東京六大学秋季リーグが去る9月13日に開幕した。10月23日のプロ野球ドラフト会議を目前に控え、候補選手たちの活躍は気になるところだ。しかし、それとは別に注目を集めているのが、ワースト記録を更新し続ける東大野球部の連敗である。今回はこの呪縛に注目した。

「100連敗」はなんとか阻止したい。救世主の登場を待ち望む

勝利を知らない選手たち

現在の東大野球部の連敗が始まったのは、2010年秋。そこから9月21日に行われた明大戦に敗れたことで、連敗は80にまで伸びた。2011年春に入学した現4年生は、1度も東京六大学のリーグ戦で勝利を味わったことがなく、ここまできてしまった。

また、この「80」という数字は丸4年間完全に負け続けたことを意味する。基本的に大学野球は、春と秋の年2回リーグ戦を行う。6校総当たりで、各カードで先に2勝した大学に「勝ち点」が与えられ、「勝ち点」が最も多い大学が優勝となる。逆に言えば、2敗した時点でその対戦は終わり、1シーズンのリーグ戦で最大10敗することになる。つまり、80連敗というのは、0勝10敗を8シーズン連続で記録してしまったということだ。

かつて存在した伝説の投手

1925年に早大、慶大、明大、法大、立大の5大学に東大が加わり、東京六大学リーグが誕生。その年の春、東大はリーグで通用するかどうかを確かめる意味合いで各大学と試合を行い、健闘したことで正式に加盟を認められたという。

その原動力となったのが、東武雄という選手だ。東は東大野球部で唯一、ノーヒットノーランを記録している。記念すべき六大学リーグ加盟時のリーグ初戦は、東の好投で法大に勝利。その試合で東が放った本塁打は、東京六大学リーグ史上初本塁打でもある。

しかし、東の卒業後は東大野球部は一気に弱体化した。1933年から1938年秋まで10季連続で最下位となり、間もなく戦争でリーグは中断。1946年春に再開された戦後初のリーグ戦では奮闘するも、その後は再び暗黒時代が到来。1950年春から1956年秋にかけて14季連続最下位を記録し、その間に50連敗を記録した。

連敗地獄のなかでも話題を提供

1960年代、1970年代も苦戦は続き、最下位が定位置となっていた東大野球部。しかし、折々で話題を提供していたのは、さすが日本屈指の名門学府といったところか。1960年代には新治伸治と井手峻がプロ野球に入団。1970年代、当時作新学院から法大に入学した「怪物」江川卓に初黒星をつけたのが、東大野球部だった。

1980年代の初めには「赤門旋風」と呼ばれる快進撃をみせ、1981年春には史上初めて、早大と慶大の両校からそろって勝ち点をマーク。秋にも早大から勝ち点を奪うなど、この頃は2シーズン連続で最下位を記録したことはなかった。

ところが、この「赤門旋風」以降、東大野球部に新たな試練が襲いかかる。1987年秋の開幕2戦目から、1990年秋のシーズン終了まで70連敗を記録。2005年秋から2007年秋には48連敗、2008年秋から2010年秋には35連敗と長い連敗が続くようになった。そして2010年秋から現在まで、2つの引き分けを挟んで80連敗中で、30季連続最下位である。

プロ野球やMLBの連敗記録

一方、プロの世界ではどうだろうか。日本プロ野球の連敗記録といえば、1998年に記録したロッテの18連敗がワースト記録となっている。6月18日のオリックス戦から7月8日のオリックス戦まで続いたこの連敗は、日数にすると26日間。選手たちは約1カ月も勝利から見放された。

MLBでは1900年以降の近代野球に限ると、1961年にフィラデルフィア・フィリーズの23連敗がワースト記録。敵地でその連敗をストップして地元に戻ってきたフィリーズを、地元ファンはまるでワールドチャンピオンをたたえるかのように出迎えたという。

東大もこの連敗記録を止めた暁には、優勝したかのような温かさに包まれるのだろうか。その日はいつ訪れるのか、長い目で見守っていきたい。

週刊野球太郎

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