松本零士氏は、大泉を地元としてすでに25年。練馬・大泉を終の棲家と決めている松本氏が大泉学園駅の一日駅長に任命されたことについて、「駅長さんに任命していただき、本当にうれしい! 九州で育ち、一昼夜かかけて汽車に乗って上京。25歳の時から大泉学園に住み始めて、今日を迎えている」と、集まった観客にうれしさを伝えていた。

「この大泉に来たころの駅舎はまだ木造でした。周りは田んぼと畑と土手と川という自然に恵まれた地だった」と現在の駅周辺を眺めながら語る松本零士氏

そして松本氏は、現在の自分と大泉との運命的なつながりを熱心に語り、そのカギとなる練馬のスポットとして「牧野記念庭園」と「東映アニメーション」を挙げた。「大泉に来てすぐの頃、牧野植物園(現・牧野記念庭園)に行って驚いた。私の処女作は『蜜蜂の冒険』(1954年)です。昆虫漫画を書くには、植物を書かなければならない。そのために牧野植物園に行き、資料を借りることがあったんですよ。その表紙を開くと、牧野先生の写真が出てて、そこに『大泉の自宅にて』と書いてあったんです。まさか自分が(憧れの牧野先生と一緒の)大泉に住むとは思わなかった! 牧野植物園との出会いは運命だったと思いました」。

さらに続けて、「それからある時、自転車を漕いでいたら、『東映動画』と描いてある看板を見つけたんです。『白蛇伝』の東映動画(現・東映アニメーション)が目の前にある! 大泉に東映動画があると知らなかったんですよ。これも運命的な出会いでしたね。その夜、東映動画の中を壁越しに覗きながら『そのうち、いつかやってやる! 』と思っていました。大泉は本当に運命づけられた場所。ここで生涯を終らせるようにできていたのかもしれません。ここは私にとっては終の棲家です」。

「車掌さん」へは、名誉駅長として松本氏から辞令が手渡された

西武線にはアニメ界の大御所が集まる

そして西武沿線で活躍していた歴代アニメクリエーターの多彩な顔ぶれと、現在もアニメ人たちに親しまれる西武沿線についても語ってくれた。「西武線に乗れば都内の出版社のすべてに行ける。西武線に漫画家やアニメクリエーター、小説家が住んでいるんですよ。まず、江古田にはトキワ荘の石ノ森章太郎さん。彼と私は同年同月同日生まれです。そして、赤塚不二夫、藤子不二雄らもそう。富士見台には虫プロダクションがあって、手塚治虫さんが住んでいたのも西武沿線です。モンキーパンチ氏たちは石神井に。つまり、東映動画という偉大な存在があって、皆この周辺に集まったわけです」。

さらに、松本氏の"大泉駆け出し時代"のこんなエピソードも。「『鉄腕アトム』第一号フィルムを編集していた手塚先生から、夜中に電話があった。『助けてくれ。映写機が壊れた、動かんのだ。おまえの映写機を貸してくれ』と言われて、石ノ森さんと私が映写機を持っていって『鉄腕アトム』第一号の編集を行なったわけです。ですから、日本のテレビアニメーションの試写用最初のフィルムは、私の古い35ミリ映写機で行なわれたということになるんですよ」。

語り始めてすでに30分。予定時間をとっくに過ぎ、さらに続けて語ろうとする松本氏をイベント係員が止めに入るほど、熱心に話していたのが印象的だ。それほど、西武沿線と大泉と、アニメと、そこに集まる人たちが松本氏は大好きなのだろう。「今、駅でこうしてマイクをもって話すことなんて、上京時は思ってもみなかった。感慨無量です」と松本氏が締めくくると、観客から大きな拍手が沸き起こった。