国鉄青函連絡船が青森―函館間に就航してからちょうど100年目となる3月7日、函館港に係留されている青函連絡船記念館「摩周丸」にて記念イベントが開催された。

国鉄青函航路が青森―函館間に開設されたのは1908年(明治41年)3月7日。この日午前10時に比羅夫丸が青森港を出港し、長きにわたる連絡船の歴史が始まった。青函連絡船は本州と北海道を結ぶ重要な交通・輸送手段であり、太平洋戦争中もたくさんの物資や人を運ぶ大動脈として活躍し続けた。だがその重要さがアメリカに目を付けられるところとなり、終戦目前の1945年(昭和20年)7月に米軍艦載機が本州と北海道を分断すべく青函連絡船全船舶を空襲、全船壊滅の被害を受けた。

摩周丸外観

外から見た摩周丸船橋

戦後に復興した青函連絡船は、戦後の混乱の中で今度は食糧輸送において大きな役割を果たす。米や野菜を背中に何重にも積んで本州と北海道を行き来する「担ぎ屋さん」が最盛期には300人程度もいたという。

順調に見えた青函連絡船だが、戦後の混乱から脱却しつつあった1954年(昭和29年)に未曾有の大事故に遭う。9月26日に上陸した台風15号によって5隻が転覆・沈没し1,400人以上もの犠牲者を出したのである。これが青函トンネル構想推進の大きな契機となったと言われる。

青函トンネルは幾多の困難を乗り越えて1988年(昭和63年)に営業を開始し、それに伴って同年3月に青函連絡船はその役目を終えた。当時の船舶のうち羊蹄丸・八甲田丸・摩周丸の3隻はそれぞれ東京・青森・函館に今も係留され、記念施設として往時の隆盛を伝えている。

摩周丸船体

2008年はちょうど青函連絡船開通100年と終航20年の節目の年に当たることから、就航100年のこの日に3隻同時での記念イベントを行うことなり、午前10時に一斉に汽笛を鳴らして青函航路開通100年を祝った。

このうち函館の摩周丸では、青函連絡船OBによる模擬出港実演が行われた。