職場で「ら抜き言葉」を、「日本語としておかしい」と、厳しく先輩から指摘されたことはないでしょうか?「ら抜き言葉」は、日本語として間違いなのか。それとも、使っても問題がない言葉なのか。何かと問題視されやすい「ら抜き言葉」について、調べてみました。

■「ら抜き言葉」って何?なぜ問題視されているの?

「ら抜き言葉」とは、可能の意味で使う「見られる」「来られる」「食べられる」などの言葉から「ら」を抜き、「見れる」「来れる」「食べれる」と表現する言葉のことです。この「ら抜き言葉」は誤った日本語の使い方として指摘されることが多く、不快感を覚える方も多い一方で、これは言葉の進化だととらえる人もあり、議論が多く重ねられている言葉でもあります。

「ら抜き言葉」が正しいか、間違っているかの判断でわかれるのは、助動詞「られる」が可能の意味だけでなく、受け身、自発、尊敬という意味でも使われる言葉だからです。そのため「ら抜き言葉」を進化ととらえる人たちは、複数の意味から「可能」だけに意味を絞ることができることから、それを合理的なものと考えているようです。また一方で、「ら抜き言葉」が間違った日本語の使い方だと指摘する人たちは、「ら抜き言葉」は日本語の文法がおかしくなるため、正すべきだと指摘しています。

ただし不必要な「ら」を入れる、「ら入れ言葉」というものも問題視されており、「ら」を入れるべきなのか入れないほうがいい言葉なのか、その明確な基準が一般的にわかりにくいことも問題となっています。

■話し言葉ではありだけど、出版物などでは容認していない

平成7年に公表された「第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)」(※注・国語審議会は廃止され、現在文部科学省の文化審議会国語分科会へ内容を引き継がれています)では「ら抜き言葉」について、現時点では共通語において誤りとされており、新聞等では用いられておらず、世論調査(※平成7年文化庁)において「ら抜き言葉」を使わない人が多かったことから、「改まった場で『ら抜き言葉』を使用することは認知しかねる」という方向で意見が取りまとめられています。

ただし、「ら抜き言葉」は可能表現の体系的な変化として、話し言葉としては認めるべきだという意見もあり、また地方によっては「ら抜き言葉」を多く用いる地域もあることから、今後の動向を見守っていく必要があると考えられています。

第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)

もし話し言葉で「ら抜き言葉」が目立つ人がいるなら、それはそれで見守りつつ、改まった場で「ら抜き言葉」を使うようなら、その時点で指摘する…とするのが、当面は無難かもしれません。

(画像は本文と関係ありません)