、どうやらそれは間違いなのかもしれない。

海外のさまざまなニュースを紹介する「LiveScience」にこのほど、「楽観主義バイアスに対する疑問」に関するコラムが掲載された。

「人は、自分に悪いことが起こる確率は過小評価し、いいことが起こる確率を過大評価する傾向がある」と心理学者は長年考えてきた。しかし、最近の研究ではこの見解が正しくないのかもしれないということが明らかになった。

従来の見解として、異常事態をより楽観的に過小評価しようとする、いわゆる「楽観主義バイアス」があった。たとえば、ガンの発症というような悪い結果を招く統計的確率を耳にした際に楽観主義バイアスが起こる。

これまでの研究では、過度の楽観主義によって人はガンにかかる確率を十分に認識しないものだと考えられてきた。それはすなわち、ガンの恐怖を正しく理解できず、結果としてガンの罹患を招いてしまう可能性がゼロではないことを意味していると考えられる。

新しい研究はこの楽観主義に疑問を呈している。「人はすべての状況下で楽観的であり、そのバイアスは『普通』だという間違った方法論を用いてきた従来の研究は、大いに疑問です。楽観主義バイアスが人間の認知における普遍的特徴なのか否かを定めるために、新しい研究手法を探す必要があります」とユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの心理学者であるアダム・ハリス氏は話す。

そこで今回の研究では、13人の参加者に人生に起こりうる80イベントの可能性を評価してもらった。80イベントのうちのいくつかは「道でお金を見つける」「健康な子どもに恵まれる」というポジティブなものと、「がんになる」といったネガティブなものを含んでいた。

また、統計的機会に関する情報を受信することで、偏見を持たずに合理的に判断するコンピューターシミュレーションを作り、参加者同様にイベントを評価させた。これらのコンピューターシミュレーションは人工物であり、実際の人間ではない。そのため、本質的に楽観的であることができず、楽観主義へのバイアスを持つことはできないだろうと考えられていた。

だが結果として、あたかも楽観主義へと傾倒しているかのようなバイアスを示すデータパターンをシミュレーションが示したことを研究者たちは発見した。この知見は、このようなバイアスに対する科学者の印象は、純粋な統計的プロセスから生じている可能性があることを示唆している。

「応援しているフットボールチームが試合で勝つに違いない」といった特定の状況下で楽観的になる人がいるのも事実ではある。だが、その事実は必ずしも「人間は生まれながらにどんなシチュエーションにおいても楽観的である」との考え方の証拠にはならないと、今回の研究チームはみている。そのため、現時点では楽観主義バイアスが存在するという確固たる証拠はないとハリス氏は考えている。

しかし、今回の研究成果に同意しない学者も多い。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで楽観主義バイアスを研究している神経科学者のタリ・シャロット氏は、楽観主義バイアスを示す証拠は山ほどあるという。

ウェイク・フォレスト大学の心理学者であるジョン・ペトロセリ氏も、「非現実的な楽観主義は存在しないという一般論的結論には同意できない。社会心理学では多くの例がある」と力を込める。ずっと負け続けているのに、「次は勝つに違いない」と思い込む「賭博者の錯誤」がそのよい例だとペトロセリ氏は指摘する。

楽観主義であることがポジティブに働く場面とネガティブに働く場面があるが、仕事上のリスクヘッジの際には過度な楽観主義が禁物なのは異論がないところだろう。

※写真と本文は関係ありません

記事監修: 杉田米行(すぎたよねゆき)

米国ウィスコンシン大学マディソン校大学院歴史学研究科修了(Ph.D.)。現在は大阪大学大学院言語文化研究科教授として教鞭を執る。専門分野は国際関係と日米医療保険制度。