フィギュア・町田樹選手は、グランプリファイナルに3シーズン連続で出場する

2月のソチ五輪では、メダルまであと一歩の5位と飛躍的な活躍をみせてくれた町田樹選手。今シーズンも安定した演技で、日本人選手の中では最初にグランプリ(GP)ファイナルへの切符を手に入れました。これで一昨年から3シーズン連続での出場となり、すっかりGPファイナルの常連選手となった感じがします。

限られた時間で最大限の練習をした日々

町田選手は私の1学年下にあたり、関西大学の後輩でもあります。大学では一緒の授業になったこともあるなど、練習拠点は違いましたが、身近な所で頑張っている姿を見てきた選手の一人です。

町田選手はノービス・ジュニア時代、主に広島県で練習をしていたと記憶しています。しかし、広島にはシーズンリンク(夏はプール、冬はスケートリンク)しかありません。そのため、夏場は岡山県など、夏でも営業をしている他県のリンクに行き練習をしていたと聞いたことがあります。

私も練習拠点が閉鎖し、滑れる場所を求めて他の府や県に行っていた時期もありましたが、移動時間も増え、非常に体力と気力がいるものでした。他県で練習となると、学校との兼ね合いで練習時間に限りがあり、短時間しか練習ができなかった日もあったことでしょう。とぎすました集中力で練習するための術を、自然と身につけたのかもしれません。

"適応力"でリンクの違いを感じさせない精緻な演技

現在は、大阪府にある臨海スポーツセンターを練習拠点にしています。このリンクは年間営業をしていますが、リンクの大きさが国際規格より少し小さいリンクになっています。そのため、普段プログラムを練習するときと、国際規格サイズの試合会場でプログラムを行うときでは、ジャンプを跳ぶ場所やステップを行う位置が異なることがほとんどです。

例えば、縦の距離が短いリンクで端から端までステップを行っていても、国際規格サイズのリンクでは端までたどり着かないということが起こり得るということです。

しかし、町田選手の演技を見ると、リンクの違いといった事情があるようには感じません。国際規格サイズのリンク全体を使い、スケートもよく滑っているなという印象を受けます。広島にいた頃、恵まれているとは言えないスケート環境に屈することなく練習を続けていたことが、町田選手のこの"適応力"につながっているのではないかと思っています。

練習できる場所があれば、リンクのサイズに関係なく練習を重ねて試合で結果を出す。小さい頃から当たり前のようにやってきたからこそ、本番でも動じずにすばらしい演技ができるのではないでしょうか。

卓越した音楽編集で、ジャンプと音楽が一体に

また、町田選手は曲を表現することに強いこだわりがあるなと感じます。フィギュアスケートでは、今シーズンに羽生結弦選手や村上佳菜子選手、無良崇人選手らが用いている「オペラ座の怪人」といった物語がある曲は表現しやすいです。ただ、町田選手はフリーでは物語のないクラシックを選んできました。

物語がある曲は、その曲が使用されている場面を表現することができますし、表現したい演技も、物語があれば設定しやすくなります。「ロミオとジュリエット」であればジュリエットに恋するロミオに、「カルメン」であれば妖艶な女性になりきって演じることができます。

ですが、クラシックは曲の解釈の仕方が人それぞれになってくるため、難しいと私は感じています。私はアントニオ・ヴィヴァルディ作曲の「四季」の「夏」がすごく好きな曲ですが、「夏」の表現は難しいです。曲名にとらわれず、曲を聞いたままで解釈して表現を……となると、何をどう表現するのかという設定をきちんとしないといけなくなります。この点が、物語があるのとないのとでは難しさが違うというところです。

ところが、町田選手はその難題に自分なりの「答え」を見つけているように感じます。さらに曲を身体で表現するだけではなく、長い曲を競技用に編集したときに違和感を覚えたり、曲の雰囲気を損なったりしないよう、編集にもこだわっています。

曲の表現にこだわりすぎると、ジャンプなどのエレメンツに気が回らなくなることも多いのですが、ジャンプが表現の一部に感じるほど、見事に音楽に溶けこんでいます。これは、町田選手自身に「これを表現したい」という強い意志があるからできることなのだなと思います。

ソチ五輪が終わって1シーズン目。シニアで戦っている選手の顔触れも変わってきています。町田選手はベテランと言われる位置にいますが、ぜひ今年も、昨年以上の飛躍を期待したいです。

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筆者プロフィール: 澤田亜紀(さわだ あき)

1988年10月7日、大阪府大阪市生まれ。関西大学文学部卒業。5歳でスケートを始め、ジュニアGP大会では、優勝1回を含め、6度表彰台に立った。また2004年の全日本選手権4位、2007年の四大陸選手権4位という成績を残している。2011年に現役を引退し、現在は母校・関西大学を拠点に、コーチとして活動している。