東京の住みたい町NO.1といえば武蔵野市吉祥寺。その街名は寺に由来するのかと思いきや、街をくまなく歩いても吉祥寺という寺を見つけることはできない。そんな寺は存在しないからだ。では、なぜ吉祥寺という地名なの? 調べていくと、明暦の大火、関東大震災という2つの大災害が地名の由来と街の発展に大きく関わっていることが分かった。
4月には駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」も誕生
4月23日、井の頭線吉祥寺駅に新駅ビル「キラリナ京王吉祥寺」がオープンした。地下2階、地上9階の新駅ビルに、70の吉祥寺初出店の店舗を中心に98のファッション、コスメ、雑貨、グルメなどの店が勢ぞろいした。
交通アクセスの利便性、商業施設の充実、落ち着いた家並み、井の頭公園に象徴される緑豊かな自然環境。吉祥寺が住みたい街ナンバーワンに選ばれ続けているのはそんな4拍子そろった住環境にあるが、この4月には新たに駅ビル「キラリナ」が誕生するなど、街の魅力はさらに大きくなっている。
そんな人気の街、吉祥寺で暮らしに憧れる人たちに「なぜ、吉祥寺の地名か知っていますか?」と尋ねたならば、おそらくほとんどの人が「吉祥寺というお寺があるからでしょう」と答えるに違いない。しかし残念、その答えは間違いである。
祐天寺、高円寺、国分寺、豪徳寺……、東京には「寺」の付く地名がたくさんあり、そのほとんどに地名のままの名称のお寺がある。しかし、吉祥寺という名のお寺は文京区の駒込にあって、吉祥寺には存在しないのである。なのに、なぜ吉祥寺という地名が付いたのだろうか?
2つの大災害が吉祥寺の町を作った
江戸に幕府が開かれておよそ半世紀の明暦3年(1657)、江戸の町はその半分が焼失するほどの大火に見舞われた。恋する町娘の振り袖が変転の末に出火の原因になったという伝説から、振り袖火事とも言われるこの明暦の大火が、吉祥寺という地名の由来に大きく関わっている。
この明暦の大火によって、本郷元町(現在の水道橋駅近く)にあった曹洞宗諏訪山吉祥寺の門前町が焼失してしまった。焼けだされた門前の住人たちは、幕府のあっせんによって現在の武蔵野市東部に移住する。こうして武蔵野台地での新田開発が進むが、移住した人たちは吉祥寺に愛着を持ち、新田を吉祥寺村と名付けたのである。
これが、「寺がないのに吉祥寺」の真相。なお諏訪山吉祥寺は、明暦の大火では辛うじて焼失を免れたが、その後の火事で完全焼失し、現在の文京区本駒込の地に移って現存している。
ちなみに吉祥寺という寺の名の由来だが、太田道灌が江戸城築城の際に井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門の近くに吉祥庵を建てたのがその始まりといわれる。こうして明暦の大火によって誕生した吉祥寺村は、時代を経た大正の時代に再び大災害によって住人を増やすことになる。
大正12年(1923)に起こった関東大震災によって東京の街を焼け野原となり、被災した多くの人が吉祥寺に移り住んで人口が急増して農村から住宅地へと大きく変貌を遂げる。今日の住みたい町人気ナンバーワンへの道はここから始まるのである。
井の頭の由来は「水源」からが有力説
さて、吉祥寺人気を支える大きな要因として井の頭恩賜公園の存在がある。弁財天を祀った井の頭池を中心とした公園で、四季折々の自然が楽しめる散策によし、デートによしの人気スポット。吉祥寺と渋谷を結ぶ京王井の頭線も、この公園の名前を借用したものだが、では「井の頭」にはどんな名前の由来があるのだろうか?
井の頭の名は徳川三代将軍、家光の命名になるものという説がある。お隣の三鷹に「鷹」の字が入っているように、この近辺には徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場があり、小高い丘に御殿を造営して休息所を建てた。これが公園内にある御殿山の名前の由来だが、池の名を井の頭としたのも家光であるというのだ。
弁財天の傍らにあるこぶしの木に、「井戸の頭」の意味で「井の頭」と文字を刻んだのが池名の由来というのだ。公園内にはそんな伝承を記した碑が建っている。さらに別説には、家光が「えんかしら、この水の美しさ」と池の美しさをたたえ、その「えんかしら」が井の頭になったというものもある。
しかし、実際にはそれらはいささかマユツバで、実際には井(湧き水)の頭(源)=水源というのが有力な説になっているよう。井の頭池は、三宝寺池(石神井公園)、善福寺池と並ぶ"武蔵野三大湧水池"のひとつで、江戸の町の用水として重要な役割を果たした神田上水の水がめだったのである。
住みたい町としてダントツの人気を誇る吉祥寺。今度話題にのぼったら、「吉祥寺がないのに吉祥寺と読んだ理由はね……」などと、吉祥寺語りを披露していただきたい。
参考文献: 『地名の博物誌』(谷口研語著・PHP新書)、『東京の地名』(筒井功著/河出書房新社)