日本の菅総理が今月16日に米国を訪れ日米首脳会談が催される予定である(この記事が掲載される頃には会談内容が報道されているかもしれないが)。バイデン政権になって初の首脳会談として日米のトップが膝を突き合わせる事の意味は大きいだけに、会談前からいろいろな報道がなされている。その日米会談のアジェンダ(議題)として半導体が取り上げられるという記事を見て、思わず1986年の「日米半導体交渉」を思い出した。日米は両首脳のトップ会談で再び半導体をアジェンダとして取り上げることになるが、その背景と内容はかなり様相が違っている。
米国半導体メーカーの日本での20%シェアをめぐって紛糾した1986年の日米会談
1986年にピークを迎えた日米の半導体をめぐるせめぎあいは、産業界間の問題をはるかに超えて、「政府間の通商問題」として取り上げられ、当時は政治・外交・通商のいろいろな観点から毎日報道されていたのでその頃の事情を覚えている方も多いだろう。
私がAMDに入社したのもちょうどこの年で、入社したてでPRの仕事を請け負っていた私は、いきなりハイレベルのミーティングに引っ張り出された。シリコンバレーから大挙して来日したSIA(米国半導体業界)メンバーである半導体メーカー各社のCEO達と日本政府・業界が会談を持った時のことは昨日のようにはっきり覚えている。
上掲の写真は家のガラクタの中から見つけた1986年に撮られたであろうと思われる貴重な写真である。最前列手前からNational Semiconductor創業者のCharlie Sporck、一人おいて真ん中がIntel創業者で集積回路の発明者としても知られるRobert Noyce、また二人おいて最前列の一番右側に座っているのがAMDの創業者Jerry Sandersである。単なるスナップショットだが、まさにシリコンバレーの名士の「3役そろい踏み」と言ったところで、かなり壮観な写真だ。2列目以降はよく見えないが、各外資系半導体メーカーの日本法人スタッフたちと思われ、中には若き日の私の姿も見える。その時のアジェンダと米国側の主張は次の通りであった。
- 当時、日本の半導体メーカーはダンピングを含む大攻勢で世界市場を席巻していた。この行為は公正性を欠く行為であり、米国は政府・業界を上げてこれに反対する。
- 当時世界第2位の規模を誇る日本市場では、日本のユーザーが自国製の半導体しか使わないため、米国メーカーのシェアが他国と比較して非常に低い。これは日本の電子業界にとって大変に不幸な状況である。
- 米国半導体メーカーの日本市場におけるシェアの当面の目標として20%を設定する。
今の日本の状況からは俄かには信じられないが、こうした議題について日米は角突き合わす会談を何度となく行っていた。35年経った現在では、半導体の日本市場・デバイスメーカー自体が大きく後退してしまって、この構図は半導体の産業史に記されるのみとなってしまった。 目標とされた20%のシェアについても結局検証されないままこの議論自体が消滅した。
半導体サプライチェーンでの協力が話し合われる模様の日米首脳会談
さて、現在では未曽有の世界的半導体不足の状況となっている。各国の経済活動にとって半導体デバイスが必要不可欠となった今、半導体デバイスの確保は国力・経済成長を担保する戦略的意味を持っている。その状況にあって日米の首脳会談のアジェンダに半導体が再登場した背景には次のような事情がある。
- ルネサスの那珂工場の火災事故は、自動車を含む多くのアプリケーションで半導体が重要な役割を担っていることを世界にはっきり示した。
- かつて世界市場を席巻した日本の半導体ブランドは大規模な半導体デバイスの市場ではその存在感はなくなったが、200mmウェハで製造されるパワーデバイスなどの領域では未だに大きな役割を担っている。
- 半導体ウェハ、製造材料・装置などのサプライチェーンの上流分野では日本の存在感は依然として大きい。
- 半導体を中心とする技術覇権競争で激しいつばぜり合いを繰り広げる米中の中にあって、米国にとっての同盟国日本のこれからのスタンスは非常に重要となる。
かつては激しい競合関係にあった半導体大国の日米は、35年後の今、急速に力をつける中国に対峙するために協業関係を強化しようというのが日米首脳で共通する意識とみられ、私が経験した1980年代の日米交渉とは大きくトーンが異なる。
半導体企業の誘致に1000億円のインセンティブを発表したインド
新型コロナのワクチン接種で他国から大きく遅れた日本の状況は、地産地消の能力が国家の存続にとっていかに重要かをあぶりだした。
コロナ禍とはまったく関係がないが、各国が半導体についての地産地消の方向に大きく舵を切ってきているのは明らかな事実であり、象徴的な現象である。
国家の経済成長・安全保障といった核心的な問題に関連して半導体が語られる現状は、仕事人生の大半を半導体業界にお世話になった私としては複雑な心境で見守っている。半導体の地産地消を推進する動きは米中のみならず、欧州まで広がっている。そうした中でアンカー的な役割を担っている台湾、日本、韓国といった技術立国の世界での立ち位置を考えるうえで、非常に興味深い報道があった。中国の次と考えられる巨大市場を擁するインドのモディ首相が発表した半導体企業誘致のためのインセンティブである。
ロイター通信の報道によるとその手法は次のようなかなり大胆な内容である。
- 今や中国勢を脅かす存在となっているインドのモバイルデバイスメーカーが必要とする高性能半導体を確保するために、インド国内に半導体工場を建設する意思がある企業には、企業当たり1000億円の政府援助を行う(これはキャッシュで支払われるとうたわれていて、税制優遇などの間接的な援助ではないところがすごい)。
- その援助金を活用してインド進出を果たした半導体企業のインド工場で製造された半導体は、全量政府が買い上げ、その製品は“Trusted Sources(信用付き)”と指定され、優先的にインド製造のモバイル、5G、ネットワークなどの製品に使用される。
- すでにいろいろな企業からの問い合わせがあるが、どの企業からかは明らかにされていない。とりあえず、アブダビの投資会社からの申し込みがあったことが報道されている。
かなり具体的に踏み込んだ、しかも即効・実効性のあるインセンティブの内容なので大変に驚いた。私が経験した日米半導体交渉では、20%という目標がいつまでも達成されない状況に業を煮やしたシリコンバレーの代表たちが、「日本政府が半導体を買うわけではないのだから、政府役人と交渉しても意味がない」、とよく言っていたのを思い出す。
インドには豊富なエンジニア人材があり、このインド政府が打ち出した大胆なプロジェクトはやりようによっては大きな成功を収める可能性がある。
米国政府はすでにアリゾナ州でのTSMCの新工場建設、Intelのファウンドリビジネスへの支援を表明している。半導体の地産地消推進への動きは多額の資金を伴って加速化している。今月の日米首脳会談には大変に重要な意味がある。