筑波大学は7月13日、歩行に近い極めて緩やかな「スローランニング」を10分間行うことで快適な気分と実行機能(高次の認知機能)が向上することを確認し、その神経基盤に左前頭前野亜領域の活性化が関連していることを明らかにしたと発表した。

同成果は、筑波大 体育系/ヒューマン・ハイ・パフォーマンス先端研究センターの桑水隆多助教、筑波大学サイバニクス研究センターの征矢英昭客員教授(筑波大 体育系 名誉教授)らが参加する国際共同研究チームによるもの。詳細は、脳や脊髄の画像化による構造・機能の研究を扱うオープンアクセスジャーナル「Imaging Neuroscience」に掲載された。

“超低強度”の運動でも脳には好影響が

広く親しまれているランニングは、人類の生理的・解剖学的進化と深く関わるとされる。人類は、約600~700万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれした当初は、完全な直立歩行ではなかった。しかし、約200万年前になると、直立二足により長距離走行での「持久狩猟」能力を発達させ、これが前頭前野などの高次脳機能の発達に関連した可能性が指摘されている。

また近年の研究により、運動が脳に作用し、脳の前頭前野が担う実行機能(抑制制御やワーキングメモリ、認知的柔軟性など)の高次認知機能を高めることが解明されつつある。しかし、これらの知見は強度調整が容易なペダリング(自転車こぎ運動)によるものが多く、全身をリズミカルに動かすランニングがヒトの脳に及ぼす効果の多くは未解明であった。

研究チームはこれまで、中強度(ややきついと感じる程度)のランニングが快適気分と実行機能を高め、脳の両半球の前頭前野を活性化させることを発見していた。しかし、中強度の運動は生理的なストレス反応を伴うこともある強度でもあり、体力の低い人や高齢者などにとっては継続が困難な可能性もある。そのため、より負担の少ない、極めて軽い強度であっても気分や認知機能への有益な効果が得られる運動が求められていた。

そこで今回の研究では、歩行に近い極めてゆっくりとした速度で行うスローランニング(最大負荷運動時に体内へ取り込めた酸素の最高値を表す「最高酸素摂取量」の35%に相当する超低強度運動)に着目し、前頭前野を基盤とする認知機能や快適気分に及ぼす影響とその神経基盤を、脳イメージング手法の「機能的近赤外分光分析法」(fNIRS)によって検討したという。

実験には健常な若年成人男女(平均年齢22歳)が参加し、最終的に24人分のデータが解析された。事前にトレッドミルを用いた最大負荷での持久力測定により各参加者の最高酸素摂取量が測定され、その上で超低強度運動に相当するランニング速度が参加者ごとに設定された。

各参加者はその後、それぞれ10分間の「スローランニング」と「座位安静」の2条件を別日にランダムな順序で実施した。実行機能の指標としては、各条件の前後にストループ課題(色名と文字色の干渉を利用して実行機能を評価する課題)を実施し、その課題中の前頭前野の活動がfNIRSにより計測された。

  • 実験の流れとストループ課題の例

    実験の流れとストループ課題の例。(A)実験の流れ。参加者は別日にスローランニングと座位安静を行い、前後にTDMSとストループ課題を実施。課題中の前頭前野の活動をfNIRSで計測し、走行時の頭部加速度(HA)も測定された。(B)fNIRSによる測定部位。(C)ストループ課題の例。上段の文字色と、下段の単語の意味の一致を判断する。色と意味が異なる不一致課題では反応時間が長くなり(ストループ干渉)、この時間が短いほど実行機能が高いと評価される。画像1(A)の一部はDamrongthai et al. (2021)2)(CC BY 4.0)より改変。(出所:筑波大プレスリリースPDF)

併せて、ヒトの気分を「覚醒度」と「快適度」という2つの直交軸で推定する「二次元気分尺度」(TDMS)を用いて、参加者の両項目が測定された。なお、ランニングに伴う皮膚血流や心拍の変化など、脳活動以外に由来する生理信号がfNIRS信号に混入することを避けるため、計測はランニング終了の5分後、つまりこれらの生理指標が安静時に近い水準に戻った時点で行われた。

その結果、スローランニング条件では、安静条件と比べて「ストループ干渉時間」が有意に短縮しており、実行機能の向上が示された。ストループ干渉とは、上段の色と意味が異なる「不一致課題」において認知的な葛藤が生じて反応時間が長くなる現象を指し、ストループ干渉時間とはその反応時間のことだ。ストループ干渉処理に反応する脳活動を見ると、スローランニング条件では安静条件と比較して、実行機能に関わる左前頭前野の特定領域(左背外側前頭前野および左前頭極)の活動が有意に高まっていることが確認された。

  • 課題成績とスローランニングで活性化した前頭前野領域

    課題成績と、スローランニングで活性化した前頭前野領域。(A)座位安静とスローランニングにおけるストループ干渉時間の変化量。スローランニング後は干渉時間が有意に短縮し、実行機能の向上が確認された。(B)ストループ課題中の脳活動。スローランニング時は安静条件と比べ、左背外側前頭前野と左前頭極の活動が有意に増加した。(出所:筑波大プレスリリースPDF)

また、スローランニング条件では安静条件と比べて覚醒度と快適度がいずれも有意に高まっていた。TDMSを用いた同程度の強度のペダリング運動の効果を調べた先行研究では、覚醒度の増加が中心で、快適度の明確な向上は確認されていなかったという。これに対しスローランニングは、より快適な気分を誘発しやすい運動形態である可能性が示唆された。

さらに今回の研究では、ランニングに特徴的な頭部の上下動に着目し、走行中の頭部加速度が測定された。その結果、頭部加速度が大きい人ほどランニングによる快適度の上昇が大きいという正の相関関係が見出されたとした。

  • 気分変化と頭部加速度との関連

    気分変化と、頭部加速度との関連。(A)TDMSの概念図。(B)快適度、(C)覚醒度の変化量。スローランニングは安静条件より双方を有意に高めた。(D)走行中の頭部加速度が大きいほど快適度の上昇が大きく、ランニング特有のリズミカルな上下動が快適気分に寄与する可能性が示された。なお、頭部加速度は覚醒度や実行機能、脳活動とは関連しなかった。(出所:筑波大プレスリリースPDF)

以上の結果は、ごく軽い運動であるスローランニングでも快適気分の誘発と実行機能の改善をもたらすこと、その神経基盤として、実行機能を担う左前頭前野亜領域の神経活動の亢進が関与していることを示唆しているとした。これは、脳活動を心地よい方向へ変化させる運動戦略としてのスローランニングの有用性を示す成果だという。

研究チームは今後は、ペダリング運動などの他の運動形態と比較しながら、スローランニングのどのような特性がこうした有益な効果をもたらすのかを検討していく計画とする。その有力な候補の1つがランニング特有のリズミカルな上下動であり、今後さらなる検証が必要とした。

併せて、今回得られた効果が高齢者をはじめとする幅広い年齢層や体力水準の人々でも認められるのか、また体力に自信のない人や運動を苦手とする人でも無理なく継続できるのかを確かめることが、今回の成果を社会へ還元していく上での重要なテーマになるとする。今回の成果は、体力や健康状態にかかわらず、多くの人々が安全かつ手軽に身心と脳機能を活性化するための科学的基盤となることが期待されるとしている。